PROFILE: 是枝裕和/テレビディレクター・映画監督
映画「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞し、2023年「怪物」で脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞をW受賞するなど、世界的にも注目を集める映画監督・是枝裕和の最新作、Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」(全7話)の配信が1月9日からスタートした。1979〜80年にかけてNHKで放送された、向田邦子が脚本を手掛けたホームドラマを、是枝監督が新たに監督・脚色した。物語の中心になるのは竹沢家の四姉妹で、長女・綱子を宮沢りえが、次女・巻子を尾野真千子が、三女・滝子を蒼井優が、四女・咲子を広瀬すずが演じる。
「最も尊敬し、自分に一番影響を与えた」と敬愛する向田邦子の傑作をどう脚色し、四姉妹を演じる俳優たちをどう演出したのか。是枝監督に話を聞いた。
オリジナル版からの変更点
——「阿修羅のごとく」は八木康夫プロデューサーが企画して、是枝監督にオファーしたと聞いています。1979年から80年にかけて作られたドラマを、今の時代に再びドラマ化することに惹かれた理由から聞かせてください。
是枝裕和(以下、是枝):もちろん「これ(1979年の台本)をこのままやって、今伝わるかな」など、いろいろと考えましたが、はっきり言うと“今やる意義”みたいなことは後付けです。向田邦子さんには直接会えなかったから、書かれたものからしか分からないけれども、自分が一番影響を受けた脚本家の1人であることは間違いない。「阿修羅のごとく」は向田さんの代表作ですし、見事だなと思っていたので、自分のワークショップでも台本を使っていました。そこに、この4人(宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず)で「阿修羅のごとく」をやらないか、という依頼が来たら断る理由がない。「お断りします」という演出家はいないんじゃないかな。
——ワークショップではどのシーンを使ったのでしょうか。また、是枝監督から見た「阿修羅のごとく」の脚本の見事さとは。
是枝:ワークショップで使ったのは1話の、お正月に4人が巻子の家に集まって、鏡餅で揚げ餅を作りながら父親の浮気について話す場面です。そこで4人それぞれの父親への距離感の違いが明らかになる。なおかつそれを通して、4人がどういう男性観を持っているのかという、娘たちの“側(がわ)”も見えてくる。ワンシチュエーションでのその書き分けが見事だなと、実際に演出してみてもすごく思いました。そして、台本を読み込んでいくと、あのシーンは実は巻子と(夫の)鷹男(本木雅弘)のシーンであることが分かってきた。「なるほど、そういう読み替えをしていくと、カット割りが変わってくるな」と。自分が撮るならどうするかを考え始めたのはそのへんからですね。
——今回、どのような方向性で脚色をされましたか。
是枝:オリジナルが相当に完成度の高い作品なので、初めは脚本を一字一句変えずにやろうと思っていました。制作するにあたり、実妹の向田和子さんにお会いしたところ、脚本は好きなようにしてくださいとおっしゃってくれて。それで少し手を入れてみようかと思い、脚色し始めたら、4人の俳優たちのキャラクターに沿って書き加えていくことが楽しくなってしまった。それなら女性像そのものもアップデートしていこうと思いました。
参考になった作品が「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(グレタ・ガーウィグ監督、2020)です。「若草物語」という古典を現代的に解釈して、四姉妹の次女・ジョーが文筆業で自立するという着地のさせ方が非常に見事だった。もちろんオリジナルの映画も僕は大好きですが、不在だった父親が帰ってきたことで、欠けていたピースが埋まるというストーリーは、父親を家の中心であるとする古典的な家族観が色濃くあるようにもとれる。それを再解釈した「ストーリー〜」のような描き方ができるのであれば、「阿修羅のごとく」の中にあるそういう要素も、別の角度から描き直せると思ったんです。
読んだときに一番難しいなと思ったのは次女の巻子です。専業主婦で、家で夫の帰りを待ちながら、夫の浮気に悶々として、不安に苛まれて万引きまでしてしまう。そこを、尾野真千子さんのキャラクターも含めてどううまくアップデートできるかが1つのポイントでした。もう1つは、広瀬すずさんが演じた咲子の描き方。(NHKドラマ版で)風吹ジュンさんが演じた咲子は、姉との対比で言うと、自由恋愛をしていて、イメージとしてはとても現代的で、奔放な存在として描こうとして始まっている。にもかかわらず、意外と連れ合いに振り回されていて、実は一番古風で、むしろ母親と根底では近い男性観になっているところがやや気になりました。だから咲子も、広瀬さんの中にある「強い」イメージに寄せていき、男性のためではなく自分の幸せのために行動するという、ある種のエゴをちゃんと描く方向性でリライトしました。
——他に、NHKのドラマ版から改変はしましたか?
是枝:基本は変えていません。向田邦子ファンが不満に思う改変はしていないつもりです。僕もファンの1人なので。ただ、NHKのドラマ版は、もともと全3話で作ったものが好評で、パート2として4話プラスされて全7話になっているので、3話の終わりで「阿修羅だよね、女は」と鷹男が言ってしまう。これはもったいないなと思った。7話全体で1つのシリーズという捉え方で考えて、鷹男の台詞を7話まで取っておくという変更はしました。
「ローカルであることがネガティブには受け取られない」
——このドラマは、物事を全てつまびらかにしない、人が人を裁かないところにリアリティーがあり、そこが面白さだと感じました。近年の全てが説明される分かりやすいドラマに慣れている視聴者は困惑する気がします。私自身、10代の頃は映画やドラマに答えを求めていたので、当時の自分がこのドラマを見たら、心の底から面白みを感じられなかった気がします。是枝監督がそういう層への配慮をした部分はありますか?
是枝:普段からあまりそういうことは考えないので、今回も考えていません。多分ね、年齢は関係ないと思いますよ。
——そうでしょうか。というのも私自身、今回の「阿修羅のごとく」を見て、「これが理解できるのは年を取ったからだ。年を取ってよかった」と思ったんです。
是枝:年を取ると理解できることが増えていくかもしれないけれど、「説明してくれよ」という意見は、年代、世代を問わずある。それに対しては「分かろうよ」という話ですよね。
——確かに……。ちなみに海外の視聴者は意識しましたか。
是枝:これもいつもと同じで、していません。配信の影響かどうかは分かりませんが、ローカルであることがネガティブには受け取られないということを、この10年で強く感じているので。ドメスティックとローカルは多分違うと思うんですけど。ある種の地域性や時代性を深く掘り下げても、それが伝わらなくなることはないと考えて作っています。
——今回の企画で、是枝監督がチャレンジしたことはありますか。今までやってなかったけれど、この作品だからできたことなど。
是枝:そういうことも最初は考えていなかったです。ただ、作り始めてから、昭和のあの時代のドラマを今作るのは、時代劇を作るのと同じぐらい大変だなと実感しました。風景も建物も残っていないから。すごく優秀な制作部が探してきてくれたロケーションを長く一緒に仕事をしている三ツ松さんの作ってくれた素晴らしいセットと組み合わせて何とかなりましたけど、「もうこんなに残ってないんだね」という感じです。
この4人だからこそできた演技
——4人でおしゃべりするシーンをワンカットで撮影した場面が圧巻でした。どう演出したのかお聞きしたいです。
是枝:事前に本読みをやって、ポイントポイントで、現場でももちろんリハ(ーサル)をしました。
——台詞は一字一句、台本通りですか?
是枝:宮沢りえさん以外の台詞は台本から変わっていないと思います。宮沢さんは3人をおそらく信頼しているから、あまり固めずに現場に入って、4人の掛け合いの中で「分かった。(尾野)真知子がそうやるなら、私はこう動く」とつかんでいくタイプでした。現場で1回やれば、もう入る。そういう人が1人いた方が、ライブ感が出るからいいし、うまくバランスが取れたと思います。
食べながら台詞を言うときは、普通は聞きにくくなるからあまり口の中に入れないけれど、今回は「入れてくれ」と言いました。「聞こえなかったら『何?』って聞き返してくれればいいからね」という話をして。だから宮沢さんは目一杯食べ物を口に入れて台詞を言っています。あと、「相手の台詞に自分の台詞をかぶせていいから」という話もしました。それがあの4人にしてみると、やりやすかったというか、すごく面白かったみたいです。他の現場だと「編集できなくなるからかぶせないでくれ」と言われる、もしくはかぶったときに、アフレコをせざるを得なくなる。今回はそれがなかったのが、4人にとって良かったようです。
——ものすごくハイレベルなことですよね。
是枝:あの4人だからできたことだと思います。4話の頭の、ボヤの片付けをするシーンで5分近く長回ししたんです。あれは楽しかったですね。みんなで畳を上げたりなんかしてのポジション取りも、展開も。畳が倒れたりするのは全然想定外だったので。4人ともあのシーンが好きで、「つらくなるとあれが見たくなる」「嫌なことがあるとあれを見てから寝る」と言ってました(笑)。
——監督が4人のすごさを感じたシーンをお聞きしたいです。
是枝:本当はさりげないシーンが好きなんだけど、こうやって選ぶとなると、どうしてもエモーショナルなシーンになってしまうなあ……。尾野さんは3話の、母親が倒れたあとの病室で、父親・恒太郎(國村隼)に食って掛かるところ。あれ、すごかったね。仲裁に入った鷹男のことを本当に殴っていた。テイク1が思ってたよりも激しくて、カメラが追えていないんですよ。テイク2もすさまじくていいんだけど、テイク1の勢いを選びました。あのシーンを撮ったあと、尾野さんが「お腹すいた」と言ってました。そして宮沢さんが「今日はたくさんお昼食べていいよ」と(笑)。
——それだけエネルギーを使うお芝居だったということですね。
是枝:ご一緒するのは初めてでしたが、蒼井さんも素晴らしかったです。緩急どちらも好きなんですけど、7話の、病室で啖呵(たんか)を切る芝居は「すげえな」と思わず声がもれそうになりました。松田龍平さんとの掛け合いもすごく良かったです。龍平がずるいんだよね。
——ずるい?
