PROFILE: 大石祐介(MARCOMONK)/フォトグラファー、コラージュアーティスト、映像作家
フォトグラファー、ビデオグラファーのMARCOMONKこと大石祐介がコラージュ作家としての活動を初めたのが2020年。以降、展示のほかにInstagramでも精力的に作品を発表し続けてきた。先月には中目黒・アート喫茶フライで個展「PAPERPELLED」を開催した。展示では、バスケットボールやダンス、スケートボードといったアメリカのカルチャーに傾倒した若い頃の風景や周辺の仲間、先輩、遊んでいた場所なども登場し、過去と現代を縦横無尽に紡いだ作品が並んだ。
フォトグラファーとして活動する写真にはドキュメンタリーやライブ感など写る人や場所の息づかいが聞こえるような作品が多い。グラフィックデザインの経験がないため、限りなくアナログな手法で作るコラージュ作品はファンタジーでありながらも、どこかリアルな印象も受ける。今回はコラージュアーティストとしての活動に加えて、フォトグラファー、映像作家としての創作の原体験まで広く話を聞いた。
意味を持たないタイトルの展覧会
WWD:今回の展示「PAPERPELLED」のテーマを教えてもらえますか?
大石祐介(以下、大石):作品の制作過程でコラージュだけでは物足りない感覚があって、タイトルを載せてみたら少しだけやりたいことの輪郭がはっきりしてきました。ですが、もう一歩という感覚がどこかで引っかかっていたんです。たまたま国内外の雑誌をかなり読んでいて時だったこともあって、架空の雑誌の表紙を作ろうと考えました。
でも、言葉が意味を持つのは違うと思い始めて、架空の雑誌を作る上で言語のすべてに“意味がない“ことに決めました。タイトルもコピーの言葉も文字面を見た時の気持ち良さだったり、好きな形で選んでいます。ちなみにタイトルの“PAPERPELLED”は鎌倉の「Cy」での展示と同じなんです。言葉に意味はないですけど、それが有機的につながっていくのがおもしろいと感じて。Tシャツなどのマーチャンダイズも含めてシリーズ化できたらいいなとも思っています。
WWD:“Untitled(無題)“にはしなかったんですね。
大石:「なんなんだろう?」っていう感覚が楽しいから、何かに引っ張られたりする感覚だったり没入感でいうと、今回は意味のない言葉がしっくりきたんですよね。しかも、それがずらっと並んでるとさらに不思議に感じるでしょ。
WWD:ちなみに、特定のインスピレーション源はないということですが、大石さんの場合、写真家でもあるので自分の昔の写真になるのかなと思いました。
大石:作品の1番の売りというか、大事にしていることは実際に自分の写真をハサミで切って並べて撮影すること。以降はデジタルの作業になりますが、基本はアナログなんです。全てデジタルで作業する人もいるでしょうし、やり方はひとそれぞれですが、自分がフォトグラファーなのでこのゴールの仕方が美しいっていうか、いい形だなと思います。自分の写真を別の作品に落とし込むことは、コラージュの作家性も大切ですけど、フォトグラファーの写真作品としても機能するのではないかなと。仕事になると他者の素材を使う場合もあるけど、作品はすべて自分の写真を自分で切る。自分の写真だから大胆にもなれますよね。
WWD:例えば、作品のために「この素材がほしい」というような感覚で撮ることはあるんですか?
大石:それも一応あります。あるっていうか、こんな素材があったらおもしろい作品が作れそうっていうモチベーションで撮ることはありますね。
WWD:コラージュするときのストックみたいな感覚ですか?
大石:コラージュをやり始めてからそういう撮り方もするようになりました。自転車で走っているときに、「あのビルを切り取りたいな」とか。それが作品に使えるかどうかは全然わからないですけどね。だから、撮ってみようという場合はあります。
WWD:編集者っぽい考え方でもありますよね。
大石:自分が影響を受けたというか、拾ってくれた先輩が元「ワープ(WARP)」の編集長の伊藤(啓祐)さんなんです。「フランク(FRANK)」の日本版の編集長でもあって、本を作っているのを側で見ていたので、当時は意識的に編集の仕事をしたことはなかったけど楽しそうだなとは思っていました。
WWD:ウェブメディア「グッドエラーマガジン(GOOD ERROR MAGAZINE)」では副編集長を務めていますが、その影響も少なからずあるのでしょうか?
