「シャネル」のミューズとして知られた元スーパーモデルのイネス・ド・ラ・フレサンジュが「ユニクロ」と協業を始めたのは、2014年春夏コレクションからだった。13年にこのコラボレーションが発表された際、欧米を含めてファッションピープルからは大きな注目を集めたが、マスでの認知度はかなり低く、日本で受け入れられるかは予想がつかない状態だった。しかしふたを開けてみれば、パリのエスプリが効きつつ「ユニクロ」と同価格帯という、気の利いたおしゃれなベーシックウエアは幅広い客層から支持を得て、協業の成功事例にもなっている。
イネスとの交渉から携わり、現在もコレクションを監修するのが、滝沢直己「ユニクロ」クリエイティブ・デザイン・ディレクターだ。滝沢の発案で9月8日には、銀座店に120人のメディアと40人ほどのファン・ブロガーを集め、6シーズン目にして初の単独フロアショーを行った。
「イネスはスタイリングによって服を一番良く見せられる人。商品も単品よりも、素材感やシルエット、微妙なシャツの出し方や袖のまくり方などを実際に見せるほうが生きる。イネスの大切な思いを伝えきるため、自分から提案して実現した」とフロアショーを開催した狙いを説明する。もちろんSNSでの拡散も狙っており、「愛してくれている人々に生で伝えることが、顧客目線にもつながる」とマーケティング視点も持ち合わせる。
「全ての女性を心地よくする服」「美しく見せる服」を追求しながら打ち出した16-17年秋冬シーズンのテーマは「1960年代の変革期のパリ」だ。右岸を中心としたブルジョアのファッションが、左岸の大衆へと広がっていく。そんなエネルギーを感じさせるパリジェンヌ・スタイルを“クラシック&エレガンス”“シック&ノワール”“70年代スタイル&ロック”の3ラインで表現。ショーでは、前半はブルジョアな雰囲気をカシミヤやパールなどの素材や、スノビッシュなメイクで表現。徐々にジャニス・ジョプリンのようなヒッピーテイストのハッピーなムードを漂わせつつ、最後には2つの流れを融合させ、新しいモードスタイルを提案した。
「貴族出身のイネスならではの感覚もあるし、僕自身、左岸に店を開きモード・ファッションの大衆化をけん引したイヴ・サンローランをリスペクトしている。ココ・シャネルも戦時中でも服を通じて人を幸せにしてきた。僕もイネスも、服で人を幸せにしたいという思いは強い。イネスと2人でフィッティングしていると、ノーメイクで髪もセットをしていないモデルがふっと輝き出すことがある。人をよみがえらせ、幸せにすることが服の一番大切な力であり、それを一番心掛けているのがイネス。その力を最大化していきたい」。
協業が長く継続しているのも、「柳井(正ファーストリテイリング)社長とイネスの目指す目的が同じで、服に対する考え方が一緒だからだ」と断言する。ディレクターとしての滝沢自身の存在も大きい。「イッセイミヤケ」の元デザイナーで、現在は美智子妃殿下の衣装を手掛ける皇室デザイナーでありつつ、「ユニクロ」のイネスやカリーヌ・ロワトフェルドとの協業ライン、さらには、企業のユニフォームなども手掛けている。「ある時、柳井(正ファーストリテイリング会長兼社長)さんに『あなたはオートクチュールの人だ』と言われた。最初はえっと思ったが、今はその言葉に感謝している。出合った仕事の中でクライアントの期待に応え、一緒にお客さまが喜び、面白いと思ってもらえるものを作るのが自分なのかもと思い、気持ちが整理できた」といい、”一億人のための服”を作ることの面白さや、やりがいを持ち続けるモチベーションになっていると明かす。
改めて「イネス」の商品の魅力については、「いつも変わらない良さがあること。いつものブルーがあり、いつものジーンズがあり、いつものワークジャケットがある。けれども常にアップデートしている点だ」という。3大人気アイテムはジャケットとニット、デニムだ。特にジャケットは「意外ときちんと作っているカジュアルブランドはない。本切羽で袖がまくれて、男っぽい雰囲気がありつつ女性らしさがしっかりとある。イネス自ら3~4回試着して修正して細部までこだわっているから。ここまでこだわって、ベーシックながらも毎シーズン進化させているウィメンズ服は珍しいかもしれない」。今季は人気のベルベットやフランネル、ソフトツィード、ニットなどの素材も豊富で、アウトドアウエアであるマッキーノジャケットを現代風にアレンジしたものも登場している。「変化することも必要だが、より多くの人々がアクセスしやすい服を作ることも大切なことだ」と、成熟化社会の中で求められる服のあり方を改めて追求しているところだ。
滝沢直己/「ユニクロ」クリエイティブ・デザイン・ディレクター
PROFILE:1960年7月19日、東京生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、82年に三宅デザイン事務所入社。「プランテーション」や「イッセイミヤケ」のデザイナーを経て、独立。「ナオキタキザワ」や「ヘルムート ラング」メンズデザイナーなどを経て、11年に「ユニクロ」デザイン・ディレクターに。イネスやカリーヌ・ロワトフェルドのコラボラインを監修する。著書に「一億人の服のデザイン」(日本経済新聞社)