日本を代表するクリエイティブ・ディレクター、佐藤可士和サムライ代表は、ユニクロが2006年に米ニューヨーク・ソーホーにグローバル旗艦店を出店したタイミングから、ユニクロの世界戦略におけるクリエイティブを担っている。ニューヨークに続く英ロンドン、仏パリなどの旗艦店や、国内でも東京・銀座の「ユニクロ トウキョウ」などの店舗を多数手掛けると共に、赤いブランドロゴや“LifeWear”というコンセプト、「服を変え 世界を変え 常識を変えていく」というファーストリテイリングのコーポレートメッセージも策定してきた。4月21日に開業した群馬・前橋のロードサイドに位置する前橋南インター店は、佐藤代表が考え抜いて作った「ユニクロの最新形」。佐藤代表に、店作りや柳井正ファーストリテイリング会長兼社長とのビジネスについて聞いた。
WWD:2006年以来、ユニクロの世界戦略におけるクリエイティブ・ディレクターとして、国内外でアイコニックな店舗をいくつも手掛けてきた。
佐藤可士和サムライ代表(以下、佐藤):店はブランドの理念を発信するメディアだと考えている。都心店だけでなく、ロードサイド店もユニクロにとって重要だ。ユニクロに限らず、ロードサイドにはさまざまな業種業態が出店しているが、時代が変わった中でも進化していないと感じる部分もある。柳井(正ファーストリテイリング会長兼)社長とは10年以上前からロードサイド店を今後どうしていくべきか議論をしてきたが、なかなかいい答えが見つからなかった。ただ服を買うだけなら今はECで済む。そんな中で、店にわざわざ来る意味は何なのか。20年4月にオープンした「ユニクロ パーク 横浜ベイサイド店」は、1つのヒントになった。店が社会に対して開いていて、そこに来ること自体が1つの体験になる、店の存在が地域の活性化につながるといったあり方だ。
WWD:10年を超える議論の中で、柳井社長は可士和さんに何を要求していたのか。
佐藤:柳井さんには「人が来たくなるような店にしてほしい」と言われていた。店として当たり前だが、それが難しい。銀座の駅前やパリのオペラ座前なら人も来てくれるだろうが、わざわざそこ(ロードサイド店)に行こうと思ってもらうにはどうしたらいいのか。都心店のフォーマットをロードサイド店に移植するというのはもうずっと前から行っていた。改装して、店が前よりもきれいになればもちろんお客さまは喜んでくれるが、それだけでは何かちょっと足りない。ロードサイド店のあり方と共に、デスティネーションストア(そこを目的としてわざわざ目指していく店)というあり方も柳井社長と議論していて、それの答えの一つが「ユニクロ パーク 横浜ベイサイド店」だった。あれにはすごく手応えを感じている。時代的にもサステナビリティや企業の社会的責任が強く問われるようになって、地域やコミュニティーに対して店が開いているというあり方はしっくりくる。僕がユニクロと取り組み始めた17〜18年前はなかなかそういう発想にはならなかったが、時代が進むと共に機が熟して、前橋南インター店のような店ができた。
定期購読についてはこちらからご確認ください。
購⼊済みの⽅、有料会員(定期購読者)の⽅は、ログインしてください。