ファッション業界の御意見番であるコンサルタントの小島健輔氏が、日々のニュースの裏側を解説する。セブン&アイ・ホールディングス(HD)がイトーヨーカ堂の店舗削減とアパレル事業撤退を発表した。GMS(総合スーパー)の衣料品部門は、この四半世紀にわたって低迷が続いていた。なぜこれほど市場と乖離してしまったのか。どこよりも詳しく検証する。
セプン&アイHDは3月9日、イトーヨーカ堂の店舗を2023年2月期末の126店から33店撤退して26年2月期末までに首都圏中心の93店に絞るとともに、アパレル事業から撤退して「食」を軸にコンビニ事業とSM(食品スーパー)事業、スーパーストア事業を連携する事業再構築を決定した。前世紀には衣料品部門を稼ぎ頭にジャスコ(単体、現イオンGMS事業)を凌駕するほどの高収益を誇ったイトーヨーカ堂がつるべ落としに業績を悪化させ、ついには祖業(1920年に浅草で開業した洋品店「羊華堂」)のアパレル事業から撤退するに至った転落劇から何を教訓として学ぶべきだろうか。
グループ経営の足を引っ張ったイトーヨーカ堂のアパレル事業
セブン&アイHDは23年2月期第3四半期に過去最高の売り上げと営業利益を計上したことを契機に(21年5月に米国7-Eleven.incが買収した米コンビニチェーン「スピードウェイ」が貢献)、コンビニ事業を核に「食」にフォーカスしてSM事業やスーパーストア事業を連携する事業戦略に集中し、業績の足を引っ張ってきたスーパーストア事業(イトーヨーカ堂)のアパレルから撤退することを発表した。同じく足を引っ張ってきた百貨店事業(そごう・西武)も売却するのに、なぜかバーニーズ・ニューヨーク事業は継続するというミステリーは残るが、アパレル業界にはショッキングなニュースだった。
コンビニ事業中心に「食」にフォーカスする戦略とて、強力な専業SMチェーンや食品のラインロビングを加速するドラッグストアチェーン、マイバスケットなどのミニスーパー(セブン&アイHDも「SIPストア」で対抗する)に挟まれ、コンビニ加盟店オーナーの成り手減少やパート&バイト労働力の逼迫と時給高騰(もはや外国人頼りが定着)で安泰とはいえないが、慢性的過剰供給の果てにコロナ禍で8掛けに萎縮したアパレル市場よりははるかに期待できるという判断なのだろう。
スーパーストア事業(イトーヨーカ堂)の店舗数ピークは16年2月期末の182店舗だが、売り上げピークは99年2月期の1兆5451億6100万円で、年々減少して22年2月期は1兆675億4500万円とピークの69%に縮んでいる。15年2月期以降は20年2月期を除いて純損失が連続しており、純資産も減少の一途で、もはや過去の利益を食い潰して存続している状況だった。
純利益のピークは06年2月期の513億2200万円だったが財務的押し上げ要因もあり、実質稼ぎ(営業利益)のピークは96年2月期の657億6100万円だった。07年度(08年2月期)以前の指標は断片的にしかさかのぼれないが、92年度の平米当り販売効率が108万1000円だったのが99年度には74万5000円、08年度には67万4000円、16年度には56万4000円とつるべ落としに低下。以降は販売効率の低いライフスタイル部門(衣料品と住関連)を圧縮して食品への集中を進め、直近の21年度では62万2000円まで回復している。他社の事例を見てもスーパーストア事業(GMS)では食品部門の販売効率は衣料品部門の4倍以上で、衣料品を圧縮して食品を拡大すれば販売効率は確実に高まる。
イトーヨーカ堂の衣料品部門の売り上げはピークの96年2月期の4568億円から06年2月期には3073億円と67%に萎縮し、15年2月期には1933.5億円と2000億円を割り込み、20年2月期には1175億円とピークの25.7%まで落ちている。以降は住関連と統合したライフスタイル部門の売り上げしか開示されていないが、直近の22年2月期は2199億8500万円と20年2月期の2859億8500万円から77%に減少しているから、衣料品売り上げは1000億円を割り込んで900億円程度まで落ちたと推計される。実にピークから5分の1以下への激減だ。
イトーヨーカ堂の商品売り上げに占める比率も、96年2月期は35.3%もあったのが07年2月期には19.5%と20%を割り込み、20年2月期には10.2%まで落ち込んで21年2月期以降は1ケタに落ち、22年2月期は8.7%ほどに落ちたと推計される。稼ぎ頭だったのが02年2月期には赤字に転落し、以降は浮上しなかった。
いったい、これほどの凋落劇がどうして起きてしまったのか。そこにはアパレル業界のみならず小売業全般、ひいては全ての組織運営と経営に通ずる教訓がある。
イトーヨーカ堂衣料品部門の凋落要因
イトーヨーカ堂の衣料品部門の凋落は衣料消費の長期低迷やユニクロの急成長といった外部要因もともかく、GMS衣料品自体の自滅的地盤沈下、とりわけ92年10月に代表取締役社長に就任した鈴木敏文氏による「業革」が主な原因だったと思われる。
イトーヨーカ堂に限らずジャスコ(現イオンGMS事業)など大手GMSの衣料品部門はロードサイドやショッピングモールの専門店に圧されて客数減少が続き、その打開策としてMDの絞り込み効率化やコンセプチュアルなSPA化を推し進めたが(「ユニクロ病」)、客数の限られる生活圏立地では却って客数減少を加速して売り上げが落ち込むという自滅劇となった。
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