私がパリ・ファッション・ウイークを取材するようになって25年が経った今でもなお、川久保玲へのインタビューには畏敬の念を抱く。そして、これはまだ私にとって3回目でしかない。
もう随分前に「WWD」の姉妹媒体である「Wマガジン」のために行った1回目は、彼女からチャーミングで打ち解けた印象を受けた。
2回目は、2000年5月。彼女がハーバード大学デザイン大学院(HARVARD UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL OF DESIGN)からの賞を受賞し、当時メトロポリタン美術館(METROPOLITAN MUSEUM OF ART)のコスチューム・インスティチュート(COSTUME INSTITUTE)の研究休暇中であったハロルド・コウダ(Harold Koda)によってオーガナイズされたイベントのためにマサチューセッツ州ケンブリッジを訪れた時だった。その時の彼女は1回目とは異なり、距離を置いた感じだった。
そして今年5月、川久保は夫であり彼女の通訳も務めるエイドリアン・ジョフィー(Adrian Joffe)=コム デ ギャルソン インターナショナル最高経営責任者(CEO)兼ドーバー ストリート マーケットCEOとともに、ニューヨークにいた。今回の旅は、ノグチ美術館からの名誉ある受賞を中心としたもの。滞在中、美術館でのガラではブレット・リットマン(Brett Littman)館長との簡単な質疑応答セッションに参加し、さらに45分間と事前予告されたこのインタビューに応じた。自身のことを作品に語らせることで知られる彼女にしては珍しいことだ。
ファッション業界内でさえ川久保のことを詳しく知っている人は少ないけれど、今回は彼女らしく素っ気なくも、とても親切かつ協力的だった。彼女は慎重に質問に答え、誤解を招かないようにジョフィが正確に訳したかどうかを何度か確認する場面があった。その中には、彼女のビジネスに対する姿勢にまつわる発言もあり、「私がビジネスを築く方法としてファッションを使ったのは偶然で、ファッションデザイナーになるという決意ではなかった。それは、ビジネスのための素材だった」や「念のため言っておくと、私のビジネスはクリエイション、製造、販売だ。もし販売するつもりがないのなら、商品を作るのは無駄なこと」と話した。
今年は「コム デ ギャルソン」設立50周年
彼女が語るのは、自身を駆り立てるものや、小売店がリスク承知で勝負していた日々、1+1を見事な3に変える方法といったさまざまなこと。そして、そこには“仕事は骨の折れるような日々の作業である”という、皆との共通点がある。
彼女のクリエイティビティーは、多様な美や幻想、不安、不協和音、そして時に醜ささえも感じさせ、しばしば混乱を招きつつも常に説得力を持った独創的かつ視覚的な驚きの中に現れる。ある意味抽象的で強い意志が込められたクリエイティビティーを刺激するものは何なのか?
その現実離れした志向は、純粋な情熱のあるところから生まれることを前提としている。クリエイターは、自身の情熱的な表現を通してクリエイティビティーを形にせざるを得ないのだ。
そうした前提は川久保との会話、そして彼女のアウトプットの根底にある。その優れた才能は、審美的インパクトがある作品全体だけでなく、革新的なアイデアを具現化し、ランウエイに落とし込むという卓越したスキルにおける、気が遠くなるほどに考え抜かれた彼女のアプローチに根ざしている。それゆえ、川久保はこの半世紀のあいだ、ファッションの愛好家たち、つまりファッションが理知的挑戦と心を揺さぶることができると信じる人々に世代を超えて畏敬の念を抱かせてきた。
しかし、初期のジェンダーの探求からパンクやキャンプ、結婚、死に至るまで知的かつ芸術的な思考の全てにおいて、川久保は自身の創造の源泉を美化することを拒んでいる。
若い頃、テキスタイルメーカーに就職したことがきっかけで、彼女はファッションビジネスの世界に入った。やがて、会社でスタイリングの仕事をするようになり、自分の求めるアイテムが見つからなかった時に服作りをスタート。その経験が、目的を伴ったクリエイティブな将来の道筋をもたらしたのだ。そして、その目的はただセンセーショナルな服を作ることでは決してなかった。最初からずっと川久保は独立を模索し、そのための道筋をファッションに見出した。彼女を導いたのは、“今まで見たことのない服”というニッチな手法だった。
少なくとも川久保自身の見解としては完璧ではないが、それはうまくいった。主として取り組んでいる驚異的な作品制作のための尽きることのないような能力への畏敬によって大勢の人々から崇拝され、彼女は業界の頂点に登りつめたかもしれない。しかし、「それはビジネスのイメージでしかない」と川久保。「“今まで見たことがない服を作る”という中核的意味においては、たくさん売れるものではないから成功しているとは考えていない。もしメインである『コム デ ギャルソン』のコレクションだけに依存していたら、会社は倒産していたかもしれない」と明かした。
そのプロセスは、時を経ても簡単になることはない。実際のところ、「新たなことに取り組めば取り組むほどに新しさを感じられるものは少なくなるので」、クリエイティブ面における計算式はより複雑になるだけだ。そのため、彼女は商品のみならず、小売りにおける戦略的イノベーションの発展をもクリエイティブに推し進めることに注力している。それは全て、驚くほど長く今なお続く道の一部だ。「コム デ ギャルソン」設立から50年を迎え、川久保はこれまでラルフ・ローレン(Ralph Lauren)のみだった半世紀を超えて活躍する創業デザイナーという偉業を成し遂げた。彼女はその事実を大して気にしていないと言うが、紛れもなく“唯一無二の存在”と称するにふさわしい人物だ。
インタビューの全文は「WWDジャパン」7月22日号に掲載している。
JUN YABUNO:1986年大阪生まれ。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後、「WWDジャパン」の編集記者として、ヨーロッパのファッション・ウィークの取材をはじめ、デザイナーズブランドやバッグ、インポーター、新人発掘などの分野を担当。2017年9月ベルリンに拠点を移し、フリーランスでファッションとライフスタイル関連の記事執筆や翻訳を手掛ける。「Yahoo!ニュース 個人」のオーサーも務める。