是枝:いいところを持っていくんだよね。何もしてないのに(笑)。広瀬さんは、3人に本当に負けていなかった。僕が一番好きなのは病室で……全部病室だな(笑)、義母に「あんた、(息子の)体の調子が悪いって前から知ってたのにあんなこと(ボクシング)やらせたんやろ」と詰められる7話のシーン。オリジナルで加えた部分ですが、義母の言葉を聞いているときの顔が素晴らしかったです。
宮沢さんは6話の、玄関の扉を挟んで巻子と対峙するシーン。「お姉さん、自分がやってること恥ずかしくないの?」と言われて、「恥ずかしくないわ」と言い返す。あそこが宮沢さんらしくて好きです。あれは僕が書き足した台詞なんですけど。オリジナルだと、後半まで綱子の日陰者感がちょっと強いんですよね。彼女は彼女なりの幸せを自分で選ぶ、それは別に家庭ではないというポジティブ感を出そうと思って足しました。宮沢さんがそこを引き受けてくれて、良かったです。
制作環境の改善は業界全体の課題
——今回、インティマシーコーディネーターを起用した理由を聞かせてください。
是枝:たしか(NHK版の演出をした)和田勉さんのエッセイにあったんですけど、「ホームドラマにセックスを持ち込みたい」という向田さんの意向があって、このドラマは始まった。きちんと性の問題をやるのだ、ということでスタートしている。地上波のドラマだからストレートではないけれども、そういう描写が脚本の随所にあるので、「怪物」でご一緒した浅田智穂さんにご相談して、入っていただきました。そういうシーンに関しては、事前に浅田さんが役者さんとミーティングを持ってから撮影に入りました。
——「そういうシーン」には、物理的な接触、セクシャルなムード、肌の露出など、いろいろな要素がありますが、どれを指しますか?
是枝:それは全部ですね。
——どれか一つでもあれば入れた方がいい?
是枝:浅田さんはそういうスタンスです。心理的な部分での抑圧があるものに関しては入る。だから「怪物」では少年同士がやりとりする場面で入っていただきました。
——今回、浅田さんが入ったことによって俳優のパフォーマンスにどのような良い影響があったと思いますか。
是枝:それは、もし聞かれるのであれば役者さんに聞いた方がいいと思います。僕が何か言うのは難しい。なぜかというと、役者さんは僕ら監督とのやり取りの中で、「私は全然大丈夫です」「どう撮っていただいてもいいです」「演技であれば触られても全然私は大丈夫です」と言うかもしれない。浅田さんに入ってもらっているのは、そこで僕が「僕にはそう言ってたからOKだよね」と言うことを避けるため。僕に言えないことも彼女になら言えるという理解のもとでやっていることだから、僕から彼女たちについてここで言及するのはルール違反になる。
——確かにその通りですね。勉強になりました。是枝監督は、映画業界の制作環境の課題を改善する活動もされています。テレビドラマの制作環境についてはどう見てらっしゃいますか?
是枝:大変そうですよね。時間がないんだろうなと思います。そもそも本数が多すぎる気がします。
——多すぎて、全然視聴が追いつきません。
是枝:追いつかないですよね。今のままの制作環境だと、きっと事故が起きるだろうなというぐらい、間に合っていない。役者がかわいそうな感じがします。
——なぜこんなにたくさん制作しなければいけないのか。
是枝:誰の都合なのかはわかりませんが、それは日本映画も一緒ですよね。でも、僕の立場の人間は「多いよね」とは言いにくい。「じゃあお前が映画を作るなよ」という話になってしまうから。ドラマも映画も制作環境の改善は、業界全体を見渡して、誰かがやっていかなければいけない課題ではあると思います。
PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
■Netflix シリーズ「阿修羅のごとく」
独占配信中
キャスト:宮沢りえ 尾野真千子 蒼井優 広瀬すず
本木雅弘 / 松田龍平 藤原季節 / 内野聖陽
國村隼 / 松坂慶子
原作・脚本:向田邦子
監督・脚色・編集:是枝裕和
企画・プロデュース :八木康夫
プロデューサー:福間美由紀 北原栄治 田口聖
音楽:fox capture plan
撮影:瀧本幹也
照明:藤井稔恭
録音:冨田和彦
美術:三ツ松けいこ 布部雅人
装飾:龍田哲児 羽場しおり
衣裳デザイン:伊藤佐智子
ヘアメイク:酒井夢月
音響効果:岡瀬晶彦 長谷川剛
助監督:松尾崇
スクリプター:押田智子
制作担当:後藤一郎
ラインプロデューサー:菊地正亮
制作プロダクション:分福
製作:Netflix