PROFILE:1998年慶應義塾大学法学部卒業。自治省(現:総務省)入省後、岐阜県庁に出向。99年、宝島社に入社し、「スプリング」編集部で編集業務に携わる。2003年にスタイリストのアシスタントになるべく渡英し、スタイリストのマルコ・マティシクに師事。04年に帰国し、ファッションエディターとして「フィガロジャポン ヴォヤージュ」「流行通信」「マリ・クレール」などに関わり、「エル・ジャポン」のコントリビューティング・エディターを務めた。11年に同職を退き、弁護士を目指す。16年最高裁判所司法研修所修了(第69期)、弁護士登録。17年1月にココネにインハウスロイヤーとして入社し、11月に林総合法律事務所入所 PHOTO BY MAYUMI HOSOKURA
林総合法律事務所の海老澤美幸・弁護士は、国家公務員からファッションエディターに転身し、2016年から新人弁護士として活動する異色の経歴の持ち主だ。「アクションしなければ何も動かないと思っているので、やるだけやってみようと思った。仕事をガラッと変える時もワクワク感しかない」と楽しそうに語る海老澤弁護士はチャレンジすることに前向きで、常に笑顔が絶えない。何人もの弁護士を知る記者から見ても、とても珍しいタイプの弁護士だ。そんな海老澤弁護士のキャリアの変遷の理由や、弁護士としてファッション業界とどう関わっていきたいのかを聞いた。
WWDジャパン(以下、WWD):キャリアのスタートは自治省(現・総務省)だったが、もともと国家公務員志望だった?
海老澤美幸・弁護士(以下、海老澤):大学(慶應義塾大学)ではダンスサークルに入り、ダンスに明け暮れていましたが、「ちゃんと就職しないとな」と思うタイミングがあったんです。家系に公務員が多かったので、国家公務員を目指すことに決めました。各省庁と面接をした時に、自治省の方々の人柄や、地方を回って、状況を見られるという業務内容がすごく魅力的だったので自治省に入省しました。
WWD: 1年半後には雑誌の編集者に転身しているが、その経緯は?
海老澤:入省してすぐ、岐阜県に出向して地方自治に携わりました。岐阜県は、昔はファッション産業がすごく盛んでしたが、今は寂れてしまって、駅前がシャッター街になっているんです。それを見た時に急に「そういえば私はファッションが好きだった!」と思い出して(笑)。そこからファッションを仕事にして、いつかは地方のファッション産業の活性化につなげられたらと思い始めました。そのタイミングで宝島社がファッション誌の編集部員を中途採用していたんです。「ここに入れば何か見えるかも!」と思い、応募したところ採用されました。
WWD:難関と言われる国家公務員試験に合格して、1年半で出版社に転職することに周りからの反対はなかった?
海老澤:ありました(笑)。実は、高校生の頃もスタイリングを勉強したくて専門学校に行こうと思ったくらいなんです。でも、大学までエスカレーター式の高校に通っていて、皆が大学進学を選ぶ環境にいましたし、両親からの反対もあって、大学進学を決めました。でも、国家公務員になって岐阜県のシャッター街を見たら、やっぱりファッションがやりたいな、と思ったんです。「ファッションは趣味にして、今の仕事を続けたらどうか」といったアドバイスもありましたが、趣味に留めるのは自分の中で納得がいかず、仕事としてファッション業界に24時間どっぷり浸かりたいと思ったんです。
WWD:宝島社ではどんな仕事をしていた?
海老澤:試用期間中は「キューティ(CUTiE)」の編集部に配属され、その後4年間は「スプリング(SPRiNG)」に本配属されました。仕事はハードでしたが楽しかったです。毎日が文化祭の準備期間のようで、あわただしく過ぎました。
WWD:楽しかった編集部を辞めて渡英したのはなぜ?
海老澤:「スプリング」では編集とスタイリストの仕事は分かれていて、ディレクション的な仕事はスタイリスト主導のことが多かったんですが、自分はスタイリングと編集者、両方の仕事をやりたかったんです。ディレクターのような立ち位置にいるファッションエディターになりたかった。そこでいろいろと調べてみたら、ロンドンでは“ファッションエディター=スタイリスト”だと知って、「だったらロンドンでスタイリストのアシスタントになろう!」と思ったんです(笑)。
WWD:ロンドンではどのようにスタイリストのアシスタントの職を探した?
海老澤:ビザの関係などもあり、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション(LONDON COLLEGE OF FASHION)に在籍することにしました。同じクラスにモデルの友人がいて、彼女のツテでアシスタントを探していたスタイリストのマルコ・マティシク(Marko Matysik)と出会いました。
WWD:日本とロンドンではアシスタントの業務内容は違った?
