平成も残り半年。この30年間の変遷を振り返る記事をたびたび見かけるようになったが、ファッション市場は平成の時代で何が変わったのか。大きな転換点はどこだったのか。さまざまな見方があるけれど、一つ挙げるとすれば、私は「ユニクロ(UNIQLO)」の登場だと思う。
平成の中盤から後半の20年間、ユニクロは常にキープレーヤーであり続け、ファッション業界の産業構造を塗り替えた。ユニクロと差別化できない企業は、事業縮小や退場を余儀なくされた。百貨店の凋落はユニクロの存在なしに語れない。服のヒエラルキーを崩し、消費者の服に対する価値観まで変えてしまった。
デフレの申し子から定番ブランドへ
ユニクロの名を知らしめたのは、1998年(平成10年)から始まったフリースブームである。
当時フリースのアウターはアウトドアブランドの専売特許で、1万円以上が相場だった。それを1900円という衝撃的な価格で売り出したのだ。同年11月に出店した原宿店ではバックヤードから運ばれたフリースが棚に置かれると同時に、客がわれ先にとつかみ取る光景が見られた。2000-01(平成12-13)年秋冬シーズンには2600万枚を販売し、ヒット商品の枠を超えた社会現象にまでなった。
97(平成9)年から2000年にかけて、時代は平成不況のどん底。山一證券や北海道拓殖銀行など大手金融機関の破綻が相次いだ。消費税率が5%に上がり、景気低迷に拍車をかけた。就職氷河期と言われるほど雇用環境も悪化した。そんなときに頭角を現したユニクロは、バブル崩壊後のデフレ時代の象徴と位置付けられていた。
しかし、ユニクロは「安さ」だけでは終わらない。品質を年々高めていき、専業メーカーのお株を奪うのである。00年代前半、あるジーンズ専業メーカーの幹部がユニクロの3900円のジーンズに対して「素材や加工感、はき心地を含めてうちの1万円の商品とレベルは大差ない」と漏らしていたのを覚えている。ユニクロは圧倒的なスケールメリットを生かした調達力で、高品質な衣料品を安く提供する。ジーンズの原価率は40%と言われていた。専門店や百貨店に卸売りしているジーンズ専業メーカーの原価率で同等の品質を実現しようとすれば、スケールメリットもなく、中間コストもかかるので、販売価格は1万円を優に超えてしまう。
インターネットの普及によって、消費者もこうしたカラクリを知ってしまった。実質賃金が上がらない中、昭和のころには根強かったブランド信仰は薄れ、広告によるイメージ訴求よりも実質本位で服を選ぶ傾向が強まった。07(平成19)年ごろ、表参道でストリートスナップをした際、おしゃれな若者に声を掛けると、ハイブランドや古着にユニクロを組み合わせているケースが非常に多いことに驚いたものだ。ベーシックで高品質なユニクロは、あらゆるスタイルに合わせやすい。そんな認識が広がり始めた。
ユニクロはファッション感度の常識も変えた。09年(平成21年)にジル・サンダー(Jil Sander)と組んで「プラスジェイ(+J)」を発売したのを手始めに、クリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)、ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)ら世界のトップデザイナーと協業してファッション業界を驚かせる。「H&M」とカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)らのコラボレーションの先例はあったものの、トップデザイナーの商品は高いお金を払わないと手に入れられないという常識を覆したのである。ユニクロがマス層だけでなく、トレンド層をも獲得する契機になった。
柳井正の「水道哲学」
10月11 日、ユニクロを運営するファーストリテイリングの2018年8月期(前期)の連結業績が発表され、売上高が2兆円を突破した。アジアを中心とした海外ユニクロ事業が国内を初めて上回ったことが話題になったが、特筆すべきは国内ユニクロ事業がいまだに成長していることである。すでに日本中の津々浦々にあるユニクロの既存店売上高が6.2%増。他社が過剰供給によって既存店売上高の減収、値引き乱発による利益悪化に歯止めがかからない中、異次元の強さを見せる。
前期の国内ユニクロ事業の売上高は8647億円だった。16年の日本のアパレル市場規模の約9兆2202億円(矢野経済研究所調べ)から単純に割り出すと、金額ベースでのシェアは約9.4%になる。一方、数量ベースでのシェアは、日本で供給されるアパレル(年間約39億点)のうち15%前後とみられる(弊紙推定)。言い換えれば、家庭のタンスに100点の衣料品があれば15点はユニクロということになる。あくまで平均なので、2割、3割を超える家庭もあるのではないか。クルマや電化製品とは異なり、プレーヤーが無数にいる衣料品において前代未聞のシェアである。
10数年前にファーストリテイリングの柳井正・会長兼社長を取材した際のコメントが印象に残っている。「服はファッション性が全てではない。そんなことに興味がある人はごく一部。服に興味がない人がストレスなく楽しめるのが本当に良い服だ」――。
ユニクロがこれだけ成長した最大の理由は、この「服に興味がない人」というターゲット設定にある。アパレル企業は「服にこだわりのある人」を性別、年齢、社会的属性、好みのテイストなどで細分化し、ブランドを開発するのが当たり前だった。一方、柳井氏は、ファッションのことなど考えたくない、あれこれ選ぶこと自体がストレスと感じる消費者の方が大多数であると見極め、彼らに売る戦略を考え抜いた。このコペルニクス的転回に比べれば、低コストの中国で大量に作って低価格で売るというのは、副次的な手法にすぎない。
10月30日の日経電子版によると、柳井氏はパナソニックの創業100周年記念イベントで講演し、パナソニック創業者の松下幸之助について「自身の経営の『教科書』だと指摘」したという。柳井氏は常々、尊敬する経営者として松下幸之助とホンダ創業者の本田宗一郎の名前を挙げている。いずれもイノベーションで戦後の日本人の生活を豊かにした経営者だ。ファーストリテイリングも企業理念として「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」と謳っている。講演で柳井氏は「(幸之助の)『水道哲学』も、ファストリが掲げる、世界中の誰もが着られる普段着=『ライフウエア』に引き継がれている」と共感を示したそうだ。
水道哲学とは、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することで、物価を下げて大衆の手に容易に行き渡るようにしようという松下幸之助の経営思想である。
確かに今やユニクロは水道の水、あるいは電気やガスのような生活インフラになっている。電気、ガス、水道にターゲットなどないように、ユニクロも老若男女、お金のあるなし、ファッションへの関心の有無を問わない。インフラだから、なくなれば多くの人が困ってしまう。
フリースブームから20年。デフレの申し子と言われたユニクロは、衣料インフラという独自のポジションを築き上げた。平成の時代の終わりに、気がつけばみんなユニクロを着ている。