ファッション

言語化不可能な事象をデザインによって可視化する田名網敬一の終わりなき挑戦

田名網敬一はグラフィック・デザインと編集の手法を創作の基軸に据え、オリジナルの表象に加えて誰もが視認できる共通イメージを引用し、極めて個人的な“記憶“や”死生観“をナラティブに視覚化した作品で独自性を強めていったアーティストだ。

その背景には、幼少期の環境や壮絶な戦争体験、戦後のアメリカ文化、グラフィックデザイナーとしてのキャリア、ポップアートや前衛芸術との接触、生死をさまよう大病など、自身を取り囲むあらゆる要素を強烈な感受性で吸収し、創造のための糧にしてきた田名網の人生史がある。

現在開催中の回顧展「記憶の冒険」は、田名網の唯一無二の感性を築いたファクターを振り返りながら、編集やデザインとアートの領域を横断する作品を体系的に網羅する構成になっている。

1960〜70年代における時代性やカウンターカルチャーを取り込んだ野心的で実験的な作品群から、80〜90年代における宗教美術のエッセンスと悪夢や幻覚が融合したような抽象的なテーマの作品群、そして過去に生み出したイメージを包括して記憶と無意識の深層部に迫る集成的な大型立体造形とコラージュ作品群が展示されている。

1人の人間が主体的に創り出す規模や熱量を超えた作品に包囲されると、田名網の創造性と挑戦精神に鼓舞される。そして彼のインナースペースとも呼ぶべき空間を探訪することは、日本の戦前戦後の文化史をたどる体験にもなる。平面や映像、立体などあらゆるメディアから成る展示のうち、ここでは田名網の“戦争体験の記憶“と”グラフィックデザインとアートの横断“についてフォーカスしリポートする。

個人の記憶を媒体とし社会の本質をあぶり出すデザイン

同展の第1章「NO MORE WAR」、第2章「虚像未来図鑑」を飾るシルクスクリーンのポスターやアートワークは、一見ポップアートやカウンターカルチャー、サイケデリックアートの潮流を感じさせるが、表面的なインパクトにとらわれずに注視すると、そこには戦後復興期にアメリカから流入した娯楽を全面的に享受していた田名網の記憶を表現したかのようなイメージが氾濫している。

当時のアメリカB級映画を飾った女優の残像やアメコミ、ポルノグラフィ、奇怪なほどに自身の中で巨大に膨らんでいったアノニマスな欲望などを内省的に振り返り視覚化したものだ。ポップアートは経済や産業の発展が人々にもたらした盲目的で空虚な満足感や大量消費社会をシニカルに観察して見せた。一方、田名網の作品は当事者として個人の記憶を掘り下げることで戦争を経た社会の全体像を想起させる。また、「月刊プレイボーイ」のアートディレクションも自己表現のフィールドとして捉え、当時の他誌とは一線を画す紙面を創り上げていた。

編集の方法論を組み込んだアニメーションと実験映画

同展の第3章「アニメーション」、第6章「エクスペリメンタル・フィルム」では、グラフィックデザインにおける印刷のシステムや技術、メカニズムなどの方法論を映像制作に応用したアニメーション作品・実験映画が鑑賞できる。

幼年期からブリキの幻灯機で自作のイラストや雀の影姿を投影したり、「黄金バット」「少年王者」などの紙芝居や「鉄腕アトム」に夢中になったり、元々“イメージを動かすこと“に興味があった田名網は、60年代にアニメーションの制作を開始した。高額な制作費はグラフィックデザインの仕事で得た私財を投じていたという。

アニメーション作品は、自己分析的なテーマの「優しい金曜日」、少年時代に夢見たアメリカが凋落していく喪失感をアイロニカルに表現した「Good-Bye Marilyn」など、数百枚のアニメーションすべてを1人で描いた原画の一部が展示されている。

