ファッション界は華やかに見える一方で、泥臭い競争の世界でもある。東研伍が2015年に立ち上げたメンズブランド「アズマ(AZUMA.)」は、そんな厳しい世界でもがき続けるブランドの一つだ。「やりたいことを一人でやり通す」という強い信念はあれど、現在の卸先は10アカウント前後を推移しており、ビジネスの突破口を見出すまでには至っていないのが現実。それでも、「俺が服をやり続ける理由はお金じゃない」という強気な姿勢を貫き、不器用なほど真っ直ぐにじりじりと前進し続けてきた。そんな頑固者が、9月15日の2023年春夏シーズンのランウエイショー本番を前に、意外な言葉を口にした。「これで売れなかったら、辞めるかもしれない」。
ショー本番からさかのぼること10日、デザイナー個人のSNSアカウントから告知が突然届いた。「ザゼン・ボーイズ(ZAZEN BOYS)とライブやります!みんな平日だけど、来れるよね?」――どういうことなのだろう。驚いた理由は二つある。一つ目は、ザゼン・ボーイズと「アズマ」がなぜコラボレーションできたのかということ。ザゼン・ボーイズは、伝説的ロックバンドのナンバーガール(NUMBER GIRL)でボーカル&ギターを務める向井秀徳が03年に結成。変則的なリズムと祭囃子(まつりばやし)のリズムを取り入れた独特な作風で「ロックの新境地を開拓した」と音楽誌が評し、「フジロックフェスティバル(FUJI ROCK FESTIVAL)」など国内の主要イベントにも出演する人気バンドである。一方の「アズマ」は、“秘密結社”や“隠れキリシタン”などをコレクションの題材にしてきた、いわばニッチの極み。
二つ目は、デザイナー個人のアカウントとはいえ、そんな感じで集客しないといけないのかという、不安に近い驚きである。よく見ると「一般の方はご来場いただけません」と書いてはいるものの、有名バンドを呼んでしまったがために、もし集客できなかったら「アズマ」の立場が相当危うくなるのではないかと、余計な心配をしてしまった。
ショー当日も波乱万丈
そして迎えたショー本番。会場のガーデン 新木場ファクトリーは、1500人規模が収容可能なイベントスペースだ。大丈夫か、「アズマ」。開場時刻の17時30分を過ぎたので辺りを見回すと、フロアにいたのは2人だけだった。本当に大丈夫か、「アズマ」。さすがに観客2人でザゼン・ボーイズを受け止める自信はないと心配していたら、来場者は少しずつ増えていき、最終的に150人前後が集まった。この日のためだけに設けたステージのキャパシティー的には、ほぼ満員だった。
定刻から約10分遅れでショーが始まると、ステージ横のスクリーンには、アニメーターの山田遼志が手掛けたキツネの妖怪がザゼン・ボーイズの「Honnoji」に合わせて踊り狂う映像が投影された。バンドメンバー4人がゆっくりとステージに立ち、「Asobi」のセッションがスタートする。スクリーンの割れ目からモデルが姿を見せると、ファーストルックにはキツネの妖怪をジャカードで描いたテーラードジャケットが登場した。
その後も同柄のセットアップやシャツが続き、ザゼン・ボーイズのバンドロゴやアルバムのアートワーク、ギターの吉兼聡がいつも着ているシャツから着想したイラストなど、グラフィックで攻める。「めっちゃいいねと褒めてくれる人と、バカだな言う人に分かれる」というのは、バンドのアー写を全面にプリントしたシャツやパンツだ。そしてオーバーサイズのブルゾンなどには、バンドロゴをオマージュしたフォントで“EVERYTHING IS CHANGING”の文字を刻んだ。今回のコレクションテーマであると同時に、向井秀徳がたびたび楽曲で発する「くりかえされる諸行無常、よみがえる性的衝動」という言葉から抽出したキーワードである。
服のデザインでも、ザゼン・ボーイズを独自の視点で掘り下げる。祭囃子(まつりばやし)のリズムを取り入れた音楽性は、法被や着物などの和装を思わせる直線的なシルエットで表現した。さらに、さまざまなアクセサリーが和の要素を盛り上げる。数珠のロングネックレスや足袋風ブーツ、レザークラフトの「ソー・ジェイク(SO JAKE)」が手掛けた朝鮮朝顔のレザーチャーム、手作業でかご目柄にした12万円のウォレットなどが、スタイリングにキャッチーなリズムを加えた。
