小田急百貨店が新宿店本館の営業を2022年9月末で終了すると発表した。東急百貨店も昨年春に閉店した渋谷の東急東横店に続き、同じく渋谷の東急本店を23年春頃に閉める。両者に共通するのは「電鉄系百貨店」であり、親会社のターミナルの再開発に組み込まれていることだ。今後、名古屋駅の名鉄百貨店、池袋駅の東武百貨店にも再開発の波が押し寄せる。
新宿駅西口にある小田急百貨店新宿店は、駅と直結する「本館」、その隣でスポーツ売り場とビックカメラが入る「ハルク」の2館で構成されている。営業終了するのは、1967年に開業した本館(売り場面積4万7000平方メートル)の方だ。本館の営業終了後、食品、化粧品、ラグジュアリーブランドなど一部の売り場は改装を経たハルクに移る。小田急百貨店として営業を継続するものの、売り場はだいぶ集約されることになる。
新宿店本館の跡地は、小田急百貨店の親会社・小田急電鉄などが再開発する。本館の建物は22年10月以降に解体。29年に地上48階の高層ビルに生まれ変わり、上層部がオフィス、下層部が商業施設になる。ここに再び小田急百貨店が入るかは現時点で「未定」(同社広報)だという。
新宿駅はJR、小田急、京王、東京メトロ、都営地下鉄が乗り入れ、1日の乗降客数はコロナ前で約350万人。世界で最も人が行き交う巨大ターミナル駅である。コロナによって生活様式が長期的にどう変わるか分からないが、圧倒的な乗降客数が小売業にとって超一等地であることに変わりない。再開発後に商業施設が入るのは自然な流れだ。
ただ、その商業施設が百貨店になるとは限らない。売れ行きに大きく左右される消化仕入れビジネスの百貨店よりも、テナントの賃料で稼ぐショッピングセンター(SC)の方が安定した収益が見込めるからだ。また百貨店の品ぞろえよりも、さまざまなテナントを集めたSCの方が幅広い消費者の期待に沿える。建て替えで新しい商業施設をゼロベースで考える場合、近年は百貨店よりもSCを選ぶ傾向が強まっている。コロナで鉄道会社の運輸収入が打撃を受ける中、収益性に厳しくなることは間違いない。
役割を終える東急東横店と東急本店
乗降客数で新宿駅に次ぐ国内2位の渋谷駅では、「100年に1度」の再開発が進行中だ。これを主導する東急は、子会社・東急百貨店の旗艦店である東急東横店の東館を12年に閉店し、跡地に複合施設の渋谷スクランブルスクエア第1期棟を19年11月に開業した。低層部は3万2000平方メートルのSCになり、200以上のテナントが営業している。20年春に閉店した東急東横店の西館・南館も現在解体工事が進んでおり、27年に渋谷スクランブルスクエア第2期棟が完成する。
東急東横店は86年の歴史を持ち、東京におけるターミナルデパートの第1号だった。しかし東急は新しい駅ビルをJR東日本、東京メトロとの合弁事業として開発するに際し、長年親しまれた百貨店の看板ではなく、テナントミックスのSCを選んだ。東急東横店はフルラインの百貨店業態ではなく、デパ地下から派生した東急フードショーと東横のれん街、渋谷スクランブルスクエアの化粧品フロアや服飾雑貨フロア、渋谷ヒカリエの商業エリアであるシンクスの運営といったスピンアウト業態で営業を続ける。百貨店の看板はないものの、同社は渋谷駅界隈に計2万7000平方メートル以上の売り場を引き続き運営する。
さらに東急百貨店は渋谷駅から徒歩5分の東急本店(売り面積3万5000平方メートル)を23年春頃に閉店することを発表した。跡地は東急、東急百貨店、Lキャタルトン(LVMH系の投資会社)の3社による合弁事業として再開発され、数年後には複合施設に生まれ変わる。現時点では具体的な中身は発表されておらず、「日本を代表するワールドクラスクオリティーの施設」とうたわれているだけ。それでも商業施設が入ることは確実視されており、やはりLキャタルトンが出資するギンザシックスのような高級SCになる可能性が高い。
