ストリートアーティストのベイビー・ブラッシュ(BABY BRUSH)が、バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)の六本木店で行ったイベントに合わせて来日した。ベイビー・ブラッシュはスイス・チューリッヒで生まれで、現在はイタリアを拠点に活動。主にエアブラシを用いて作品を制作し、ネオンカラーを基調とした鮮やかな色彩とその細やかで大胆な筆使いで故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)を魅了し、「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH以下、オフ-ホワイト)」とのコラボレーションを実現している。
来日したベイビー・ブラッシュに、アーティストになった経緯から「オフ-ホワイト」とのコラボの経緯までを語ってもらった。
ーー幼い頃からアートやデザインに興味があったのでしょうか?
ベイビー・ブラッシュ:4~5歳頃から街中の道路標識や看板が好きで、母親いわく周りの子どもたちが絵を描いている中で僕だけは文字を描いていたらしい(笑)。そして、1970年代にニューヨークでグラフィティ文化が発展したタイミングとほぼ同時期に、スイスはタイポグラフィ文化が根付いているからグラフィティが流行し(注:スイスはタイポグラフィやグラフィックデザインが最も発展している国の一つ)、今でも街中にグラフィティが数多くあるんだ。その影響もあって13歳頃からストリートスタイルに傾倒し、15歳でエアブラシを持っていたね。エアブラシは、日本でいうお祭りや遊園地みたいな場所で、塗装する人たちが使っているのを見て存在を知ったんだ。
それから、芸術系の大学に進学してタイポグラフィを専攻した。両親がイタリア人だから、イタリアを拠点にヨーロッパを転々としつつ、アートや映画、音楽、コミックなどアメリカのカルチャーに大きな影響を受けていたので、現地で勉強もした。どれくらい好きかっていうと、スイスの音楽を一切聴いて育っていないくらいね(笑)。スイスは小さい国だから(注:九州地方より小さい)、ディープなカルチャーを感じることは難しかったんだ。
ーー大学に進学した理由は、職に就くことを考えていたからですか?それとも、あくまでアーティストを目指すための通過点?
ベイビー・ブラッシュ:両親の顔を立てるために学校を卒業しないといけなかったのもあるけど、一番はアーティストになるための経験だね。誰かの下で働くために学ぶ、という考えはなかったよ。
ーーアーティスト活動を始めたのは具体的にいつ頃ですか?
ベイビー・ブラッシュ:今の時代、インターネットやSNSを通じて自分の作品を世に発信するアーティストが多いと思うけど、その多くが“未成熟な状態”で発表しているように感じる。それが僕は嫌で、2014年からプロフェッショナルレベルのクオリティになるまでじっくりと準備し、2019年にようやく自信を持って作品を発表できるようになったんだ。
ーーそれでは、アーティスト名の由来を教えてください。
ベイビー・ブラッシュ:僕の顔が幼かったからずっとニックネームが“ベイビーフェイス”で、インスタグラムのアカウント名の一部も“babyface”にしてたんだ。作品を描くときに“エアブラシ(airbrush)”を使っていたから、シンプルに“baby”と“brush”を組み合わせただけだよ。
ーー今のようなどこかネオンを彷ふつとさせる作風が確立したタイミングは?
ベイビー・ブラッシュ:エアブラシで作品を描いた洋服を友達によくプレゼントしていたんだけど、いろいろな人から「オリジナリティが高いね」って言われて、その時に作風が確立していることに気付いたんだ。だから試行錯誤した末にというよりも、いつの間にかだね。
ーー洋服にエアブラシで作品を落とし込むようになったきっかけは?“自分の作品を着たい”という衝動があったんでしょうか?
ベイビー・ブラッシュ:20歳頃から洋服をキャンパスにエアブラシで作品を描いていたんだけど、自分の作品が動いているのを見てみたかったんだ。それに、人々がギャラリーに足を運ばなくても街中で僕の作品を見ることができるからね。
ーー「オフ-ホワイト」とのコラボは、アーティスト人生を語るうえでのハイライトの1つだと思いますが、この経緯は?
ベイビー・ブラッシュ:まず、いろいろなブランドからコラボの依頼が届いていたけど、僕がアーティスト活動をスタートするまでに時間を要したように、一つ一つの関係性を大事にしたかった。それに、最初にコラボするブランドだけは本当に納得した相手が良かったから、全て断っていたんだ。でもある日、ヴァージルから突然DMが届いたんだ。というのも、昔からの親友のブロディンスキ(Brodinski、フレンチ・エレクトロ・シーンを代表するプロデューサー/DJ)がヴァージルと知り合いでね。僕はブロディンスキの作品のアートワークや洋服のカスタムを担当していたから、ヴァージルがインスタグラム経由で僕の作品を見てくれたみたい。パンデミックのタイミングだったから全てをリモートで進めて、発売するタイミングで初めて会う予定だったけど、亡くなってしまった。ヴァージルはグラフィティに造詣が深かったから、親和性を感じてくれたんだろうね。