実験映画作品の代表作「why」は、メディアを拡散していくことで紙の上のインクのように現実が滲んでいくこと、同時に記憶や心象に深く刷り込まれていくパラドックスを視覚化したような作品だ。いずれもイラストやコラージュ同様、プロパガンダやコマーシャルが蔓延する社会の歪みと個人的体験をオーバーレイし、脳内でフラッシュバックしたように映像化している。

戦争の記憶を反芻しあらゆる形態を繰り返し表現したライフワーク

田名網のイマジネーションの根底には、彼が著書やインタビューで繰り返し語ってきた幼少期の戦争体験がある。B29の姿を捉えるために夜空を照らす日本軍のサーチライト、焼夷弾の炎に染まった紅い空、巨大水槽の中で泳ぐ奇形の金魚。網膜に焼きついた色彩とイメージは生涯にわたり影響を及ぼしてきた。

第10章「貘の札」に展示されている本展のメインビジュアル「森の掟」には、アンリ・ルソーの「戦争」と「夢」の引用をベースに、ミュータント化した金魚、警笛を発する鶏、戦闘機、眼光ビームを発する綺想体など、田名網が戦時中の記憶を反芻するうちに抽出し図案化したキー・モチーフ群が循環するように配置されている。この作品の先にある部屋の入口には同じく金魚モチーフの作品「DO NOT BOMB」が掲げられ、その下を潜ると暗室の壁一面にパノラマ状のスクリーンが広がり、夢やせん妄、欲望や無常感が入り混じるアニメーションが立ち現れ、天井には戦闘機が翻る。

以前「人生を振り返ると、やはり戦争ほどすさまじい体験は他にない」と語っていた田名網は、長年にわたり自身の原体験に潜む何かを模索していた。一方で本来、戦争は個人ではなく人類の記憶として、国や世代を超えて省みるべきだが、いまだに世界中で戦争が繰り返されている。こうした現実を客観的に見つめ導き出した観念を物語っているようだ。

2000年代以降の田名網のコラージュ作品は、内省的かつ俯瞰的な視点を含みながらもいわゆる戦争画や心象風景画とは異なる。「創作していくうちに自然とポジティブなイメージへと変換されていった」という言葉通り、力強い生命力に満ちた色彩や躍動感溢れる構成が生み出すエネルギーによって、鑑賞者が未来に向けたステップを感じられる。

著書やインタビュー、作品のキャプションにもあるように、田名網は分析的で思考や概念の言語化に秀でた人物だった。それでも言語化し難い個人の体験と歴史の関係性を、デザインが持つ“可視化する力“によって鑑賞者が認知できる状況を作り出すことによって表現してきたのだと感じる。

そして、挑戦により生み出された作品は年を追うごとに純度を増し、コラボレーションによって形を変えながらジャンルを超えて次代へ受け継がれていく。

「記憶の冒険」の作品群は、日本の戦前戦後史、文化史、美術史をまたがる壮大な架け橋のようだ。鑑賞を通じて彼が残した記憶の重みを受け止め、まなざしと挑戦精神を次世代につなぎたいと願う。

生と死の境界を間近で見た者の無常観

遡ること本展第0章「俗と聖の境界にある橋」にて眼前に出現する「百橋図」。幼少期に遊び場としていた目黒雅叙園や日本映画の陰惨なシーンの記憶、葛飾北斎の「諸国名橋一覧」をファクターとし、田名網が追求し続けてきた彼岸と此岸の境界を「橋」に見立て、その上を死生観や記憶を具象化した異形が亡霊のように行き交うインスタレーションだ。


◾️田名網敬一 記憶の冒険
会期:11月11日まで
会場:国立新美術館 企画展示室1E
住所:東京都港区六本木7-22-2
時間:10:00~18:00
※毎週金、土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
入館料:2000円(一般)、1400円(大学生)、1000円(高校生)※いずれも当日
休日:火曜
URL:https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/keiichitanaami/

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