東急本店は日本屈指の高級住宅街である松濤が足元にある。ラグジュアリーブランドや時計・宝飾、美術品といった高額品の販売に強く、富裕層などを対象とした外商が売上高に占める割合が4割に達する。この顧客基盤は東急百貨店にとっての最大の財産。再開発後の複合施設に引き継ぐことになるだろう。
呉服系と電鉄系 百貨店の2つの系譜
日本の百貨店には、「呉服系」と「電鉄系」の2つの系統がある。呉服屋が業態転換して百貨店になったのが、三越、高島屋、伊勢丹、大丸、松坂屋、そごう、松屋など。鉄道会社が自社のターミナル駅の集客力を活用して小売業に乗り出したのが、阪急、東急、西武、東武、近鉄、小田急、京王、阪神、名鉄などである。合従連衡によって資本関係が変わった会社も多いが、ルーツはこの2つに分けられる。
電鉄系百貨店は阪急電鉄の創業者である小林一三(1873-1957年)が、1929年に関西一のターミナルである大阪・梅田駅に阪急百貨店を開業したのが始まりだ。小林一三は鉄道会社がターミナルの小売業や沿線の住宅開発を通じて乗降客数を増やすビジネスモデルを確立したパイオニアだった。この手法は全国に広がり、戦前戦後にかけて全国のターミナルに百貨店が誕生した。当時、今でいうSCは未発達で、大型の小売業といえば百貨店だった。
鉄道会社にとって子会社の百貨店は、グループの小売業を担う一部門である。必ずしも百貨店事業だけに固執する理由はない。ただ、長年の百貨店事業で築き上げた顧客基盤、特に上質な暮らしを求めるミドルアッパーや富裕層との関係は残したい。再開発後にSCに再編するにせよ、百貨店とSCの融合型にするにせよ、ラグジュアリーブランドなどの高級ゾーンは存続させることになるだろう。前述の通り、小田急百貨店も新宿店本館の営業終了後、面積の広い婦人服や紳士服の売り場はなくなるが、ラグジュアリーブランドは移転して継続営業する。
電鉄系でも例外はある。阪急阪神百貨店を擁するエイチ・ツー・オーリテイリングは、鉄道の阪急阪神ホールディングスと同じ阪急阪神東宝グループではあるものの、子会社ではない。経営は独立している。12年に建て替え開業した阪急うめだ本店、今年秋に建て替え開業する阪神梅田本店は、ターミナルの再開発を経ても百貨店として存続した。ファッションの阪急うめだ本店、食品や日用品の阪神梅田本店といったように、百貨店として勝負できる強固な地盤が両店にはあった。
名古屋駅の名鉄、池袋駅の東武も再開発へ
渋谷駅の東急、新宿駅の小田急に今後続くことになるのが、名古屋駅の名鉄、池袋駅の東武である。
名古屋鉄道は昨年秋、拠点である名古屋駅周辺の再開発計画を延期すると発表した。子会社である名鉄百貨店本店(5万5000平方メートル)のある建物など6棟を取り壊し、地上30階、南北400mの巨大ビルを建設する予定だった。当初は22年に着工、27年完成の予定だったが、コロナを受けて計画の大幅な見直しを迫られる。名鉄百貨店本店は解体を見据えて新たな設備投資を抑制したり、取引先との調整を行ったりしてきたにも関わらず、はしごを外されることになった。6月25日の朝日新聞の報道では、名古屋鉄道の高橋裕樹社長は30年ごろの開業を目指す方針を明らかにしたという。
乗降客数で新宿駅、渋谷駅に次ぐ日本3位の池袋駅では、豊島区や東武鉄道などが共同で行う池袋駅西口再開発の計画が発表されている。まだ具体的なスケジュールは明らかになっていないものの、東武百貨店池袋本店(8万3000平方メートル)を含む一帯が3棟の高層ビルへと生まれ変わる。東武百貨店池袋本店がどうなるかについては「まだ親会社が検討している段階で、何も決まってない」(同社)が、百貨店として都内最大の面積を誇る同店だけに流通業界からの注目度は高い。
日本独自のビジネスモデルであるターミナルデパートの誕生からまもなく100年。人々の暮らしや移動、そして消費が大きく変化する中、電鉄系百貨店がどのような姿に変わっていくのか。今後相次ぐターミナルの再開発は大きな節目になる。