イギリス・マンチェスター発のフットボールブランド「アンブロ(UMBRO)」が、5月23日に創業100周年を迎えた。同ブランドはこの節目を控えた4月に、これまでの歴史を彩ってきたアーカイブアイテムの展示を中心とする100周年記念エキシビション「アンブロ 100:スポーツウエア×ファッション(UMBRO 100: SPORTSWEAR x FASHION)」をロンドン・メリルボーンで開催した。同エキシビションでは、歴史的価値の高いユニホームからファン垂涎の最新コラボまで、100点超えのアイテムを展示。本稿では、その中から独断と偏見でピックアップした9点を紹介する。
だが、その前に「アンブロ」の歩みついて触れておきたい。創業者は、当時22歳の仕立て屋ハロルド・ハンフリーズ(Harold Humphreys)と兄のウォーレス・ハンフリーズ(Wallace Humphreys)で、「アンブロ」というブランド名は彼らの呼称“Humphrey Brothers”から。創業のきっかけは“フットボールブランド”を謳うだけあり、イギリスのフットボールカルチャーと深い関係がある。
フットボールの起源については諸説あるので省くが、世界最古のサッカー協会「ザ・フットボール・アソシエーション(The Football Association)」が1863年にイギリスで設立されて以降、近代フットボールは世界へと急速に広まり、1904年に国際競技連盟「FIFA」が発足。その4年後の1908年にはロンドン・オリンピックで公式種目に採用され、フットボールは国境を越えた人気スポーツの仲間入りを果たした。
そして、1923年に「アンブロ」の創業に大きく関わる2つの出来事が起こる。この年、「ザ・フットボール・アソシエーション」が約12万7000人を収容可能な「旧ウェンブリー・スタジアム(The original Wembley Stadium)」を、マンチェスター・シティFCが約8万5000人を収容可能な「メイン・ロード(Maine Road)」を建設したことで、フットボールは街単位で楽しまれるスポーツから、数万人の大観衆が観戦する国単位の娯楽へと発展した。この状況にハンフリーズ兄弟は商機を見出し、翌年の1924年に「アンブロ」を創業したのだ。
「アンブロ」は創業以降、英国を中心に数多くのフットボールクラブをサポートし、1952年ヘルシンキ・オリンピックではイングランド代表にユニホームを提供。続く1958年FIFAワールドカップ・スウェーデン大会でブラジル代表が、1966年FIFAワールドカップ・イングランド大会でイングランド代表がそれぞれ初優勝した際にも「アンブロ」のユニホームを着用し、確固たる地位を確立。当時、英国の85%のクラブが「アンブロ」のユニホームを採用するまでに成長したのだ。同時に、現在では一般的となったクラブや代表のレプリカユニホームの販売を、世界で初めて開始したのが「アンブロ」であることを添えておく。
その後、紆余曲折あり2007年にナイキ(NIKE)が買収するも、12年にアメリカのアイコニックス・ブランド・グループ(Iconix Brand Group)へ売却され、現在に至る。なお、日本では1998年にデサント(DESCENTE)が商標使用権を取得しており、国内の「アンブロ」コラボユニホームの火付け役となった「バル(BAL)」をはじめ、「コモリ(COMOLI)」や「ユハ(JUHA)」などとのアイテムは、全て日本企画だ。
前置きが長くなってしまったが、そんな由緒正しきフットボールブランドである「アンブロ」の貴重なビンテージアイテムを、とくとご覧あれ。
イングランド代表3rdユニホーム(1990年)
1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会のため、「アンブロ」はイングランド代表に新作のユニホームを提供した。1st&2ndユニホームは国旗“セント・ジョージ・クロス”に着想した、伝統的なホワイトとレッドをベースとしたデザイン。対して3rdユニホームは、ガラス製の灰皿に反射する光をイメージした、幾何学パターンのデザインだった。この極めてデザイン性の高い1着は、残念ながら大会中に選手たちに着用されることはなかったものの、とある著名人をきっかけに脚光を浴びることになる。
イングランドは、ワールドカップの大会ごとにさまざまなアーティストの協力で公式応援歌を制作する習わしがある。同大会では「アンブロ」と同じくマンチェスター発のロックバンド、ニュー・オーダー(New Order)が担当した。彼らは、代表選手だったジョン・バーンズ(John Barnes)やポール・ガスコイン(Paul Gascoigne)らを招いた楽曲「World in Motion」を発表すると、全英シングルチャートで首位を獲得。同曲のMVでボーカルのバーナード・サムナー(Bernard Sumner)が3rdユニホームを着用していたことで話題となり、1st&2ndユニホームの人気を上回る名作となったのだ。なお、当時はミュージシャンがユニホームを着用して表舞台に立つことは珍しく、サムナーが先駆者と言われている。
「アンブロ」× ニュー・オーダー コラボユニホーム(2021年)
上記の件もあり、「World in Motion」のリリース30周年の際には、「アンブロ」とニュー・オーダーのコラボが2021年に実現した。3rdユニホームの襟や袖などのディテールを完全に再現し、左胸のエンブレムをイングランドサッカー協会のものから「World in Motion」のアートワークに置き換えた。ちなみに、アートワークを手掛けたのはグラフィックデザインの巨匠ピーター・サヴィル(Peter Saville)で、彼もまたマンチェスター出身である。
「アンブロ」×「パレス スケートボード」コラボユニホーム(2012年)
イングランドを代表するスケートブランド「パレス スケートボード(PALACE SKATEBOARDS以下、パレス)」の面々も、3rdユニホームに魅了された者たちだ。2012年の「アンブロ」との初コラボでは、3rdユニホームにオマージュを捧げたアイテムを発表。全体のデザインは踏襲しつつ、右胸に付く「アンブロ」のロゴ“ダブル・ダイヤモンド”をブラックからホワイトに、左胸のイングランドサッカー協会のエンブレムを「パレス」のアイコニックな“トライファーグ”に変更した。
「アンブロ」オリジナル・ドリルトップ(1996年)
「アンブロ」といえば、オアシス(Oasis)のリアム・ギャラガー(Liam Gallagher)のイメージが強い人も多いだろう。彼は、幼い頃から地元マンチェスターを拠点とするマンチェスター・シティFCの“シチズン(熱狂的なサポーター)”かつワーキングクラス出身ということもあり、世界的バンドの仲間入りを果たしてからもフットボール用のアイテムを普段着として着用している。だが、“リアム=アンブロ”を決定付けた日があるーー1996年4月28日だ。
この日、マンチェスター・シティFCの本拠地「メイン・ロード」でオアシスのライブを行ったリアムは、出番直前に選手用ロッカーに置いてあった「アンブロ」のドリルトップを発見。あろうことか盗出し、着用してライブを行ったのだ。ある意味、ロックスター然としたこの行動は、のちにカサビアン(Kasabian)を結成する若きセルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno)ら多くのファンに影響を与え、セルジオは全く同じドリルトップで高校に通っていたという。
その後、リアムは自身のアパレルブランド「プリティー・グリーン(PRETTY GREEN)」と「アンブロ」が2019年に初コラボした際、ドリルトップを彷ふつとさせるモッズコートを制作していた。
「アンブロ」× オアシス コラボユニホーム(1997年)
図らずもリアム・ギャラガーによってオアシスとコネクションを持った「アンブロ」は、バンドのプロモーションに参画。ノエル&リアムが兄弟そろって大のフットボール好きであることから、1997年8月にバンドの3rdアルバム「Be Here Now」が発売された際、非売品のコラボユニホームを制作して、関係者やレコードショップに配布した。また同時期にブラー(Blur)のデーモン・アルバーン(Damon Albarn)がチェルシーFCのユニホーム(現在はナイキ製だが、当時はアンブロ製)を表舞台で愛用していたこともあり、UKバンドシーンと「アンブロ」の関係性はさらに深まっていった。2010年には、カサビアンのライブでイングランド代表の新作アウェイユニホームを発表するという試みが行われるなど、蜜月ぶりは脈々と受け継がれている。
