ファッション

有機的なデザインで業界をリードし続けた「ティファニー」のエルサ・ペレッティを偲ぶ

 「ティファニー(TIFFANY & CO)」のアイコニックなジュエリーといえば、“オープンハート”や“ビーン”などを思い浮かべる人が多いだろう。それらをデザインしたのはエルサ・ペレッティ(Elsa Peretti)だ。彼女はイタリア・フィレンツェで1940年5月1日に生まれ。スペインでモデルとして活躍した後に米・ニューヨークに渡り74年にティファニー入社。50年以上にわたり、「ティファニー」の数々のアイコンをデザインしてきた人物だ。彼女は3月18日に、スペイン・バルセロナ郊外の村で80歳で死去した。彼女の有機的で官能的なフォームのジュエリーは業界に革新をもたらし、今でも永遠の定番として多くの人々に愛され続けている。また、彼女は、父への献身として「ナンド・アンド・エルサ・ペレッティ」という財団法人を創設し、環境や社会福祉、人権保護、芸術や文化の継承を援助する活動を行ってきた。彼女のクリエイションはもちろんのこと、人徳の高さを偲ぶ人は多い。

 モデルとしてキャリアをスタートしたペレッティは、70年代にニューヨークに移り、「ホルストン(Halston)」のデザイナーであるロイ・ホルストン(Roy Halston)のミューズ的存在で、ティファニーに入社したのは彼の紹介だという説がある。伝説のナイトクラブ「スタジオ54(STUDIO 54)」の常連であり、ファッション・アイコンでもあったペレッティ。ローマでインテリア・デザインを学んだ影響か、彼女のジュエリーデザインのアプローチは極めて彫刻的。代表作の数々は日常、身の回りに見られるものからインスピレーションを得たものが多い。彼女の代表作の“ボーン”カフは、右手、左手でフォームが異なり、サイズも幾つかある。ジュエリーでサイズがあるのはリングくらいと思っていた私だが、“ボーン”カフの話を聞いたときは驚いたものだ。ペレッティとの作品の出合いが、私の「ティファニー」の扉を大きく開いたといったといっても過言ではない。

“ジュエリー=装飾”ではなく人々の日常を彩るジュエリー

 彼女は、ブライダル用かクラシックなジュエリーに使用されるダイヤモンドを日常に着用するジュエリーとしてデザイン。それが“ダイヤモンド バイ ザ ヤード(以下、DBY)”だ。素肌に軽やかに輝きをまとうかのようにデザインされた“DBY”は、一粒のダイヤモンドから複数ダイヤモンドがセッティングされたものなど幾つかのバリエーションがあり、予算により選択ができるのも魅力だ。ペレッティのジュエリーの素材はシルバー、ゴールドなどさまざま。ラッカー仕上げのインテリア小物などもある。“ジュエリー=装飾”という概念からではなく、人々の日常を彩るジュエリー、そしてオブジェなどをデザインしたのがペレッティだ。70年代の彼女の写真を見てみると、彼女自身のスタイルと卓越したクリエイションの背景がうかがえる。彼女のファッションだけでなく彼女を取り巻く環境、例えばデスクなどのインテリア。私は当時の写真を見て、「こんな環境にいれば、すばらしいクリエイションができるはずだ」と納得したものだ。

イタリア生まれ、芸術肌の肝っ玉母さん

 彼女の魅力は、その卓越したクリエイションだけではない。彼女を追悼する声には、人間性のすばらしさ、そして寛大さに対する数多くのコメントがある。彼女は、家族や友人をはじめ、芸術、文化、コミュニティーに対してきめ細やかに気を配り、それらを守る活動をしてきた。私が想像するペレッティは、スノッブな元モデルではなく、イタリア生まれ、芸術肌の肝っ玉母さんだ。彼女は、持って生まれた究極のスタイルを持ちつつ、あらゆる人々が手に取ることのできるジュエリーをデザインしたと同時に、クリエイションを通して人生における喜びを表現し続けた。だからこそ、彼女のジュエリーは普遍的であり、多くの人々を惹きつける力強いパワーがみなぎっている。ペレッティは亡くなったが、彼女の作品は、今後も永遠に生き続ける。ここでは、米「WWD」から抜粋した業界関係人の追悼を紹介する。