海老澤:そうですね、ロンドンにいるアシスタントは、スタイリングに近い仕事をしていました。プロアシスタントという職業もあるくらいなので、スタイリストとアシスタントの関係は対等なんです。意見を聞かれたり、自分で選ばせてもらえたり、主体的に動ける機会が多かったです。それは渡英してよかったと思う部分です。
WWD:04年に帰国してからは?
海老澤:「フィガロジャポン ヴォヤージュ(FIGARO JAPON VOYAGE)」「流行通信」「マリ・クレール(MARIE CLAIRE)」「ギンザ(GINZA)」「カーサ ブルータス(CASA BRUTUS)」などの仕事をして、最後は「エル・ジャポン(ELLE JAPON)」のコントリビューティング・エディターになりました。
WWD:弁護士になろうと思ったきっかけは?
海老澤:雑誌を作っていると、1つの写真を広告に使って、ポスターにも使うといったように、2次使用が行われることがよくあります。カメラマンは著作権、モデルには肖像権があるので金銭が支払われますが、ヘアメイクやスタイリストには支払われない。最初の契約時に彼らまでカバーされるような条項を入れるなど、解決策はいろいろとありますが、実際の現場ではあいまいになってしまったり、勝手に使われてしまったりするんです。また、当初は予定になかったことが突発的に発生することもある。雑誌作りに携わっていた頃から、「それってどうなんだろう?」と思っていたんです。また、ファッション業界は労働環境が劣悪なので、そのあたりを何とかしないといけないと思いました。大学は法学部だったということを思い出して(笑)、一人くらいファッションをよく理解している人間が弁護士になってもいいんじゃないかと思ったんです。
WWD:もともと希望していた、“スタイリングと編集を両方やる”ということから遠ざかることになるが、未練はなかった?
海老澤:雑誌を作るのがすごく好きなので、将来的にはそこに戻りつつ、弁護士も続けるつもりです。両方できるようになることが自分にとって一番ハッピーなので、今は弁護士業に専念します。
WWD:弁護士資格取得後は、法律事務所ではなく企業の法務部に入社したと。
海老澤:ココネという、IT系のアプリを作っている会社に9月まで在籍していました。
WWD:法律事務所に所属することは考えなかった?
海老澤:法律事務所も受けましたが、なかなかうまくいかなかった時に、ココネがインハウスロイヤー(企業で働く弁護士)を募集していました。ココネは“ポケコロ”という、女子向けの着せ替えアプリを作っているんですが、彼らは「アパレルとして位置付けています」と言うんです。これまでファッション業界にいた身としては、その点に面白さを感じて、面接を受けたところ、すぐに採用していただきました。
WWD:ココネから現在の林総合法律事務所へ移った理由は?
海老澤:実は、ココネでは法務の他に広報も兼ねていたんです(笑)。CM関係の仕事をしたり、ツイッターで発信したり、いろいろと経験させてもらいました。それもすごく面白かったのですが、法務よりも広報の比重が重くなってきてしまって、最終的に8割くらいが広報業務になってしまった。さすがに弁護士として大事な1年目に、この仕事は違うなと思いました。
WWD:今の事務所に決めた理由は?
海老澤:将来的に“ファッション・ロー”を専門分野にしたいと考えています。ファッション・ローというのは、“民法”や“刑法”という法律の分野ではなく、ファッション産業に関連する、あらゆる法律の総称です。ファッション・ローに携わるためには、知的財産分野だけでなく、その他の分野も経験しなくてはいけないと思い、幅広い法律の知識が求められる企業法務に対応する事務所を探していました。
海老澤弁護士の執務スペース PHOTO BY MAYUMI HOSOKURA
WWD:今はどのような仕事をしている?
海老澤:1年生なので、ボスの下で商標や著作の案件を中心に、企業法務を幅広くやらせていただいています。訴訟など、インハウスでは体験できなかった案件に携わることができて充実しています。
WWD:ファッション・ローは日本で浸透している?
海老澤:一部の弁護士が提唱しているものの、まだまだ認知度は低いと感じます。日本には“ファッション・ロー・インスティテュート・ジャパン”という、各国のファッション・ローの調査研究や、人材育成を目的とする組織がありますが、どちらかというとデザインの保護に力を入れている組織なんです。私は知的財産の他にもファッション業界の労働問題などもカバーして、あらゆるファッション関係者が駆け込める場所を作りたいと思っています。
WWD:今後の活動は?
海老澤:最終目標はあらゆる法分野をカバーする、ファッション・ロー・インスティテュートの設立です。直近の目標としては、5年以内にファッション業界の人が困った時に頼れる“駆け込み寺”みたいな場所を作りたいです。ニューヨークにあるフォーダム大学のロースクール(法科大学院)内には、ファッション・ロー・インスティテュートの本部があって、そこが駆け込み寺のようになっているんですが、私も同じように、みんなが困った時に駆け込みやすい場所に、拠点を作りたいと思っています。