橋爪悠也は、目から涙がこぼれる瞬間を描いた“eyewater”シリーズなどで知られるアーティストだ。8月から9月にかけて、同シリーズにフォーカスした過去最大規模の個展を東京の二カ所で同時開催した。橋爪はファッション業界からアーティストに転身した異色の経歴で、これまで架空の植物を調査するシリーズ“変植物調査団”や似顔絵を描いてくれる自動販売機“ヘンナーベンダー”などを発表してきた。そして2017年頃に“eyewater”を披露。さまざまなバックグラウンドを持つ人物が、涙を流してこちらを見つめる同シリーズで、広く知られる存在になった。しかしシリーズのタッチが藤子不二雄の作品を想起させることから、インターネットを中心に「コピーだ」と物議を醸した過去もある。それでも、“オリジナルとは何か?”という問いを追いながら創作を続けており、アジアでも徐々に人気を集めている。ファッション界での経験や、炎上騒動からの復活、そして将来についてを本人に聞いた。
地方の“オラオラ系”から
東京の「ザ・ノース・フェイス」へ
WWD:上京前は何をしていた?
橋爪悠也(以下、橋爪):高校卒業後、地元の岡山を離れて大阪のバンタンキャリアカレッジでファッションビジネスの勉強をしていたんです。その後、ゴールドウインの「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」でアルバイトを始め、上司に恵まれて上京するチャンスをもらい、原宿の旗艦店で4年ほど販売スタッフをしていました。
上京した頃の僕は“おしゃれピープル”のつもりでオラオラしていましたけど、東京の空気とは温度差があり「声がでかい」だとか、何をするにもいじられましたね。2010年にオープンしたザ・ノース・フェイス スタンダードの1号店では初代店長を任せてもらいました。
WWD:当時学んだことは?
橋爪:僕がいたころの「ザ・ノース・フェイス」はブランドがまだ大きくなる前で、ストリートとの融合でアウトドアブランドの先頭に立とうという時期。今振り返ると、“本当にいいものなら、寝る間も惜しんで作っていこうぜ!”という昭和っぽい熱気がありましたね。そのころに出会った、PRの小口大介さんや当時は事業本部長だった現社長の渡辺貴生さん、あとは「ザ・ノース・フェイス・パープルレーベル」とナナミカを手掛けている本間永一郎さんらの“かっこいいと思うことを突き詰める精神”には感化されました。
WWD:イラストを始めたのはどのタイミングで?
橋爪:昔から絵を描くのが好きだったことを思い出して、店舗スタッフ時代からパソコンでイラストを描き始めました。その延長で、店頭のポップのデザインを自分でやるようになったらプレスのチームから声がかかり、2年ほどプレスをやっていました。
WWD:独立したきっけかは?
橋爪:外注したデザイナーの請求書を見たときに衝撃を受けて、自分も稼ぎたいと思ったからです。知名度のあるブランドでPRをやってきたおかげでつながりもたくさんあり、どうにかなるだろうという何となくの自信でフリーのデザイナーになりました。
WWD:実際に何とかなった?
橋爪:最初の1〜2年は持っていた漫画本を売って生活するくらいお金がなかったですね。カフェでバイトをしながら、人の紹介でモデルを少しやったり、イラストの仕事ももらったりして食いつないでいました。
そんな時、知り合いに「依頼されたものだけを作っていると辛くなる時が来るから、表現したいことを形にしてみたら?」と言われ、自分の作品を作るようになったんです。最初の展示は、地元岡山で同級生が運営している服屋カサノヴァ&コー(CASANOVA&CO)で、架空の植物をテーマにした“変植物調査団”のインスタレーションでした。
“オリジナルは存在する?”
問いかけて議論したかった
WWD:現在の作風にはどのようにたどり着いた?
