アン・ドゥムルメステール(53)は11月20日、自身のブランドのデザイナーを辞任すると発表した。関係者に送られたアンによる自筆の手紙には「少女の頃からファッションで成功することを夢見ていた。その夢が実現した今、ブランドとしても私個人としても新しいステップに進む時だと感じている。『アン ドゥムルメステール(ANN DEMEULEMEESTER)』はアイデンティティを持つブランドとして、私がいなくても十分に成長できる。人生における新たなチャレンジの準備ができた」と記されている。退任について、同ブランドを傘下に置くエドゥ社や、25年以上販売してきたバーニーズ ニューヨークなど、業界の重鎮たちからのコメントを掲載。
エドゥ社のアン・シャベル=マネジング・ディレクター(MD)
「双方の合意のもと決定した。アンはファッションよりもほかのことに興味を示している。今後は、アンの元で何年も働いたチームがいるので、彼女がいなくなっても何も変わらない。アンは今後のコレクションでも生き続けるだろう」
リバティのエド・バーステルMD
「とても残念だ。DNAに基づいたユニークなデザイン・ヴィジョンはアンならではのもの。売り上げもずっと良かった」
バーニーズ ニューヨークのダニエラ・ ヴィタル最高執行責任者兼シニア・ヴァイスプレジデント
「我々は25年以上『アン ドゥムルメス テール』を販売してきた。アンは常にシグニチャー・スタイルから離れることはなかった」
関係者によると「アン ドゥムルメステール」のビジネスは年商約5000万ドル(約50億円)と見られている。アントワープと香港、東京で路面店を展開。サックス・フィフス・アヴェニューやレクレルール、レーン・クロフォードなどの店舗に卸販売をしている。
アンはアントワープ王立芸術学院でファッションを学び、1985年に夫のバトリッ ク・ロビンとともに会社を設立。87年に初コレクションを発表した。92年にバリで初めてショーを開催し、ダークかつロマンティックな作風で一躍注目のデザイナーに。95年のインタビューでアンは「私自身の世界で自分自身に問いかけることがとっても重要。私は全身全霊をかけてデザインしているの」とコメントしている。多くのアントワープ王立芸術学院出身のデザイナー同様、彼女自身もプレ・コレクションやバッグで売り上げを伸ばす戦略には反対だった。10年のインタビューでは「私が死んだ時に人々が『アンはファッションに感情を加えた』 と言ってくれたらとても幸せだわ」と述べている。