アズディン・アライア(Azzedine Alaia)が心臓発作のため急逝してから間もなく1年が経つ。創始者の突然の訃報にメゾン「アライア(ALAIA)」は悲嘆と混乱の中、彼の意思を継いで、生前準備を進めていた旗艦店や展覧会を予定通り進めた。現在ロンドンのデザイン ミュージアム(Design Museum)で展覧会「アズディン アライア:ザ クチュリエ(Azzedine Alaia: The Couturier)」が開催中だ。7月2日には、自宅兼アトリエだったギャルリー・アライア(Galerie Alaia)で第2弾となる回顧展「あるコレクションの秘密の錬金術(The secret alchemy of a collection)」が始まった。第1弾ではアライアの全作品の中から象徴的なピースを展示していたが、第2弾では彼のコレクション史上最も多い115ルックが発表された、1992年春夏コレクションの中から39体を展示している。同コレクションに限定した理由は、自宅兼アトリエであり最期を迎えたこの場所が深く関係するようだ。
話は87年にさかのぼる。当時アライアはパリのマレ地区にあるいくつかの建物を購入し、生涯を過ごす場所として腰を据えるため、改装工事を行っていた。取り壊した壁の中から偶然フレスコ画を発見し、その建物がかつて女性のための教育施設であり、若きジャンヌ・アントワネット・ポワソン(Jeanne-Antoinette Poisson)が芸術やダンスを学んだ館だと判明した。彼女はポンパドゥール夫人の愛称でルイ15世の寵愛を受けた女性。貴族出身ではなかったが、芸術への深い造詣、学術的才能、行動力で国王に見初められ、国政にも権勢を振るうまでにのし上がった。アライアにとって彼女は自由な女性の象徴であり、常に称賛の対象であったという。この偶然が、新しいアトリエで制作された初めてのコレクションに大きな影響を与えたのだ。
「それまでのクチュリエには見られなかった、ファッション界において最も重要なコレクションのうちの一つです」とキュレーターを務めるオリヴィエ・サイヤール(Olivier Saillard)「J.M. ウエストン(J.M. WESTON)」アーティスティック、イメージ&カルチャー・ディレクターは語る。ロングでタイトなスカートの裾部分には英国式の刺しゅうが施され、ジャケットの裏地は派手に飾り、デコルテを見せる深いVのデザインは斬新だった。「人々を最も驚かせたのは、それらの素材が革であるということ。穴を開けたり、レースの装飾を施したりして命を吹き込まれた革素材は、レースやビスチエのフォーム、サイズをマークするベルトやコルセットへと、アライアの手によって変幻自在に姿を変えた」とサイヤールは説明する。ブランドのシグネチャーであり80年代に一世を風靡したボディーコンシャスなシルエットが強調されながらも、コルセットやレースなどをディテールに用いて18世紀のスタイルを現代に蘇らせている。筆者は、女性の自由と権利の象徴的人物と言われるポンパドゥール夫人への敬意を感じ取りながら、アライアの半生に想いを馳せた。
アライアはチュニジアのチュニスで、貧しい小麦農家に生まれた。地元の国立美術学校で彫刻を学びながら、仕立屋で「ディオール(DIOR)」などのパリのメゾンが作るドレスをまねた商品を作り始めた。彫刻の才能に自信が持てず、卒業後パリに移って本場のオートクチュールのいくつかのアトリエで働きながら、それらの高度な技術を身に付けた。貴族の家で仕立屋兼ハウスキーパーとして住み込みで働いた60年代にパリ社交界に人脈を作り、80年に独立した時には彼らが重要な顧客になったという。女性の体の美しいラインを自然に強調するボディーコンシャスの新しい考え方は、メディア、モデル、セレブリティーから絶大な支持を受けて一大ブームを巻き起こした。女性を美しく見せることをひたすら追求した彼の服は、体のラインに沿って女性の美しさを引き立てるものだった。
服に体を押し込むことによってシルエットを形成する西欧の伝統的な手法とは逆の発想で、体に合わせてデザインし、彫刻で培った技術で服を造形し、着用時にもその服の見え方が崩れないように作られているのが特徴だ。余計な装飾や色使いは省き、伸縮性のあるジャージーやスポーツウエアに使われる素材を用いることで体の形を着心地のよさとともに表現し“女性の第二の肌”と称されたという。ヨーロッパのデザイナーが活躍した当時のファッション業界において異色の存在であったが、卓越した技術と前衛的な創造力で世の女性に影響力を与えたアライアの半生は、ポンパドゥール夫人とどこか重ね合わせることができる。
高度な技術を用いて服づくりを行う完璧主義者のアライアは、大量消費社会へと進む90年代に、半年に1度コレクション発表を行う既存のファッションシステムからは離脱し、服ができたら発表するという方式へと変えた。その新しい方式で発表した最初のコレクションが92年春夏であった。
女性の体を優しく包み、自信とパワーを与えた偉大なクチュリエの作品は、現代においても唯一無二の存在であり、身震いするほどの強烈な美しさを放つ。残された作品は彼の服づくりへの一貫した姿勢と技を鍛錬し続けた情熱が宿り、名声や話題性が優先される現代のファッション業界において、クチュリエとしての存在意義を雄弁に語りかけてくる。
ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける