三宅一生氏の訃報を受け、多くの人がSNSなどに追悼メッセージを上げている。そのエピソードを通じて三宅氏の功績や人柄、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」というブランドの哲学を改めて知る人は多いだろう。この連載では特にゆかりの深い人たちに三宅氏へのメッセージをつづってもらう。今回は武蔵野美術大学教授の津村耕佑。津村は1983年に三宅デザイン事務所に入所し、92年に「究極の家」をコンセプトとする“都市型サバイバルウエア”として「ファイナルホーム(FINAL HOME)」を発表。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科では2008年から教鞭を取っている。
装苑賞の受賞を機会に「イッセイ ミヤケ」に入社しました。その頃パンクに傾倒していた私は「イッセイ ミヤケ」グループの中でも浮いていたと思います。それもあって三宅デザイン事務所でコレクションを担当するようになりました。それは自己表現のチャンスだと思い前のめりなデザインばかりしていた記憶があります。
ある時、一生さんから津村君はデリケートと大胆が極端でハラハラするね、と言われた事が今でも頭から離れません。デザインは自我の表明ではなく人の暮らしを考える事だと常に語っていました。ネットの訃報ニュースには、お別れ会など行わないといありました。一生さんは死の間際までデザイナーとはどうあるべきかを我々に伝えているのだと思い熱いものがこみ上げてきました。一生さん、さようなら、あの頃の学びを次の世代に伝えていきますので安心してください。
津村耕佑