老舗アパレル、レナウンの破綻(20年5月)から1年。
元社員たちはようやく当時を冷静に振り返ることができるようになった。「社内は『歴史のあるアパレルだから大丈夫』という感じで、危機感が全くありませんでした。自分自身も、どこかでそんな風に思っていたかもしれません」。
そう話すのは吉田修太郎さん(仮名、23)。19年4月に新卒でレナウンに入社した。20年10月、関西のアパレル・小泉グループへ主力事業を譲渡するタイミングで希望退職。アパレル業界でのキャリアを歩み始め、わずか1年余りで道が閉ざされた。大学時代から「洋服が中心の生活」を送った吉田さんは、就職活動でもアパレルが第一志望。「長く愛せる洋服の素晴らしさを世に広めたい」。そんな思いで、レナウン入社を選んだ。
WWDジャパン(以下、WWD):改めて、就職活動を振り返ると?
吉田修太郎(以下、吉田):就活を始めた当初は、レナウンという会社自体を知りませんでした。出合いのきっかけは、大学の就活支援講習会。自分が自信を持って人に薦めれるような、マジメなモノ作りをしている会社を探していたんですが、「アパレル業界ってチャラチャラしているんだろうな」というイメージもどこかにあって。落ち着いて紳士的に振る舞うレナウンの採用担当者がかっこいいなと、一目惚れしました。採用面接でも、真摯に自分の個性や人柄を汲み取ってくれようとしていましたね。他の大手アパレル、セレクトショップも視野に入れていましたが、迷いなくレナウンに決めました。
19年4月、入社式で周りを見渡すと、先輩社員は「ダーバン(D’ARBAN)」のスーツに身を包み、「心の底からファッションが好きそうな人ばかり」。業界を見渡せば、給料がもっといい会社はある。それでも、レナウン決めた同期たちに親近感を抱いた。「やってやろう」。吉田さんのモチベーションも高まっていた。
WWD:最初の配属は?
吉田:都内の百貨店の紳士服売り場でした。僕と歳のほど近いチーフ(店長)が親身に陳列や接客、在庫管理をていねいに教えてくれました。人を大切にしてくれる企業ということを、現場でも改めて感じました。
WWD:やりがいはあった?
吉田:それは、正直「イエス」とは言えません。若手が意見を発する機会は、ほとんど与えられなかったように思います。新作の展示会では、キャリアや階級を問わず、商品について思ったことを自由に書いて意見できたんですが、この仕組みも形骸化していました。僕がしたためた意見は、一度も反映されませんでした。
「意見が悪かったんじゃない。企画のやつらが気にしているのは新宿伊勢丹みたいな、業績がいい売り場だけだから」。閉店後の売り場で落胆していた吉田さんは、当時のチーフに肩をたたかれ、そう励まされたという。
デジタルを軽視 危機感もない現場
WWD:19年秋には「ダーバン」「アクアスキュータム」の新レーベルをスタートするなど、新しい動きも見られた。得意としてきたテーラードスーツではなく、カジュアルなセットアップを打ち出したが、目立った業績改善にはつながらなかった。
吉田:僕を含む若手の受け止めとしては、「ようやくか」という感じでした。(新レーベルが振るわなかったのは)いいものを作れるし、自分たちの商品が好きで真摯に売れる人はたくさんいるけれど、その魅力を届けるための手段を考えなかったからだと思います。僕の上司を含め、社内の上の人たちはSNSでのプロモーションやECをオマケだと考えていて、全くやる気が感じられませんでした。
20年初頭から、レナウンを取り巻く状況は急激に悪化する。新型コロナの国内感染拡大が本格化し、店舗売り上げは大きく落ち込んだ。3月に発表された12月期業績は67億円の赤字。親会社の中国・山東如意科技集団からの売掛金(53億円)未回収問題も影を落とした。
WWD:社内はざわついていた?
吉田:退職の準備を始める人もちらほらいましたが、「雪崩を打って」というほどではありませんでした。やはり心のどこかで老舗だから、大企業だから大丈夫だろうという気持ちがあったのでしょう。
とどめを刺したのは、20年4月から5月にかけての「緊急事態宣言」の発令。全国の商業施設が休業し、百貨店やショッピングセンター向けブランドが大半のレナウンはなすすべがなくなった。
そして5月15日、勤務中の吉田さんに友人から、インスタグラムで1通のダイレクトメッセージが届く。「テレビに出ているの、お前の会社じゃないの?」。
吉田:すぐにネットニュースを開きました。最初は自分の目を疑いました。「冗談だろう」と。この日まで、社内も僕自身も、平常通り業務をこなしていましたから。その日の午後に課長以上が招集され、(経営破綻が)初めて経営陣以外に知らされたようでした。直前まで何の知らせもなかったことに、会社への不信感と怒りが募りましたね。両親はもちろん、友人の親御さんもすごくショックだったようです。その世代(50〜60代)にとっては、僕たちにはうかがい知れないほど、レナウンは大きな存在だったみたいで。何度も「ありえない」と繰り返していました。
吉田さんは退職後、就職先を探したが、コロナ不況で希望のセレクトショップやアパレルメーカーは軒並み採用がなかった。そして半年たった今は、ITやウェブサービス領域の企業を視野に、現在も就職活動を続けている。
WWD:アパレル業界でもう一度やりたいという気持ちはある?
吉田:ファッションが好きな気持ちは、今も変わりません。ただ、がんばろうという心が折れてしまった。服が好きという純粋な気持ちでは、(アパレル業界で)やっていけないなと。優れた商品や、情熱のある個人がいても、それを時代に合った形で生かそう、届けようとする姿勢が会社になければ、意味がない。そういうことを(レナウンでは)突きつけられましたね。
吉田さんの言葉には失望と、悔しさがにじむ。
「ファッションは趣味と割り切ります。デジタルの知見を磨いて、将来副業として関われたらいいですね」。
レナウン破綻の本質的な原因は、その旧態依然としたビジネスモデルを変えられなかったことだ。モノ作り、販売、プロモーションなどあらゆる面で昭和の栄光を引きずり、ジリ貧の経営状態だった。新型コロナは引導を渡したに過ぎない。
かつての名門の衰亡は、業界全体に強烈なメッセージを残した。「時代の変化に適応できない企業は、生き残れない」。そして、そのことを最も痛切に感じたのは、ほかならぬレナウンに身を置いた人々に違いない。