“GAKUは、10代の若者がクリエイションの原点に出合える学びの集積地です”──ファッションブランド「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」の山縣良和デザイナーが、渋谷パルコの9階で教育プログラム「GAKU」をスタートしたのは2019年のことだ。現在、シラバスには「新しい演劇のつくり方」「限界美食論」「創造的鑑賞学入門」など、大人の知的好奇心をも刺激する講義タイトルが並ぶ。なぜ10代にターゲットを絞り、難解とも思われるテーマの講座を開くのか。「GAKU」ディレクターの山縣デザイナーと、事務局スタッフの杉田聖司、講師の1人である大草桃子を訪ね、その哲学を聞いた。
WWD:改めて、「GAKU」とは?
事務局スタッフ杉田聖司(以下、杉田):音楽や街づくり、キュレーション、建築など多種多様なジャンルのクラスを開講する10代向けのカルチャースクールだ。渋谷パルコ9階を学び舎として、ファッションデザイナーや写真家、編集者らの専門家が先生役を務める。クリエイター育成が目的ではなく、若者が気軽にトライアンドエラーを繰り返しながら、自分がどう感じて、どんな表現が楽しくて、どう社会とつながっていくのかを体感でできる場所づくりを目指している。
大学のように必須単位を取得する必要もなく、好きな講座を選び、好きな時に登校できる。そもそも英検1級などの資格や経験者優遇といった入学要件もない。できる限り多くの人に体験してほしいから、三菱地所や東急、東京建物といった企業からの協賛・協力を受けて、ほぼ全てのクラスを無料で受講できるようにしている。これまで延べ750人ほどの修了生を輩出してきた。
WWD:立ち上げの経緯は?
山縣良和「GAKU」ディレクター(以下、山縣ディレクター):2019年に渋谷パルコから、施設の大型リニューアルに際して「ここに学びのスペースを一緒に作りませんか」と声をかけてもらったことがきっかけだ。実は渋谷パルコの9階は、渋谷区の管轄する敷地。文化施設としての活用を求められたことから、08年からファッションの私塾「ここのがっこう」を開いている僕に白羽の矢が立ったようだ。ただ僕自身は、同塾とコンセプトが被るものを作る必要は感じなかったから、ターゲットを10代に絞ることにした。
WWD:なぜ10代?
山縣ディレクター:日本の教育現場をリサーチする中で、10代の若者が芸術分野を自由に学べる場が不足していることに気づいたから。小学生向けにはワークショップや塾が比較的存在するし、成人対象には専門学校や大学などの専門機関がある。それに比べると、その間の年代には体験の場が設けられていない。日本では、小学生には「何でも自由にやってOK」という空気を醸し出しているが、中学生や高校生に対して、大人は急に保守的な態度を取り、受験に直結する勉強をさせ始めてしまう。10代という時期は、多感な彼らのキャリアパスに大きな影響を与える。「何になりたいか分からないけどとりあえず受験勉強をやっておこう」とならざるを得ない教育環境に疑問を覚え、彼らがリベラルアーツに触れ、いろいろな選択の可能性を体験できる空間を作りたいと考えた。
10代に真正面からぶつかるために
個性的なシラバス設計
WWD:具体的にどんな授業を行う?
杉田:例えば今年は、サステナビリティを軸にしたクラスを3つ開講している。そのうちの一つである“サステナビリティ×ファッション”がテーマの「わたしたちのファッション表現」では、ファッションと環境問題の関連性を踏まえ、「それでもファッションに何ができるか?」という思索を深めていく。最終ゴールは、ファッションと地球のより良い関係を実現するファッション表現をプレゼンテーションすること。ファッションの専門学校を卒業し、「リトゥンアフターワーズ」でクリエイションの経験を詰んだ大草さんや、「WWDJAPAN」の向千鶴サステナビリティ・ディレクターらのアドバイスを受けながら、生徒は修了制作に挑む。
おもしろい講座が目白押しだが、“サステナビリティ×食”がテーマの「限界美食論」も個性的な内容に仕上がった。持続可能性に関して革新的な取り組みをする飲食店であることを示すミシュランの「グリーンスター」を獲得したフレンチレストラン「ノル(NOL)」とコラボレーションし、同店の野田達也シェフ兼ディレクターを講師に招く。11月から来年3月まで、全7回の授業を通して新たな食事のあり方を考える内容だ。「食が地球環境に及ぼす影響は?」「地球を傷つけずにおいしい食事を実現するには?」「そもそも自分にとっての“おいしい”とは?」などをティーンエイジャーと議論しつつ、オリジナルレシピを開発し、盛り付けについても学ぶ。
WWD:ちなみに、ファッションをテーマにした講座はGAKUを設立して以来始めての取り組みだと聞いた。なぜ初めからファッションのコースを作らなかったのか?