大石:自分は編集の仕事をしたことがないので素人。立ち上げ当初にいろんな人に相談したら、「素人のままでいいと思う」と言われたんですよね。その時に、無理に何かになろうとするんじゃなくて、自分たちの発想をいかに表現できるかっていうことが大事と考えるようにはなりました。
WWD:ニューヨークのローカルなライフスタイルをまとめた写真集「LIFE THROUGH MY EYES」もそうでしたが、ライブ感だったり人や街の息づかいを感じるというか、写真が1枚の勝負と考えるとコラージュの考え方は正反対な気がするんですが。
大石:自分でも分かんないです。作品についてはその時の感情とか感覚で作ることが多いので、考えるより動いてますね。子どもの頃からそんな感じだったので、大人になって考えることが多くなると嫌だなとは思ってますね(笑)。ゴールもないし、もしかしたら、もっとおもしろいことに出合うかもしれない。それは写真でも、コラージュでもない違うものにたどり着く可能性もあります。今は写真もコラージュも楽しいですから、やりながらいつか全部変わってしまうかもしれない。
ジャンルを横断する作家の原点
WWD:作品の中にはバスケットボールやダンス、スケートボードという要素がありますが、写真を始めたきっかけなども今回の作品に生きているんですか?
大石:それはあるかもしれないですね。バスケは学生時代に、ダンスも若い頃にやっていたので、自分が生きてきた流れを切り取ったように見えるかもしれませんね。ある部分が過去で、それが今になって表出してくるような。これまで適当に生きてきたけど、 それも無駄になってないっていう使い方をしているのかな。適当さも、だらしなかった時代の“跡”は全部使いたいですね。
WWD:どういう経緯でフォトグラファーになったんですか?
大石:地元が北海道の函館で、札幌の大学に進学して大学2年からダンスを始めたんです。実は小学校からダンサーになりたくて、卒業文集の将来の夢に“ダンサー“って書いた覚えがあります。札幌でずっと活動していて、ラッキーなことに大会で優勝もしたので20歳で1回夢叶えているというか、それなりに楽しく過ごしてたんですけど、26歳の時に体調を崩したんですよね。ダンスもできなくなっちゃってリハビリで始めたのが写真です。父親に借金してカメラを買ったんですよ。その頃は東京にいたんですけど、体調が悪いからスタジオにも行けないし、学校に行くにもお金はないし。誰かに師事するシステムも知らないから、本屋で買えない高い入門編を立ち読みしては、家にダッシュで帰り勉強してましたね(笑)。そうしているうちに、ダンスは好きだったのでダンサーとかDJを撮影するようなパーティーフォトを撮ることが多くなってきました。当時は原宿の「UC」によく行っていたけど、そこにいた人たちが自分の恩人ですね。家のように通っていたから、ただ撮り続けてたって感じでした。
WWD:クラブや音楽、ダンスが活動の原体験。写真や映像を独学で体得してから、どうコラージュの世界に足を踏み入れたんですか?
大石:かなり後ですね……コロナ禍で偶然に始めました。それまで漠然とコラージュに引かれてはいたけど、普段は撮影してる側なので他人の写真を勝手に切り取るという事に抵抗がありました。その頃、コロナで断捨離をしていた時にニューヨークで撮影した時の写真が大量に出てきたんですよね。その時にどうせ処分するなら、自分で撮影した写真だし切ってみようとハサミを入れたら楽しかった。最初は見せられるものではなかったけど、図画工作の授業を思い出してその時のノリで切っては貼ってを繰り返してました。恥ずかしながら周りの友達に見せたらかなりポジティブな反応が返ってきたので、いけるかもしれないと思ったんです。
続けているとクオリティーは上がっていきますから、数カ月間没頭していたらできる幅が広がっていって、信頼している先輩からも評価してもらえたタイミングで「仕事にする」って宣言をした後すぐに「ニューバランス(NEW BALANCE)」に声をかけてもらったんです。
WWD:すごいタイミングですね。
大石:アシストしてくれたのは三浦大知くん。コラージュをInstagramにあげたら、大知くんが反応してくれて。その時、大知くんは「ニューバランス」のコラボTシャツ企画があって、そこに参加することになりました。ニューバランスを着た大知くんの写真はいっぱい撮ってたから、その素材で作りました。本人と分かるような感じのコラージュじゃないけど、一発OKだったのでありがたかったですね。それより、元々仕事は一緒にやっているけど、見ててくれたのは素直にうれしかった。その後もコンスタントにアーティストの宣材とかアルバムジャケット、コロナ禍には、札幌のノットホテルでマスクのデザインになったり、どんどん進んでいった感覚です。
WWD:写真も映像もコラージュも誰かから影響を受けたりしたことはありましたか?
