森英恵デザイナー(左)と中里唯馬「ユイマナカザト」デザイナー PHOTO BY TAKA MAYUMI(SEPT)
1977年にパリ・オートクチュール組合からアジア人として初めて会員として認められ、オートクチュールでコレクションを発表する日本人デザイナーとして大きな功績を残し、日本のファッションの礎を築いたデザイナー、森英恵(以下、森)と、2016年7月に日本人として2人目、12年ぶりのパリ・オートクチュール・ファッション・ウィーク公式ゲストデザイナーの一人に選ばれ、継続的にパリでコレクションを発表しているデザイナー、中里唯馬(以下、中里)による夢の対談が実現した。服作りの原点ともいえる“その人の体形に合わせてあつらえる”オートクチュールの世界で経験を積んだことで見えた“クリエイション”とは?
自分のルーツをおさえて、それを海外でも持ち続けること
WWDジャパン(以下、WWD):まずは7月のパリ・オートクチュールで発表した「ユイマナカザト(YUIMA NAKAZATO)」のコレクションやブランドのコンセプトを教えてください。
中里:(7月にパリで発表したピンクのドレスを見せながら)1年前に表参道ヒルズで森さんにコレクションを見ていただいてから、2シーズンを経てこのようなドレスに進化しました。パーツが連なって服になっているドレスで、ミシンを使わずにパーツをつなぎ合わせることでドレスにしています。
森:すごいわね。縫っていないの?
中里:はい、縫製をせずに、体のラインにぴったり合うように組み立てています。新しい技術を使ってオートクチュールのドレスを作るというのがコンセプトです。パーツに小さく数字が書いてあり、全部順番通りに組み立てていくシステムです。最初にパターンを作って分割線を入れ、生地をカットして組み立てています。1着に300~500パーツくらいあります。
森:すごいわね。オートクチュールね。
WWD:縫わずに作る、体にフィットするドレスを作っているとのことですが、中里さんが考える未来のオートクチュールとは?
中里:縫製していない分、従来よりも早く簡単に一人一人の体形に合うドレスが作れるんです。将来的には多くの人が一点モノのドレスを着られるようになったらいいなと思っています。今は、コストがかかってしまうのですが、それを新しい技術によってより簡単にできれば、実現できると思っています。
森:夢がありますね。
WWD:プレタポルテではなく、パリのオートクチュールでショーを開催しようと思ったきっかけは?
中里:大量生産でモノを作っていくのも大切だと思いますが、体に合わせて服を作っていくオートクチュールが未来のファッションにつながっていくのではと。それでオートクチュールに挑戦していこうと思い、パリでの発表は3シーズン目を迎えました。
WWD:今回のショーでは、モデルが着用するだけでなく、制作過程をドキュメンタリー映画のように仕立てた映像を作り、それを流す演出もしていましたね。
中里:ミシンを使わないなど作り方が特殊なので、制作工程を見てもらうために映像を作ってそれと併せて服を見てもらいました。サテン、シルク、ウール、デニムといった一般衣料で使われる素材で新しい作り方をするのが今回の挑戦でした。
森:大変な挑戦ね。アートでもあるわね。これでごはんを食べていくのは大変よ。
中里:はい。そうですね。これを買って着ていただくというところまで進化させていきたいです。
READ MORE 1 / 4 「自分の体にフィットする服」を多くの人に提供したい
「自分の体にフィットする服」を多くの人に提供したい
パリで7月に発表した「ユイマナカザト」のコレクション。体に合わせたパーツを組み合わせることで作るドレスを、その工程を説明する映像と共に発表した PHOTO BY KIM WESTO NARNOLD
WWD:実際に販売する際には、オーダーになるわけですよね?
中里:体形を計測してコンピューターでパターンを作り、手でカットするとミリ単位でずれてしまうので、レーザーで正確なサイズにカットしているんです。今のところ、組み立てるのは手でしかできないので、1パーツごとに手作業で組み立てて、お渡しすることになります。それぞれ異なるサイズのピースを体に合わせていくんです。
森:まるで細胞みたいね。とても大変な仕事よね。まだ一般には提供していないの?
中里:来年には一般の方にも購入していただけるようなサービスとしていきたいと思っています。
WWD:せっかくの対談なので、中里さんが森さんに聞きたいことがあるんですよね?
