ユナイテッドアローズが9月22日、六本木に、オレンジのブランドカラーで知られる基幹ブランド「ユナイテッドアローズ」(以下、UA)の旗艦店をオープンする。創業者の重松理・名誉会長が手掛ける「順理庵」の2号店も銀座に続いてオープンする。重松名誉会長が見てきた六本木や、西洋の良いものを日本で紹介してきた重松会長が提案する“日本の良いもの”や“日本の美意識と精神性”、そして、これからの「UA」に対するほんのちょっぴりのアドバイスを聞いてみた。
WWDジャパン(以下、WWD):重松名誉会長は今回の六本木店出店に当たり、どのような役割を担ったのか?
重松理・名誉会長(以下、重松):2年前、森ビルが六本木ヒルズをリニューアルするプランがあり、それに合わせて「UA」のお店を増床したいので、プラン作りの相談に乗ってほしいと社内から頼まれた。すでに取締役は降りていたので「六本木に旗艦店をつくるんだね~」という感じだったけれど、「勝手に言っていいなら」と前置きしたうえで「日本的なお店を作ったらどうですか?内装も数寄屋造にしてしまうとか。それくらいしたら、森ビルも面積を考えてくれるんじゃない?」と提案した。もともと「銀座に和の十貨店を作りたい」と考えていたし、森ビルには虎ノ門のマッカーサー道路に日本建築で和の専門店を作るプレゼンをしたいと思っていたことも背景にあった。六本木店が実現することになった際、当時のUA本部長がその話を覚えていてくれて、インショップでやらないかと声を掛けてもらった。4月に銀座に「順理庵」の1号店がオープンしているが、店が増えればロットもカバーできるし、六本木旗艦店の内装デザインがワンダーウォールの片山(正通)さんで、コンセプトも「バザール」とか「混沌」ということだったので、「順理庵」が入るのにふさわしいとも感じた。
WWD:改めて「順理庵」に賭ける思いとは?
重松:京都に6年前、古いマンションを買って、いろいろな縁を得たり、実際にいろいろなものを見たりしてみて、「われわれが思う『和』は外国人から見た和だな」と気付いた。本質的な価値や絶対的な価値、究極の日本の様式を伝えきれていないなと反省した。(創業メンバーだった「ビームス」や、89年に創業した「ユナイテッドアローズ」を通じて)、これまで40年近く海外の新しいもの、面白いもの、歴史があるものなどを日本に持ってきて紹介してきたたが、日本のもの、クオリティーの高いものを掘り下げてマーケットに出すことが、自分の最後の仕事だと認識した。京都の源兵衛さん(老舗帯匠、誉田屋(こんだや)源兵衛の山口源兵衛・代表)と一緒に檸檬草(れもんそう)という手織りの会社を設立し、奄美(鹿児島県)を起点に染織技術者養成施設を運営するなど、商品もでき始めている。「順理庵」はそれらを販売する拠点としての役割も担っている。
WWD:「順理庵」では麻やシルクなどの反物からのオーダーメードや、一部洋服を扱っているが、六本木店でのラインナップは?
重松:今、銀座店でも商品アイテムを増やしている。伝統的な技術を使った革小物や靴下、日本の織物を使ったネクタイなど、純国産で国内生産という商材を増やしている。これから取り組むのは、メーカーコラボ商材だ。作った方の名前を前に出すことにより、両者にとってブランディングをしっかりとすることで、出自を明確にし、信頼性を高めたい。
WWD:海外展開の予定は?
重松:全くない。欲しければ日本に買いに来てもらえれば。ただ、英国ハロッズの貴賓室や、ドバイの石油王がお客さまのVIP向け商談会などに商品を出してみないかという誘いを受けている。これはちょっと興味はある。「エルメス」の齋藤(峰明・エルメス本社元副社長)さんも、日本の伝統工芸を世界に持って行くことを使命として取り組まれている。日本の本当に良いものを世界に発信するのは潮流なのかもとは思う。
WWD:2018年には京都の鷹峯に数寄屋造りの文化施設「洛遊居」を開業する計画もあるが、進捗状況は?
重松:少しトーンダウンしている。全て木材を手で組むなど、伝統工法にこだわっていたが、公に開かれた施設とするには耐火や耐震の基準など法律的なハードルが高いことが分かって。こちらは別邸にして、知人など特定少数の方々に見てもらえるようにしようかと。技術の伝承も含め、400年後にも残る建物を造るという想いは変わっていない。そのエッセンスを凝縮した形のものを銀座に続き、六本木に設える。欧米をはじめとした外国人も多いし、富裕層もたくさんいるし、店長の永井からも「面白いものを評価して買ってくださる層がいる。ポテンシャルが高い」と聞いているので、幅広い人々に良さを知ってもらうことができると期待している。
WWD:重松さんと言えば、若いころからディスコ好きで知られていたが、六本木での武勇伝や思い出といえば?
重松:いや、六本木は特になくって。自分は「芝浦ゴールド」(港区海岸)が専門で、「ムゲン」(赤坂)、「ビブロス」(同)の時代にちょっと来たくらいで、「マハラジャ」(麻布十番)だって1~2回行ったくらい。80年代以降の六本木ってのは、われわれ大嫌いな街だったから(笑)。その前の60年代後半から70年代の“絨毯(じゅうたん)バー”のころは、加賀まりこさんや井上順さん、堺正章さん、テンプターズの田辺(昭知)さんなど、飯倉の伝説的レストラン「キャンティ」の常連など、憧れの方々もたくさんいらっしゃっていい街だったけど。
WWD:絨毯バーとは?
重松:若い人は知らないよね。60年代の後半ごろだったかな。靴を脱いで、絨毯に転がって酒を飲む“絨毯バー”“絨毯パブ”っていうのが主流だった。青山墓地下の霞町(今の西麻布)にあった「茶蘭花(チャランカ)」などが有名で。出身地・横須賀の1年先輩がマネジャーをしていたので、よく通っていた。絨毯バーの最後の世代が、六本木から西麻布に坂を下る途中にできた「トミーズ・ハウス」だった。タケ先生(菊池武夫デザイナー)とか、風吹ジュンや大原麗子、中尾彬、ムッシュかまやつなど、“野獣会”と呼ばれる伝説的な人々をはじめ、西麻布にとんがった若者が集まっていて、とても素敵な街だった。外国人も紳士的な人が多くて、当時は銀座よりおしゃれだった。そんな中からBIGIができたりもしていた。それがガラリと変わったのは80年代に入り、「マハラジャ」ができてから。怖くて行かない街になってしまって。2000年代になり、六本木ヒルズができて、東京ミッドタウンができてから、六本木はまた変わってきた。
WWD:その六本木で展開する「UA」はどのようなものであるべきか?
重松:もう取締役ではないし、任せているから、特段自分から言うことはない。それに、創業からわれわれがやってきたことはずっと同じ。ただ、「UA」らしくありつつ、それを裏切っていくべきなのでは。大切なのは、何をやっても「UA」の気品を保つということ。単なる優等生スタイルではなく、守るべきものは守り、見せ方を変えるところは変えていけばいい。
WWD:今の「UA」に提言があるとすれば?
重松:もう少し遊びを効かせて、いろんな部分でメリハリを効かせて、見せるところと稼ぐところを明確にしたほうがいい。六本木店のディレクションを担当した鴨志田康人クリエイティブ・ディレクターは、1号店の時からずっと一緒にやってきたので、「UA流」をしっかりと踏襲している。あとは、もう一つ、もう一歩飛んでみる、みたいなことができたら面白いと思う。
WWD:六本木の「順理庵」には若い人々も多く来店すると思うが、若い世代に伝えたいのは。
重松:創業時から「西洋と東洋の文化の融合」をずっとテーマにしてきたので、今までと同じテーマや価値観を、違った形で表現するだけ。特に追求するのは、本質的な日本の精神性と美意識だ。相対的ではない、絶対的な良さを体感してもらうことが役割であり、とても良いタイミングだと思っている。
WWD:「順理庵」に並び、理事長を務める日本服飾文化振興財団に注力している。
重松:設立から3年。だいぶ普及してきたし、小林(麻美)さんから寄贈いただいた「イヴ サンローラン」などもあり所蔵品は増えてきたが、まだまだ貴重な資料を集めていきたい。また、寄付も募っていきたい。公益財団法人なので、税還付もあるし、企業が寄付をしやすい体制になっている。興味がある方、寄付先を考えている方など、ぜひご相談ください(笑)。
WWD:今のファッション業界の問題は何だと?
重松:手織りの生産背景が存続の危機にある。しばらく海外流出が続いていたが、海外の賃金が上がっていることもあり、国内生産は見直されてきている。それでも、手織りの生産背景は消える寸前だ。これは流通構造が改善されない限り難しいだろう。手織物は基本的に仲介業者があって、二次問屋、三次問屋がある。織り元から直接買うこともできなくはないが、特別に工賃を高く払うことは統制が取れなくなると敬遠されてしまう。徐々に変わっていくとは思うが、時間がかかると思う。もう一つ、ファッション業界に必要なのは、本質的なモノ作りの技術を高めることだと思う。ITなどで技術は進んだが、QR(クイックレスポンス)など違う形に進んでしまった。小手先だけとは言わないが、クオリティー以外の部分の比重が高まり、クオリティーを抑圧している。もちろん商行為だから商売にならないと話にならないが、今は足元を見直して見直して、知識と技術を深掘りして製品に注入する。そういう時期だと思う。