新型コロナウイルス感染拡大に対する非常事態宣言が首都圏でも解除され、商業施設や街は少しずつにぎわいを取り戻しつつある。ただし、拡大第2波への懸念が広がっている自治体もあり、引き続き生活には不安が伴う。予防措置に手を尽くしつつ、いかに消費を取り戻し、経済を前進させていくか。国際政治学者で、テレビ番組のコメンテーターなどとしても活躍する三浦瑠麗・山猫総合研究所代表に、日本や世界の今後について聞いた。三浦代表は今回、コロナショックに苦しむアパレル小売りの事業者がスタートした署名・陳情活動を、政・官につなぐ役割を果たした人物でもある。(【上】はこちらから)
WWD:コロナショックをきっかけに、日本と世界はどう変わっていくと見ているか。
三浦瑠麗(以下、三浦):最新の抗体検査の結果を見れば、新型コロナウイルスによる東京での致死率は0.2%程度とインフルエンザとさほど変わりません。とすれば、新型コロナによる死者数は例年の肺炎全体の死者数にはまるで届きません。感染予防のために経済を止めることはかえって大きな被害を出すことになると思います。でも、一旦自粛に舵を切ってしまった世の中は、180度の転換がなかなかできません。自粛側に切ったハンドルをすぐには戻せないために、長期にわたって消費を冷やしてしまうことになる。日本経済はこれから少なくとも2、3年は苦しい状況になると見ています。アメリカ経済が回復しても、日本経済が回復するのは半年遅れでしょう。トランプ大統領は経済を再開したがっており、欧州各国ももはやロックダウン継続に堪えきれなくなっていますが、現実的に言って、今後2、3年は消費は完全には戻らないということです。
苦しい時期が続くとは言え、その中でいいことがないわけではない。例えばSDGsについては、倫理の面からも注目が集まると思います。人間が経済活動を停止したら突然環境がよくなったと報じられていますね。また、エシカルな消費もより広がるでしょう。ここ数年、スピリチュアルなものが関心を集めやすくなっていましたが、その傾向が今後5年ほど続くと思います。でも、長期的には恐らく大したインパクトを残さず、経済だけが大きく落ち込んだ時期として記憶されるのではないでしょうか。なぜなら9.11(2001年のアメリカ同時多発テロ)の直後は世界がガラリと変わると思われましたが、今はあまり跡を留めていないです。東日本大震災も、言われたほどには日本社会を変えませんでした。そういう点から考えて、本当の意味で消費のあり方が大きく変わるとは言い切れない。あくまで5年程度に留まる変化だと思います。
もちろん、もともと動きがあったものがスピードアップするということはあります。例えばリモートワークやペーパーレス化、印鑑をなくすといった動きです。不要なものを削って生産性を上げる、あるいは地球環境を守ろうという動きは新型コロナ禍をきっかけに加速していきます。ぜいたく品が今後は好まれなくなるというような悲観をする必要はありません。ただ、先進国の人々が内向きになり、経済が落ち込んでしまうと、中国経済の影響力が強くなります。今までもすう勢としてそうだったので仕方のない部分はありますが、中国型資本主義のビジネス慣行は西側(欧米や日本)とは全く違う。そうなると、日本企業が海外でやっていこうとしたときに、今までのような西側のルールでフェアに取り引きができなくなるかもしれない。日本がこれまで享受してきた西側の特徴、例えば人権や環境への配慮といった価値を守るための取り組みが今後必要になってきます。
その取り組みの手段として、一つはトップレベルの外交が必要です。もう一つは日本のビジネスパーソン一人ひとりの努力にかかっています。ここで諦めてしまっては、縮小しつつある国内のパイをめぐってしか競争ができなくなると認識すること。海外企業による買収が怖いからといって内向きになって鎖国しても、それは日本を健全にはしません。日本は少子高齢化で内需は今後弱くなる見込みしかないわけですから、やはり長期的に海外目線を持っていないとしんどい。例えば、感染リスクを恐れてインバウンドを忌避する流れが根付いてしまったら、それは自滅への道です。
WWD:ここ数年、インバウンドの売り上げに拠ってきた部分が大きいアパレル業界としては、反中国、反グローバルといったムードの拡大には危機感を覚える。