中里:はい、オートクチュールは自分にとって大切な言葉であり、今後も挑戦していきたいのですが、森さんがパリでオートクチュールデザイナーとして活躍してきた中でのご経験をお聞かせいただきたいです。
森:実は最初はパリの前にアメリカに行ったんですよ。日本で映画のコスチュームを数多く手掛けたので、日本の中で成功はしていたのだけれど、「日本には素晴らしい伝統と美意識がある」ということを世界に知らしめたいと、若かったから大きなことを考えたのかもしれないわね。それでアメリカに行ったりしてね。
中里:僕も世界に出ていきたいというのは小さい頃から思っていました。よりグローバルにいろんな人と接する多種多様な在り方が好きなので。
森:まず、1965年にニューヨークでショーをやりました。その当時、座っている人たちにすごい目ききの人たちがいたんですね。その中の一人の男性が、ショーが終わった後に片付けをしていたら声をかけてきて、私は疲れ果てていたのですが「面白かったよ。なかなか良かったね」と言ってくれたのです。それで疲れがとれましたね。その人がテキサスのダラスにある高級百貨店ニーマン・マーカス(NEIMAN MARCUS)のオーナーのミスター・スタンリー・マーカス(Stanley Marcus)でした。彼が言ったことは「僕は日本に行ったことがない。けれど今日初めて日本を見た」ということでした。バイヤーを送るからと言ってくれて、アメリカでのビジネスがスタートしました。あれだけ広いアメリカで、最初に目をつけてくれたのがニューヨークではなくテキサスでした。その頃に日本航空のユニフォームもデザインしましたね。
WWD:そのデビューショーでは日本を意識したのですか?
森:もちろん。日本人だもの。日本は戦争で負けていろいろあったけれど、日本には伝統がある。中里さんもこれから日本人であることはしっかり心に留めて、日本人がこのような新しいものを作り上げ、服飾に潜ませて出ていくことで、すごいと思われるでしょう。
WWD:中里さんがモノ作りをしていく中で、自分が日本人であるということは意識しているのですか?
中里:日本人らしいこと、日本人にしかできないことは常に制作に込めていたと思っていますし、同時にヨーロッパに対する調和とリスペクトをデザインの中に入れる、そのバランスが大事だと思っています。この透明な素材のジャケットは、千羽鶴の折り紙のような作りですが、あえて前面にそれが見えないようにし、調和を心掛けています。
READ MORE 2 / 4 海外でステップアップするには?
海外でステップアップするには?
PHOTO BY TAKA MAYUMI(SEPT)
森:(ジャケットを見ながら)本当に美しいわね。この素材は?
中里:PVC(ポリ塩化ビニール)です。下に何か1枚着てジュエリーのような感覚で着るウエアです。このジャケットは、メーターがあるとしたら振り切って「美しさ」を突き詰めていったものです。「美しさ」で突き抜けたいけれど、機能性や着心地のバランスも考えていかないといけない。美しさと機能性のバランスを考えなくてはと常に思っています。
森:実際に着るものだから機能性は大事ですよ。強弱の付け方が魅力になると思う。
WWD:森さんはどのようにニューヨークでステップアップしたのですか?
森:ニーマン・マーカスをきっかけにニューヨークのバーグドルフ・グッドマン(BERGDORF GOODMAN)やカリフォルニアのアイ・マグニン(I. MAGNIN)などにも出るようになり、お客には女優さんたちもいました。高級なものが扱われる百貨店の上階で売られ、億万長者の奥さまたちが着たりしていました。モナコ公妃になられたグレース・ケリー(Grace Kelly)さんも知らない間にドレスを着てくれていたの。モナコから声がかかるようになって、それがフランスへとつながりました。アメリカはそういう国でしたね。
WWD:そのようにして森さんはニューヨークで成功を収めていったのですね。
森:スタンリー・マーカスさんとジョン・B・フェアチャイルド(John B. Fairchild)さん、この2人が認めてくれたことが大きかったですね。フェアチャイルドさんは米「WWD」のトップだった人で、厳しいジャーナリストだったから、よく書かれるときと厳しいときとあったけれど、この人の批評はホンモノだと思ったので、注目して仕事をしていました。ニーマン・マーカスでは商品を売るわけですから、厳しいわけです。それが勉強になる。
WWD:新しいことをするには賛否両論が伴うもので、もしかしたら中里さんの新たな挑戦も全てがいい批評ではないかもしれませんが、森さんの話のようにその後の糧になり、次へのステップにつながり、改良したり新しいアイデアが生まれてきたりするのかもしれませんね。
森:中里さんは技術があるから、それを強調して打ち出すのと同時に、実際に着てもらわなくてはならない。誰かに着せて「すごいの着てたわね、あのブランドどこのかしら?」と言われるようなものを作ることも大事。着る側のみならず見る側も意識すること。あなたの場合はアメリカもよいかもしれないわね。ハリウッドに出ていきなさいよ。そこで余裕ができたらパリに行くというのもよいかもしれない。
READ MORE 3 / 4 洋服が売れなければ、ビジネスは続かない
洋服が売れなければ、ビジネスは続かない
PHOTO BY TAKA MAYUMI(SEPT)
WWD:森さんは、洋服が売れなければビジネスは続かないとおっしゃっていましたよね?