「アンブロ」×「ポール・スミス スポーツ」コラボジャケット(2002年)
スポーツブランドとファッションブランドの協業はいくつもあるが、フットボールをベースとしたコラボは「アンブロ」がパイオニアであり、2002年FIFAワールドカップ・日韓大会に合わせて、英国を代表する「ポール・スミス(PAUL SMITH)」のスポーツラインとタッグを組んだ。1966年にイングランド代表がW杯で初優勝した際に着用していたジャケット“ラムゼージャケット”を、リバーシブル仕様にアレンジしたアイテムをはじめ、ユニホームやポロシャツ、スーツケース、ボールなどを制作。そして、「ポール・スミス」とのコラボは、「アンブロ」にとって初めてのファッションブランドとのチームアップでもあり、以降は精力的にコラボレーションするようになっていった。
「アンブロ バイ キム・ジョーンズ」ジップアップフーディー(2006年)
「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」と「ディオール(DIOR)」のメンズを歴任し、現在は「フェンディ(FENDI)」のウィメンズを率いるなど、輝かしい実績を持つのがキム・ジョーンズ(Kim Jones)だ。英国生まれの彼は、2003年に自身の名前を冠した「キム・ジョーンズ」(07年に終了)を立ち上げると、翌04年に「アンブロ」のデザイナーに抜擢され、8年間にわたり「アンブロ バイ キム・ジョーンズ」を手掛けていた。「アンブロ バイ キム・ジョーンズ」は、スポーツとハイファッションにストリートのエッセンスを加えた草分け的存在で、06年FIFAワールドカップ・ドイツ大会の際にはイングランドの伝統的な花の紋“テューダーローズ”にフィーチャーしたコレクションを披露。また、“ダブル・ダイヤモンド”に着想したトランプを制作していたこともある。
マンチェスター・シティFC 2011/12シーズン ユニホーム(2011年)
先日、前人未踏のプレミアリーグ4連覇を達成し、通算優勝回数を8に伸ばしたのがマンチェスター・シティFCだ。今やタイトルレースの常連ではあるものの、2008年にUAEの投資グループADUGに買収されるまでは、同リーグでの最高位が8位はおろか2部や3部で戦うこともあった。しかし買収以降、潤沢な資金で優秀な監督や選手を獲得し、2011/12シーズンに1968年以来となる44シーズンぶり3度目のリーグ優勝を達成(注:プレミアリーグは1992年に創設され、それ以前はディビジョン1が1部)。「アンブロ」は、このメモリアルなシーズンを含む2009〜2013年だけでなく、1968年の2度目のリーグ優勝時を含む1967〜1997年にもユニホームを手掛けていた。なお、2011/12シーズンは宿敵マンチェスター・ユナイテッドFCとし烈なタイトルレースを繰り広げ、勝利が優勝の絶対条件の中で行われた最終節では、フットボール史に残る奇跡の逆転劇を見せた。気になる方はぜひ下のYouTubeからドキュメンタリーを。
「アンブロ」×「オフ-ホワイト」コラボフランネルシャツ(2017年)
故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が2013年に設立した「オフ-ホワイト(OFF-WHITE)」といえば、「ナイキ」やバスケットボールとのつながりが強い印象があるかもしれない。しかしヴァージルは両親の出身国ガーナがフットボール人気の高い国であることから、幼少期より勤しみ、1990年代を代表する名選手ロベルト・バッジョ(Roberto Baggio)に憧れ、高校生の時にはMFとして所属していたクラブチームが州チャンピオンにもなっている。余談だが、彼が18歳の時に妻シャノン・アブロー(Shannon Abloh)と出会った場所は、フットボールの試合会場だったという。
この背景もあり、2017年に「アンブロ」とヴァージルは2017年春夏メンズ・コレクションで初コラボし、パリのランウエイショーで披露した。中でも、「オフ-ホワイト」の前身となった「パイレックス ビジョン(PYREX VISION)」のアイコンアイテムだったチェック柄のフランネルシャツを、パッチワーク風の手法でパンキッシュにリメイクしたアイテムは話題を呼び、今なお2次流通市場では高値で取り引きされている。