三浦:そこはバランスなんですけどね。日本は民主主義国家なので、やはり資本主義の原理だけでは動いてくれません。資本主義の論理を優先した結果、どこかでしっぺ返しがきてしまうのも困ります。トランプ現象もそうですし、欧州各国で排外主義の風が強くなったことにも表れています。民意を無視せず、同時に適切な知識を提供していかないといけない。現代のサプライチェーンは複雑です。一部を除いてはそう簡単に組み換えができないし、そもそも日本固有の文化や産品と思い込んでいたものが、実は外国人労働者の労働力によって供給されているといった場合もある。それは知識を得て想像力を働かせないと分かりません。今の生活を完全に諦めるのでない限り、海外とのつながりを絶つことはできないんだと伝えていかないといけませんよね。
WWD:「9.11も東日本大震災も世界を変えなかった」という話だが、コロナを機にさらに盛り上がっているサステナブルの意識も、一過性なのか。
三浦:テクノロジーの導入、環境意識の高まりなど、不可逆的な流れはもちろんあると思います。しかし全般的に見て、新型コロナ危機が大きく経済構造を変えるということはないと思います。例えば、途上国の労働力に頼りつつ、先進国が高付加価値の商品を作って消費者に売るという構造自体はなくならないし、アパレル商品は季節もので、今ある在庫が来年は無価値になるといったモデルも大きな枠組みとしては変わらないと思います。でも見せ方や伝え方に工夫の余地はありますよね。「ある工法が自然や生物を傷付けているので、それをやめました」といった、サステナブルであることを意識したメッセージなどのことです。サステナビリティとは直結しませんが、外出自粛で着心地のよさなどにもフォーカスが当たりました。そういったことも今後5年は重視されるんじゃないですか?でもそれも、結局は「今年は○○がトレンド」といった流行の話と大きく変わらない。だから根本的な変化とは言えないと思います。
WWD:落ち込んだ消費意欲を取り戻すために、何が必要だと考えているか。
三浦:いかに消費者に不要な罪悪感なしに、消費意欲を取り戻してもらうかが大切です。災害の後にはストーリー性があるものにお金を使いたくなるという傾向があります。作り手を助けているんだと考えるとみんな罪悪感なく消費できる。アパレル業界はこれまでも、女性のエンパワメントや児童虐待の問題など、社会性のある問題に取り組み、そうしたメッセージをキャンペーンなどに取り入れてきたと思います。今回明らかになった価値、ストーリーは何かということにフォーカスしていくことが重要ですよね。「私はこういう感覚を今身にまといたかったんだ」と思ってもらえることが大事だと思います。ファッション誌も今はどこもしんどいでしょうが、災害後は今まで誌面で言ってきたことが上っ調子に聞こえてしまうこともある。もともと資源を大量消費してきた業界が唐突に非常にエシカルな方向に振っても、世の中はついていきません。そこは寄り添い方の工夫というか、加減が大事なんだと思います。
消費の満足感は倫理的な充足感を含んでいます。今後はよいものを手にすることと、おトクであること、エシカルであることがセットになったときに、消費行動が加速していく。これこそがESG(環境、社会、ガバナンス)投資の本質です。現時点ではその経済合理性は少なくても、より多くの消費者がエシカルな側面を重視するようになれば将来的に理に適う。だから投資する。コロナで交流や接触を控えていることで、人肌が恋しくなって、人を思いやるということ自体が欲望の対象になっています。人を思いやりたいという衝動が、ひいてはESG投資を加速させる。人が恋しいという人間の自然な気持ちに寄り添っていけば、長期的に見ればお客さまは必ず戻ってくると思います。ただし、インバウンドはしばらく戻らないので、やはり日本人同士での助け合いや消費は意識的に喚起しないといけません。
WWD:コロナを機に、これまで政治に関心のなかった層の間でも政治意識が高まっている。