ペレッティの作品は時代、地域、世代を超えて愛され続ける

 「ティファニー」を昨年、150億8000万ドル(約1兆6286億円)で買収したベルナール・アルノー(Bernard Arnault)LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン会長兼最高経営責任者は、「ペレッティの死はとても悲しいことだ。彼女は驚くべき女性で、彼女のクリエイティビティー、ビジョン、大胆さ、そして優雅さを賞賛していた。彼女には、想像を超える才能と先見の明があり、彼女の作品は時代、地域、世代を超えて愛され続ける。自称“クラフツウーマン”と言っていた彼女は『ティファニー』の半世紀にも及ぶ成功に貢献した。彼女は寛大な人物で、環境問題や人権、教育、アートや文化などの援助を積極的に行った。われわれLVMHグループを代表し、ティファニーで彼女と働くことができた幸運な人々をはじめ、彼女の家族や友人にお悔やみを伝えたい」と述べた。

 インスタグラムでは、ぺレッティの長年の友人であった女優のイザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)が、「最も寛大な友人で、ものすごい知性の持ち主だった。インスピレーションと才能に溢れた良きメンターよ、さようなら」とコメントしている。

 「ティファニー」で17年から昨年までチーフ・アーティスティック・ディレクターを務めたリード・クラッコフ(Reed Krakoff)は、「エルサはジュエリーだけでなく、女性の装いにも大きなインパクトを与えた。彼女は彫刻、アート、ジュエリーの間を行き来しながらアイコニックなデザインをしただけでなく、それを実現する技術開発をしたのは驚くべきことだ。“DBY”は、Tシャツとデニムに合わせるカジュアルなダイヤモンドとして登場し、ダイヤモンドの装い方を変えた」と語った。

 18年から「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」の宝飾・時計部門のアーティスティック・ディレクターを勤め、それ以前に「ティファニー」でジュエリーのデザインチームを率いていたフランチェスカ・アムフィテアトロフ(Francesa Amfitheatrof)は、「セント・マーチン美術大にいたとき、どんなキャリアを積みたいかと聞かれて、『ティファニー』のエルサ・ペレッティになりたいって答えたわ」とコメントしている。

 親族によると、ペレッティは老衰で死去したということだ。彼女は68年にスペイン・バルセロナ郊外のサン・マルティ・ヴェル村に家を購入し、亡くなるまで周囲野村の修復に投資してきたという。類稀な才能を持ち、人生の喜びと有機的な美を表現し続けてきたペレッティの死を惜しむ声は絶えない。

関連タグの最新記事

最新号紹介

WWDJAPAN Weekly

リーダーたちに聞く「最強のファッション ✕ DX」

「WWDJAPAN」11月18日号の特集は、毎年恒例の「DX特集」です。今回はDXの先進企業&キーパーソンたちに「リテール」「サプライチェーン」「AI」そして「中国」の4つのテーマで迫ります。「シーイン」「TEMU」などメガ越境EC企業の台頭する一方、1992年には世界一だった日本企業の競争力は直近では38位にまで後退。その理由は生産性の低さです。DXは多くの日本企業の経営者にとって待ったなしの課…

詳細/購入はこちら

CONNECT WITH US モーニングダイジェスト
最新の業界ニュースを毎朝解説

前日のダイジェスト、読むべき業界ニュースを記者が選定し、解説を添えて毎朝お届けします(月曜〜金曜の平日配信、祝日・年末年始を除く)。 記事のアクセスランキングや週刊誌「WWDJAPAN Weekly」最新号も確認できます。

@icloud.com/@me.com/@mac.com 以外のアドレスでご登録ください。 ご登録いただくと弊社のプライバシーポリシーに同意したことになります。 This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

メルマガ会員の登録が完了しました。