インターナショナルギャラリー ビームスは8月25日夜、設楽洋ビームス社長と丸山敬太「ケイタマルヤマ(KEITA MARUYAMA)」デザイナーのトークショーを行った。同店内に売り場を構えるフェルメリスト ビームスで28日まで開催中の、「ケイタマルヤマ」の展示「ザ ショータイム」を記念したもの。イベントには、「ケイタマルヤマ」のウエアや浴衣をまとったファンが集った。
トークショーは、設楽社長の「きょうはショータイム。僕のタップと敬太さんのストリップが見られるかも(笑)」という軽妙なあいさつでスタート。丸山デザイナーは展示について「ビームスの中でも個性的なレーベルである『フェルメリスト ビームス』で展示ができて楽しい。アーカイブが一堂に会することで、昔のものも今のものもリンクしていると改めて感じることができた。僕はあまりトレンドに左右されないタイプだが、それでも自分のクリエーションに時代の空気が色濃く反映されていると分かった」と語り、設楽社長は「今回の展示は『ケイタマルヤマ』の歴史が一望できておもしろい。そして、どのピースにも一貫して敬太さんらしさがある」とコメントした。ビームスとのつながりを聞かれると、丸山デザイナーは「初めて協業したのは1992年のこと。南馬越和義ビームス創造研究所クリエイティブ・ディレクターが『レイ ビームス』で何かやってみないか、と声を掛けてくれたのがきっかけ。思えば、僕が洋服を商品として作ったのは、あのときが初めてだった」と回想した。
その後トークは「どうしたらカッコいい大人になれるか」というテーマへ。設楽社長は自身を"徹底的にミーハー"と分析し、「年を取ると枯れたり、こだわりが強くなったりするが、ミーハーでいたいと思っている。軽薄と言われることをいとわない強さを持ちたい。そして、パンクなじいちゃんになりたい。もうじいちゃんなんだけど(笑)」「今年65歳になったが、いまだに『タラちゃんは3人いる!?』とみなさんに言われるくらい、あらゆる場所に出没している。今は情報でもなんでも携帯やパソコンでアクセスできる時代だが、いろいろなところに行って、体感することを大切にしてほしい。昔、寺山修司さんが『書を捨てよ、町へ出よう』と言ったが、僕は若い子たちに『携帯を捨てよ、町へ出よう』と言いたい」と話した。これに対し丸山デザイナーは「確かに!情報過多な時代だが、リサーチしすぎはよくない」と賛同し、「若い人たちには片っ端からトライして、『これは好き』『これは好きじゃない』と自分で判断し、それを客観視する力を身に着けてほしい。もう一つ大切なのが、想像力。妄想力でもいい。いろいろな想像をするべき」と語った。また"妄想力"を高めるために心掛けていることについて、設楽社長は「普段の睡眠時間はかなり短め。10日に1回くらい、冬眠のように寝続けるが、普段はいろいろな場所を飛び回っている。また気功と瞑想を続けていて、その最中にも、物事をいろいろな角度から、あまのじゃくに考えている。これが自分の成長の糧になった」と話し、丸山デザイナーも「僕も普段本当に寝ない。何かを見て感じることがすごく好きだから。『タダでは帰りたくない』という欲深さがあるため、出張に行ったときには、仕事と食事を終えた後に街に繰り出すほど(笑)。あとは、それらの記憶の引き出しを開ける方法を自分の中で確立している」と続けた。
終盤には、「二人にとって服とは?」という質問が投げかけられた。設楽社長は「コミュニケーションのためのツール。社長という立場が、コミュニケーションをじゃますることもある。ばっちりキメたスタイルも好きだが、装いにゆるさやおもしろさを加えることで、"社長"から"タラちゃん"になれる気がしている。自分は、立場も年齢も関係なくいつでもウェルカムな人でいたい」と回答。丸山デザイナーは「人生を豊かにするものであってほしい。服には"用を満たす"ものと"心を満たす"ものがあるが、僕は後者を作りたい。自分の気持ちが上がる服を着ることで、人生が豊かになるということをたくさんの人に経験してもらいたいし、誰かの人生に寄り添うものを作り続けたい」と話した。
なお4月にオープンした「ビームス ジャパン」では、ビームスと「ケイタマルヤマ」の協業が計画されている。丸山デザイナーは「ビームス ジャパン」を「まさに『大好き!待っていました!』という感じだった」と絶賛し、「すぐに何かやらせてほしい」とアプローチしたという。設楽社長も「敬太さんの"日本のかわいい"要素や女の子っぽいモノづくり、ドリーミーなムードと『ビームス ジャパン』を掛け合わせられたら。今から発表が楽しみだ」と期待を語った。