橋爪:出発点は、ファッション界でよくある話だったんです。例えば、あるブランドが他社の商品を真似して作ったものが爆発的にヒットして、世間には後発のものがオリジナルと認識される事例は多々あります。既視感のあるものでも、作った本人たちは自分たちのオリジナルという体でやっているし、周囲もそれを指摘しない。それがファッション界で当たり前に行われていることに対して、すごくもやもやしていました。その頃から「本当のオリジナルって存在するのか?」「全て何かに影響を受けて生まれたものじゃないのか?」と考えるようになりました。
その答えはきっと簡単に出ないだろうけど、みんなに問いかけて議論できれば楽しいなと思って、子供の頃から大好きな藤子不二雄先生のタッチを当時の作品に引用しました。さらに、僕が今のような作品を作り始めた当時、女性のバストアップの構図が注目され始めていたので、女性のモチーフを採用しました。でも、結果的に批判が多く、暴言やきつい言葉を一方的に浴びせられて、当時はきつかったですね。
WWD:作品のこだわりは?
橋爪:僕は作品そのものより、最初の“オリジナルとは?”というテーマをずっと引きずっているので、こだわりは正直ないんです。“eyewater”シリーズは個人的にはそろそろやり尽くした感覚がある一方で、多くの人が求めるものをまだ作れるかもしれないとも考えています。その辺の感覚は、PRの仕事をしていた経験が生きています。
今後の代表作の一つになりそうな“猫シリーズ”も、ビジネス的な感覚がスタートでした。コロナ禍で犬や猫のかわいい映像を集めたテレビ番組を頻繁に見て、これはビジネスになるんだと気づいて始めました。でも友だちに「お前が描く猫はかわいくない」と言われたのをきっかけに自分でも猫を飼い始めて、今ではすっかり溺愛しています。
アートバブルに見る“ファッション的な軽さ”
WWD:一部で“アートバブル”とも言われる国内の市場をどう思う?
橋爪:ストリートからの流れですよね。自分はその二番煎じですが、国内の市場は今あまり意識していなくて、できれば海外で活動して逆輸入的な存在になりたい。日本では東京のイケてる人たちにムーブメントを引っ張っていってもらって、おこぼれをもらえたらいいぐらいの感覚です(笑)。
作品では日本の漫画のカルチャーを扱っているので、国内での評価は直接的だけど、海外の人は素直に褒めてくれます。今は中国や台湾、韓国とアジア圏を中心にファンがついてきているし、もしかしたらアメリカやヨーロッパにも挑戦できるかもしれない。特に中国はアート界にも元気があるので、海外のムーブメントに入り込むのを目指す選択肢もあります。
WWD:近年、アートなどのカルチャーとファッションがコラボすることも増えている。この傾向はポジティブなこと?
橋爪:いいことだとは思います。「ビームス(BEAMS)」が少年ジャンプ作品とコラボし始めた頃、スタイリストやプレスが堂々と漫画好きをアピールするようになったんですよ。それまでオタクっぽいと言われてきたカルチャーの潮目が変わった時に、ファッション的な“軽さ”を感じたんですよね。でもその後も盛り上がり続けているから、きっかけは“軽さ”でもいいですよね。
WWD:自身の作品をアパレルやグッズにしたい?
橋爪:コラボレーションしたいんですが、実際はお断りすることが多いです。今は“アーティスト橋爪悠也”をどれだけアピールしても、作品の“eyewater”に負けています。だから依頼も“eyewater”をプリントしたいという内容が多いんです。僕も売る側の人間だったので、ビジネス的な観点では仕方ないことだと理解はしているのですが、長くは付き合っていけない“軽さ”は、時代に消費されてしまいかねない。僕は作家として長年やっていきたいので。
WWD:今後の目標は?
橋爪:人間として愛されるアーティストになりたいですね。ゴールドウイン時代、「ザ・ノース・フェイス」ほどの大きなブランドを背負っていると、人と接していても多くの人はブランドの方を向いていた。強烈な個人にならない限りは、僕個人を見てくれないのだと分かりました。
それに僕は今年39歳で、「リラックス(RELAX)」や「スタジオ・ボイス(STUDIO VOICE)」などの紙媒体を読んでいた世代です。だからアーティストのインタビューで制作の裏側を知るとグッとくる。だから個をもっと押し出して、自分のカルチャーや好きなものが反映されている作品を作っていきたい。顔を出して、自分のバックグラウンドも積極的に語っていきたいですね。