三浦:休業で多くの人に時間ができたことと、政治が自分事化したことが大きいと思います。政治とは利益配分なので、薄く広くしか配分を受けない人は関心がない。これまで、日々忙しくしている人にとっては、「政治って何をやっているの?」というのが普通の感覚だったと思います。新型コロナによって一律10万円給付のように配分を受ける対象が全ての人に広がったと共に、政府が対策に失敗したら自分にも被害が降りかかってくるということから、政治が自分事化しました。ところが、私の主宰するシンクタンク、山猫総研の調査では、失業不安を抱えている層はあまり政治化していないんです。経済が打撃を受ける中で、労働者の約半数は失業不安を抱えています。その人たちが野党を応援したり、与党に文句を言ったりしてもよさそうですが、その層の政治意識は高まっていない。つまり、今本当に困っていてもがいている人は政治化していないんです。多少残業代は減っても、そこまで生活に影響のないような人が政治化している。そんなふうに、比較的余裕のある人の声ばかりが政治に反映されてしまった結果、本当に困っている人の声が気付かれないことの方を私は懸念しています。
新型コロナ危機並みに国民の政治意識が高いというのも不健全です。危機になると政治意識が高まるというのは、大恐慌でファシズムが出てきた時代と同じです。国民が政治化すれば必ずしもハッピーな結末になるとは限らない。ファッション業界ではないですが、日ごろはお上に頼らない姿勢の方が健全なんです。もちろん対策について意見を言うことは重要です。せっかく多くの人が政治に関心を持ったのだから、今後も情報を収集し、声を上げていくことはいいと思います。とは言え、繰り返しになりますが政治は利益配分であり、ときに暴力なので、政治の領域を増やせば増やすほどいいかというとそういうものではありません。
WWD:新型コロナの話からは少し離れて、ファッション業界紙としては三浦代表の普段のファッションの楽しみ方についても聞きたい。
三浦:メディアに出る際もスタイリストさんは付けたことがなく、衣装は全て自分で調達しています。買い物は以前はデパートが中心でしたが、最近は路面店にも行くようになりました。行きつけのブティックだと好みに合いそうなものを取りおいていただけるので、効率がいいですね。買い物に出掛けた際は7~8着を試着して、合うものを全て買ってくるといった感じ。よく買うのは「ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)」「グッチ(GUCCI)」「ディオール(DIOR)」。大半は「ドルチェ&ガッバーナ」です。好きな理由は着やせするから(笑)。出るところは出て、締めるところは締めるデザインゆえだと思います。体形に合わないので、日本ブランドはあまり着てきませんでした。肩幅が入らない、肋骨部分が当たるといったことがイタリアブランドだとありません。あとは「エスカーダ(ESCADA)」も好きかな。ファッションとの出合いは兄が買ってきてくれた雑誌の「セブンティーン(SEVENTEEN)」ですかね。自分で服を買うようになったのは大学に入ってから。「エスカーダ」や「ダナ キャラン(DONNA KARAN)」を着るようになって、初めて自分の体形にフィットする服に出合い、「全然違う!」と感じました。当時から気に入らないものをたくさん買うよりは、気に入るものを少しだけ買いたいと思うタイプでした。
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WWD:緊急事態宣言が明けても、すぐには以前のような売り上げは期待できない。アパレル業界関係者の多くが「本当に大変なのはここから」と口にしている。業界に向けてメッセージを。
三浦:ファッションは不要不急とされたことに、どうか気を落とさないでほしいです。不要不急という言葉は暴力的で、そういわれた製品を作っている人、売っている人の生活を度外視している。人が何のために生きているのか、何のために仕事を頑張るのかと考えると、おしゃれをして食事をし、大切な人と談笑する、そういったことが私たちを人間たらしめています。ファッションは不要不急と言われたら確かにそうかもしれませんが、それは本質ではないと発信していかなければならないと思います。仕事であれ趣味であれ、人間は誇りを持たないと生きていけません。だからどうかみなさんも誇りを忘れずにいてくださいとお伝えしたいです。私も買い物に行きますし、それが21年以降の経済を作っていく。バッシングされるようなことはしていないと胸を張っていただきたいです。