課題は、一点一点に力を入れすぎるあまり、バリエーションがやや物足りなかったこと。グラフィック頼みのストリートウエアやテーラリングで挑むには、すでに強力なライバルが待ち構えている。今後は個々のクオリティー向上を目指しながら、「アズマ」らしさをどう磨いていくかがポイントだろう。その点、パーカやカットソーの編み込み、ブルゾンの複雑なパーツ使い、コートの袖をテープでつなぐというアイデアなど、服の構造を利用した個性的なディテールは目を引いた。
全25体が登場したショーがフィナーレを迎えると、ステージ上の向井が独特な言い回しを放つ。「東と書いてアズマ。西の方からやって来たアズマ。われわれ、マツリ スタジオ(MATSURI STUDIO)からやってまいりました、ザゼン・ボーイズ。んん、とっても繰り返されるウイークエンド」。直後に「Weekend」の演奏がスタートすると、モデルや裏方のスタッフたちがステージ前に集合してライブは大団円を迎え、サプライズのアンコールで「KIMOCHI」も披露した。ステージ前方にいた東デザイナーはスタッフと肩を組んだり、モデルと飛び跳ねたりして、緊張から解放された瞬間を心から楽しんでいる様子だった。
奇跡のコラボの裏側
「アズマ」は和のムードを取り入れたクリエイションをもともと得意にしていた。しかしある時期に友人から「正直、和は着づらいんだよね」と指摘され、急にとてもきれいな服を作り出した迷走期がある。その後、ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)を題材にした21年春夏コレクションを機に「好きなことや、影響を受けたカルチャーをまっすぐ表現する」という手法に手応えを感じ、今シーズンのザゼン・ボーイズでやりたいことと、できることがついに合致した。「俺は日本人なので、日本文化の中で育ってきた背景は変えられない。だからザゼン・ボーイズの、“自分のオリジナリティを探求したら、日本的要素が自然とにじみ出してきた”という作風が大好きだ。現役で日本語ロックを続ける彼らと、どうしても協業したかった」。ナンバーガールのTシャツを着た東デザイナーは、さらにこう続ける。「もともとつながりがあったわけではない。バンドの公式サイトに、今回の企画と思いについて綴った文章を個人のメールアドレスから送った。そうすると『面白い、やりましょう』と一言の返信が届いた」。
しかし歓喜したのもつかの間、きれいごとだけでビジネスは成立しない。奇跡のような協業をかたちにするため、ショーの予算はいつもの約6倍にふくらんだという。初めてショーにスタイリストを起用し、ヘアとメイクも入念に打ち合わせた。モデルも、パリコレを歩いた売れっ子から家賃1万円のアパートで暮らす青年まで、個性豊かな13人を集めた。「予算の都合で何度もくじけそうになったが、そのたびにもう一人の自分が『それでいいのか?』と問いかけてきた」。大船に一度乗ったからには、腹をくくってやり切るしかなかった。これまで何かあるたびに「一人で全部やってるんで」と強がってきた東デザイナーの周りには、いつの間にかチームが集まっていた。不器用で頑固なめんどくさい男が、自然と周りを頼り始めた。だからなおさら負けるわけにはいかなかった。「できることは全部やった。これで売れなかったら、辞めるかもしれない」――ショー前にそう語っていた東デザイナーがこの日の最後に口にしたのは、「本当に周りのおかげ。みんなのおかげで、ここまでやりきれた」という感謝の言葉。36歳の過渡期の男が、土壇場で見せた成長だった。
現在の日本人デザイナーは、活動の幅を広げるベテランからスター性のある若手まで、タレントが豊富にそろっている。ファッションビジネスをスマートに設計し、的確なブランディングで市場を拡大していくのが一つの正解ならば、天性のセンスに賭けてクリエイションで一点突破を狙うのも正解。そしてタレント軍団から“ハミ出た”「アズマ」のように、泥臭い現実と真っ向から対峙し、自身から湧き出た感情をファッションで叩きつけるのもまた正解なのである。今回のコレクションが売れるか売れないかは、まだ分からない。ただザゼン・ボーイズとの狂宴を経て、東デザイナーの自問自答はいっそう深まり、それが大きな成長へとつながる予感は十分である。世の中と同じく、クリエイションもまた諸行無常。次のシーズンも大暴れする「アズマ」の姿が見たい。