“ギャル”ブランドの代表格であり、1996~2000年代のセクシーカジュアルブームの中、渋谷109店で月商1億円を誇った「セシルマクビー(CECIL MCBEE以下、セシル)」(ジャパンイマジネーション、木村達央会長兼社長)が年内を目途に全43店を閉鎖する。87年にスタートした「セシル」は、90年代以降の日本のファッション産業そのものを象徴する存在の一つだったとも言える。木村会長兼社長に「セシル」閉店について聞いた(ジャパンイマジネーションが「セシル」閉店と併せて描くグループ事業再構築策や、「セシル」が克服できなかった課題については「WWDジャパン」7月27日号で詳報予定)。
WWD:基幹の「セシル」など8ブランド(うち1ブランドは子会社による「ナイン(NINE)」)の計92店舗を閉店し、「アンクルージュ(ANK ROUGE)」「スタニングルアー(STUNNING LURE)」など4ブランドを存続させることになる。
木村達央会長兼社長(以下、木村):「清算」「解散」「廃業」など、世の中にはさまざまな言葉があるが、それらは当てはまらない。ましてや「倒産」でもない。日本語の「リストラ」ではなく、英語の「リストラクチャリング(事業再構築)」だ。ただ、コロナショックもあって、このままだとちょっと危ないというのは事実。だからこそ、そうならないうちに事業を再構築する。退却できる部分は退却し、成長できる部分を残そうと考えた。「(アパレルは)時代対応業」という言葉を昔からよく使ってきたのに、それを自社として体現できなかったことは反省している。
WWD:社員は現570人を、約70人(どちらも子会社含まず)に絞ることになる。
木村:今の時代はECもあるが、小売業は実店舗の販売員の力に支えられてきた。500人のうちの大部分は若い世代の販売員だが、できる限り手厚い再就職支援を行う。会社として人材紹介企業と契約し、必要に応じて相談に乗るようにしている。もちろん、最後まで給与の支払いもするし、退職金も条件通り出す。取引先への支払いも同様だ。社内にはかなり前から業績は包み隠さず話してきた。7月20日にメディアで事業再構築を公表したが、1カ月前から各地域をまわって店長には説明をし、その後は主要取引先や出店先も訪ね歩いた。関係者の方で、事業再構築についてメディアを通して初めて聞いて驚いたという人はいないはずだ。
WWD:ファストファッションの影響は大きかったが、やはりコロナショックがダメ押しとなった?
木村:きっかけがコロナであることは間違いない。ただ、「セシル」の時代が終わったということはもうずっと前から感じていた。ブランドには、旬な時代というものが僕はあると思う。「セシル」はブレークしてから26年経つが、ブレークからの10年は右肩上がり、その後の10年は1店あたりの売り上げは落としつつも余力でやっていた。ただ、この数年の売り上げは苦戦していた。アパレル一般の話として、9、10月は秋冬物の仕入れ時。店頭売り上げが回復しない中で、デベロッパーによっては家賃を平常に戻すという動きもある。そうなると、9、10月は資金的にかなり苦しいと感じる会社も増えるのではないか。本当に大変なのはこれから。当社のようにグループで92店を閉鎖という規模はさすがにあまりないだろうが、20~40店を閉めるという話は業界内でも聞こえてくる。
WWD:「セシル」は歴史も長くブランド認知度も高い。事業譲渡という形もあり得るのでは。
木村:現時点では決まっていることはない。今後もジャパンイマジネーションは「セシル」の商標権を持ち、サングラスや水着などのライセンスの管理は行う。ただ、(事業譲渡などによって)「『マルキューのセシル』とは違う、『新しいセシル』をやらせてほしい」という外部からの声はある。「新しいセシル」を広げていくことは僕の力ではできないが、将来そういった可能性はあると思っている。
WWD:日本のファッションビジネス史に大きく名前を刻んだブランドだったと思う。改めて、思い出を振り返ると。
木村:ピークの時代のお客さまからの圧倒的な支持は忘れられない。地方に「セシル」をオープンすればかなりの行列ができ、救急車が出動するような事態もあった。セールや福袋の販売時もビックリするくらいお客さまに来ていただいて、渋谷109の福袋の販売では宮益坂まで行列が続いたこともあった。時代はここで変わる。コロナを経たニューノーマルには、「セシル」が表現してきたようなモノとは全く異なるモノが求められる時代になるという予感が強くしている。ただ、渋谷109のブームの前には丸井がけん引した平成ブランドブームがあったし、その前は渋谷パルコなどによるDCブランドブームがあった。だから、次の時代には次の時代のヒーローやヒロインが必ず出てくる。そうデベロッパーにも伝えている。