森:現在、スポンサーは?
中里:今は、自己資金でやっています。日々闘いです。続けていくことも大変ですし、同時にいろんなプロジェクトも抱えながらオートクチュールの準備をしているのは大変ですので、着実にビジネスが大きくなっていくというのは、クオリティーを保つ意味でも大切です。オートクチュール組合に認めていただくのも、ビジネスがベースだと思うので、そこをしっかり形にしていかないといけないなと思っています。
WWD:森さんがニューヨークからパリに行かれたきっかけは何でしょうか?
森:その後、パリでやるんだったらオートクチュールでしょうということになって。でも当時パリで外国人がオートクチュール界に進出するのは大変なことでした。国がコントロールしている制度だから決まりがある。厳しくいろんなことが決まっていて、私はその中で入れていただけた。
パリでオートクチュールの準備をしている森英恵さん。奥にいるのは、日本人モデルの先駆けとしてパリで活躍した松本弘子さん
WWD:それは当時、とても画期的で革新的なことでしたでしょう。
森:アメリカでかなり仕事をしてから行ったので、組合の邪魔にはならないということで入れてくれたのかもしれませんね。オートクチュール組合の決まりは大変よ。それを全うすることで、組合に寄与すべき刺激を与えられるかもしれないし、しかもそれが自分に返ってくるということだから。発表する点数も決まっている。メゾンの雇用人数などにも条件があります。
WWD:ゲストデザイナーから正会員になるのはハードルが高いんですよね?
中里:日本人としてパリの文化に入っていくということで、「パリに対してのリスペクトを持ちながらも、同時に日本人にしかできないものも求められるので、伝統と新しいものを組み合わせて発表していきたい」とパリのオートクチュール組合の会長と話したら、ぜひ見てみたいという話になり、それがきっかけでゲストデザイナーとして呼んでもらえることになりました。段階を経て正会員になれればと思うことはあります。フランスの文化に対して何か貢献できるようになれたらいいなと。ビジネスとして根を張って貢献できるなら、とても良いかたちなのではと思います。
森:その中であなたがこれだけのものでやっていこうというのなら、サポートしてくれるのはオートクチュール組合でしょうね。
READ MORE 4 / 4 デザイナーという職業の醍醐味とは?
デザイナーという職業の醍醐味とは?
WWD:デザイナーという職業の一番魅力的な部分は何ですか?
森:それは何より楽しいし面白いから(笑)。うまくいかないときもあるけど、コレクションが成功してバイヤーのオーダーがたくさん入って売れたときは率直にうれしいです。それから、ジャーナリストがいい記事を書いてくれたりすると、それはエネルギーになる。無視されると「今度こそやるぞ!」と思うし。面白い仕事が来ますよ。オペラやバレエのコスチュームもやったし、歌舞伎やお能の衣装も手掛けた。それがとても勉強になる。こういう仕事は好きでないとできないわね(笑)。
WWD:以前、アートと比べて服は、実際に人間が着るものだから面白いとおっしゃっていましたよね?
森:ただ見るものよりも中に人間が入って動くことによって違う輝きが出ると思います。見え方も違ってくる。着る人によっても表情が異なる。時代に合わせて流行があるのも面白いですよね。受け止め方も変わる。その気分を服にしちゃうという面白さもあります。先取りするっていう。
WWD:どうやって気分をつかんでいたのですか?
森:そうね、ベストセラーの本を読んだり、外国に行ったりおいしいものを食べたりしてもね。いろいろな刺激が服に反映されている。また人との違いをどうやってつかんでいくのか。それも大事なことですよね。
WWD:これから海外に出ていきたいという人に何かアドバイスはありますか?
森:やはり自分のルーツをしっかりとおさえて、それを海外でも持ち続けること。宣伝するという意味ではなく、そのルーツを時代に先駆けて見せていくことが大事ですね。
中里:たくさんの先輩デザイナーが海外で評価を受けてくださったことが今、若手デザイナーの道になっていると思います。入っていきやすい下地があるからこそ、今パリでこうやってショーを発表することができているのだなと今日のお話を伺ってあらためて感じました。先輩に恥じないように良いものを作り、評価を得ていくということ。そして次につなげていけるよう、ある種の責任を感じます。今後もパリで継続していきたいです。