杉田:サマースクールなど、単発でファッションの授業を実施したことはあるが、確かに長期的な講座という観点ではそうだ。正直、その理由をあまり意識したことはなかったが、ファッションはどんなことにも通底しているというのが一番大きいと思う。例えば演劇の授業では衣装について考えることもあるし、写真に関する講座でも欠かせない要素になっている。メイクアップ講座では過去に、ファッションショー形式で修了制作を発表したこともある。
山縣ディレクター:今期のファッション講座は、“サステナビリティ”という大きなテーマが先にあったからこそ立ち上がったようなもの。サステナビリティが密接に関わる事象として衣食住を想定し、上述の「わたしたちのファッション表現」と「限界美食論」、そして建築が切り口の講座「未来都市における循環のシンボル」を考案した。
WWD:ここまで話を聞いていて、10代が対象とは思えないほど、哲学的で歯応えのある講座ばかりだ。
山縣ディレクター:10代だからといってあえて優しい内容すると、“大人対子ども”という表面的な属性で付き合おうしていると誤解されかねない。自分が10代だった頃も、素の状態で話しかけてくれる大人に耳を傾けていたように思う。
大草:彼らが発する言葉に対して、大人の私たちの方が刺激を受けている。若いから柔軟な発想が出てくるというよりは、ピュアな着眼点を持っている気がして。例えば、私も講師として参加する「わたしたちのファッション表現」では、「そもそもファッションとは?」という問いに対して、生徒が「なんで世のお婆さんはみんな似た格好になっていくんだろう?」「自分は風呂上がりにどうしても服を着たくないけど、この状態はファッションなのか?」なとど、話題をどんどん広げてくれた。
杉田:まだ言語化するまで至らずとも、すごく何かを考えていたり、作品として表したりしてくれる学生はたくさんいる。「自分の感じていることを話せる場所がここにある」と実感してくれると、どんどん喋りたい気持ちが溢れてきて、それが生徒間で連鎖反応になり、真っ先にハウツーを教えずとも新たな表現が生まれてくる。
「べき論」が若者を縛るリスク
答えが出ないことも受け入れる
WWD:ハウツーを教えないとは?
大草:あくまでもクリエイションの出発点は生徒の個人的な動機にあり、やりたいことを叶える手段として、ハウツーを紹介するということだ。私はパターンの引き方をレクチャーする回で、「写真の授業を受けたことでスキャンが好きになった」と話す男子生徒がいたので、コピー機で服をそのままスキャンして、そこに縫い代をつけてみたら?と提案してみた。すると、最初はパターンを難しく捉えていた彼も、「めっちゃ楽しい!」と制作に集中し始めた。日本のファッション専門学校では、服作りのハウツーに重きを置きがちで、学生に「なぜこの方法を使うのか?」と考える時間をあまり与えない。そうすると、先生が先に枠組みを作ることになってしまう。
生徒の「こういうものが作りたい」という動機を引き出すためには、教える側の私たちが心を開いて対話を仕掛ける必要がある。だから私は、私服を大量に授業に持ち込んで生徒に見せたり、最近興味のあることを語り合ったり。そうすることで、学生からも「これやってみたんですけど」とか「こういうやり方が知りたい」と次々と自発的なアクションが生まれるようになった。「べき論」の多い教育環境では、“普通”から外れることを恐れる若者を増やしかねない。
WWD:「GAKU」を通して学生に何を伝えたい?
大草:2つある。1つは、目に見えるものだけが成果物ではないということ。現時点では答えが出なくとも、授業を通して何かぼんやりとした考えが生まれるだけでも十分だ。また、「GAKU」では講座のゴールを“何かを作って発表する”ことにしているが、例えばモノを届けるという行為に興味がある学生もいる。その場合、PRや編集という職業を紹介することもできるだろう。
2つ目は、苦手潰しをする必要はないということ。それよりも、自分は何が得意で苦手なのかを客観的に理解できるようになればいい。もしも苦手なことに対して、どうしても興味を捨てられないのであれば、1人で取り組むのではなく、それが得意な人と協力すればいいかもしれないから。実際、「GAKU」修了後、演劇に興味のある学生たちが集まって劇団を組んだ事例がある。自分たちの得意分野を生かして、脚本を執筆する担当もいれば、補助金を申請する事務担当もいた。
山縣ディレクター:ただ、僕らだけがこういったことを伝えていては意味がない。「GAKU」で学んだとしても、専門学校や大学に進学したい学生には、進学目的の受験が付きまとう。本来なら「GAKU」で習得したことの延長上に進学があってほしいのに。だから、一般校にも僕たちの価値観を広めるために、「GAKU」外の人たちと社会的に連携する必要があるし、東京都以外でも同様の試みを仕掛けなければならない。自分が何をしたいのかを理解し、その気持ちを持ち続けられる若者を増やしたい。そうすれば、みんなが生きやすくなり、国や社会が豊かになると思うから。