PROFILE: ジョン・ガリアーノ 「メゾン マルジェラ」前アーティスティック・ディレクター(左)とレンツォ・ロッソOTB会長
「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のジョン・ガリアーノ(John Galliano)=アーティスティック・ディレクターは、12月11日に退任を発表した。後任は未定。同氏の今後の活動も現時点(12日)では明らかになっていない。2014年に就任したガリアーノは、その独自の美意識で「メゾン マルジェラ」のクリエイティビティーをさらに進化させた。24年1月に披露した“アーティザナル”コレクションのショーは、妖艶でミステリアスな世界観とスペクタクルな演出で世界的に称賛された。ここでは、ビジネス面でも大きく貢献したガリアーノが語ったブランドへの思いや現在の心境などをまとめた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年12月16日号からの抜粋です)
「メゾン マルジェラ」は、ベルギーのデザイナーであるマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)が1988年に設立。2002年にOTBが主要株主となり、06年に傘下に収めた。同社は現在、ほかに「ディーゼル(DIESEL)」「マルニ(MARNI)」「ジル サンダー(JIL SANDER)」「ヴィクター&ロルフ(VIKTOR&ROLF)」などを擁している。
ガリアーノは、1960年にイギリスの海外領土ジブラルタルで生まれた。シアトリカルな美学と壮大なインスピレーションが強みの彼は商業的な成功を簡単には得られず、資金繰りにも苦戦したが、スーパーフェミニンなガウンや革新的なテーラリング、生意気でストリート感あふれるエッジで瞬く間に有名になり、国際的なファッションシーンで頭角を現した。その才能に目をつけた、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)のベルナール・アルノー(Bernard Arnault)会長兼最高経営責任者は95年、傘下の「ジバンシィ(GIVENCHY)」で引退するユベール・ド・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)の後継者にガリアーノを抜てき。その翌年には「ディオール(DIOR)」へと移籍してコレクションを15年間手掛け、メゾンの世界的な名声をさらに高めるとともにイメージを向上させることに貢献した。しかし2011年に、パリのバーで人種差別と反ユダヤ主義的な暴言を吐いたことにより、「ディオール」と自身の名を冠したブランドから解雇された。一時はファッション界の表舞台から姿を消したが、14年に「メゾン マルジェラ」のアーティスティック・ディレクターに就任し、カムバックした。
OTBのレンツォ・ロッソ(Renzo Rosso)会長は、傘下に収める以前から「メゾン マルジェラ」を深く愛していることを公言。09年にマルジェラがブランドを離れた際、新たなアーティスティック・ディレクターを探すこととなり、最終的にガリアーノを迎え入れたが、その道のりは簡単なものではなかったという。「クリエイティビティーに情熱を傾ける私のような人間にとって、ジョンはアイコニックな存在だ。その素晴らしい創造性やものの見方、自由な解釈に直感的に引き付けられた。彼が『ディオール』を離れた際、その理由は知らなかったが、『ファッションの神のようなジョンと仕事をしたい』と夢見ていた。そこから2年にわたって熱烈にラブコールを送り続けたよ。そしてある夜、ジョンを密かに『メゾン マルジェラ』のアーカイブに招いたんだ。翌日には電話が来て、『メゾン マルジェラ』で表現したいことを次から次へと語ってくれた」と、当時を振り返った。「ジョンがその溢れんばかりの才能を発揮できる場所に連れ戻すことに貢献できて、とても誇らしく思っている」。
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