大石:何かに影響されたというよりも、同い年の彫刻家の小畑多丘の存在。彼の作品はもちろん言うまでもなくめちゃくちゃすごいんですけど、それ以上に存在自体が素晴らしくて、同い歳という事もあって、一緒に遊んだり、踊ったり、身近にいると刺激たっぷりなので、そういった意味では影響受けてるかもしれないですね。後は、「グッド エラー マガジン」の編集長でもあり、“THE FASCINATED “というサボテンのプロジェクトをやってるyoqo くん。彼のセンスは最高で、やることなす事全てが自分の中には無い発想でクリエイトしていくので、身近に居ながらハッとさせられるし、影響を受けるというよりは、じゃあ自分は何ができるかなという気持ちにしてくれる1人です。
WWD:好きだけど、影響を受けるまでには至らないようにしている。
大石:わからないですけど、誰かの真似はしたくないし、引っ張られるのも嫌なんです。その可能性があることは避けるようにはしています。写真でも映像でも、初期衝動は重要ですが、必要以上に掘り下げることはしないですね。ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)やスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)も大好きですし、好きな写真家もたくさんいます。だけど、特定のアーティストだったりクリエイターではなくて、遊びの中だったり誰かを追いかけている現場で見たもの、感じたことに影響を受けています。もちろん、ニューヨークで撮影していた時に見たアートに感激したこととかはありますけど。例えば、札幌に住んでいた時にプレシャスホールによく行っていて、フライヤーのデザインがかっこよかったので集めたりしてましたね。
WWD:誰かとの出会いだったり、現場の出来事が数珠つなぎに自然と作品に反映されていくんでしょうね。作品を作る上で大切にしていることは何ですか?
大石:写真や映像に関しては、感覚が少しずつ変わったりはしますね。写真集を出した頃は、映画のワンシーンを切り取るような撮り方を意識していました。で、やりすぎちゃって縦の写真が撮れなくなった後に、ひたすら縦で撮影したこともありましたね。映像でいうと、ドキュメンタリーは好きだけど、自分の思うように撮影して音楽を組み合わせる、ダンス的な部分というか、音と映像のリズムの心地良さを追及している作業が一番楽しいですね。
理屈抜きに気持ちいいっていうのは写真にも映像にも共通して目指していることかもしれないですね。コンセプトとかテーマとかも関係ない……普遍的な要素というか。だから写真を撮っていて楽しいのは日常です。仕事の場合はできる範囲はやりますけど、レタッチとかはなるべくしたくない。自然な写真が好きなので。
WWD:クライアントワークでは説得性だったり、明確なメッセージを求められる場面も多いと思うのですが、広告と作品で考え方を分けていることはありますか?
大石:ほとんどないです。クライアントも含めて僕を選んでくれた人たちとの相性が良かったっていうこともありますけど、すごく苦労したことはそこまでないですね。自分の提案がたまたま通じたことが多い気がします。辛い記憶を消しているのかもしれないけど(笑)。
WWD:ここでも、人だったりコミュニティーが重要になってくるんですね。
大石:自分は基本コミュニティーとかをあまり意識していなくて。ボヤっとしてるんですが、友達の派閥というかセグメントみたいなものはあまり得意ではないんです。ただ、自分がおもしろい!楽しい!みたいな感覚を共有できる人達と関係を築いている感じですね。とにかく、人と人がつながって行くのがおもしろい。なので、最近はタイミングが合えば地元の函館にもなるべく帰るようにしています。知らない世代との交流は本当に楽しいんです。
WWD:何かを俯瞰で見たり、距離感を取ることは作品にも反映されたりするのでしょうか?
大石:距離感はとても大事にしてます。自然に身についた部分もあります。でも、作品に反映されているかはわからないですね。コラージュに関しては初期衝動がすべてだと思うので、見る人が自由に感じてもらえればうれいしです。
WWD:展示から1週間で全作品が売り切れたと聞きました。
大石:最初は売れるのかな?と思っていましたけど、そもそも単純に「おもしろい」「配色が好き」「見ていて楽しい」という意見をもらえたことが一番嬉しいです。これまでの写真やコラージュでも “売る“を意識して作ったことはなくて。アートを買う行為にハードルの高さを感じる人がいますけど、僕の作品は気に入ったフライヤーの気分で見てほしいです。「なんか良かった」が最高の褒め言葉ですし、コンセプトも分からないし語れない、だから僕はアーティストではないんです。結果、完売したのはとてもありがたくて、めちゃくちゃうれしいですけどね(笑)。