現在29歳の宮内祐太郎デザイナーが手掛ける「ブラン ワイエム(BLANC YM以下、ブラン)」が徐々に卸先を広げている。文化服装学園を卒業後、2年間の準備期間を経て2015年春夏シーズンにブランドを設立。現在はメンズウエア10〜15型を発表しており、19年春夏シーズンは個店を中心に15アカウント前後で扱われる予定だ。
ベーシックなウエアにひねりを加えたデザインを得意とし、一見するとベーシックでクリーンなウエアだが、素材やパーツなどのディテールには一風変わったこだわりがある。袖を通した際の心地良さも特徴で、男性に限らず女性の顧客も多いという。宮内デザイナーはブランドや企業に属したことがなく、特定のブランドやデザイナーに影響を受けたこともない。ジャンルを問わず、フラットに好奇心を注いできたからこそ育まれたバランス感覚を武器に、ブランドを着々と成長させている。仏語で“白”“空白”を意味する「ブラン」のコレクションに込められた宮内デザイナーの個性に迫る。
WWD:ブランド設立のきっかけは?
宮内祐太郎デザイナー(以下、宮内):中学から高校時代にかけてファッションに目覚め、いつしか漠然とデザイナーになりたいと思うようになっていた。文化服装学園在学中から自分のブランドを持ちたいと考え、卒業して2年後に「ブラン」を立ち上げた。
WWD:いきなりブランドを始めて苦労も多かったのでは?
宮内:ファッション関係で働く友人の手伝いや深夜のアルバイトで稼ぎ、デビューシーズンは4型のサンプル制作費と合同展の出展料だけでなんとか立ち上げた。合同展で運良く2店舗への卸が決まり、それがモチベーションとなって本格的にブランドとしてやり始めた。
WWD:これまで影響を受けたデザイナーは?
宮内:特に憧れていた人がいるわけではない。高校時代は裏原系のファッションを着ていたし、その後は「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」や「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」「ルメール(LEMAIRE)」や古着など、ジャンルを問わず満遍なく好きだが、影響を受けたかと言われるとちょっと違う。とにかくファッションそのものが好きで仕方なかった。
WWD:「ブラン」はどのようにデザインしている?
宮内:自分のワードローブを作る感覚。必然的にリアルクローズに近くはなるが、少しのアレンジで強い独自性が出せるように意識している。例えばクラシックなチェスターコートに柔らかくて軽い素材を使ったり、大きめのくるみボタンを付けたり、定番のポロシャツをシャギーで作ったりして違和感を出すのが「ブラン」のこだわり。一点一点に実はうんちくはあるけれど、見たとき、着たとき、触ったときにエモーションを喚起できる服でありたい。
WWD:メンズファッションでは特に直感的なわかりやすさが求められる現在において、その微差にこだわる理由は?
宮内:今のメンズは似たようなブランドが多い。もともと僕はグラフィックや派手さで勝負するタイプではなく、個性を最大に発揮できるのがたまたまわずかな差だったというだけ。素材やディテールで積み重ねた微差が、袖を通した時に心地よい違和感として感じられる服が自分自身でも好きだ。ゼロからデザインしているというよりも、編集している感覚に近い。
WWD:差違の一つである素材使いも特徴だが、経験やツテがない状態からどのように素材を見つけた?
宮内:最初は何もわからなかったので、まずはウールが有名な尾州産地にある施設「テキスタイル マテリアルセンター」に「ブランドを始めたいんですけど」と問い合わせてみた。飛び込みの連絡だったし、実績も何もない状態だったのでさすがに難しいだろうと思っていたが、「とりあえずこちらに来てみてください」と言ってもらえた。現地では生地屋や工場を紹介してもらい、1日に3〜4軒巡った。素材についてはもちろん、機屋とのやりとりなどいろいろ学んだことが今のベースになっている。
WWD:今後の目標は?
宮内:ブランドを成長させるには当然ビジネスを伸ばしていかないといけない。感情とビジネスのバランスをうまくとっていけるかどうかが大切だと思っている。それとこれまで1人でやってきたので、営業やPRなどはなかなか手が回らなかった。18-19年秋冬シーズンからは外部PRも付けたので、「ブラン」の世界観をもっと広く発信していきたい。まだまだ知名度は低いが、これから力をつけて有名になっていくことが、今の顧客への最大の恩返しだと思っている。