昨年10月3日に開館したパリのイヴ・サンローラン美術館(Musee Yves Saint Laurent)で、「東洋の夢(Dreams of the Orient)」展が10月2日に始まった(2019年1月27日まで)。キュレーターを務めたオレリー・サミュエル(Aurelie Samuel)=イヴ・サンローラン美術館ディレクターはプレビューで「アジアは長い間ヨーロッパのアーティストを魅了し続けている。サンローランも彼が持つ文化と芸術の深い知識に基づいた個性的なビジョンを、コレクションに反映させている。これらは現代においても色褪せることなく、世界中の人々を惹きつけるはずだ」と展覧会の趣旨を説明した。サンローランがインド、中国、そして日本の伝統衣装から着想を得てオートクチュールとして創作した美術館所蔵50点と、ギメ東洋美術館、そしてプライベートコレクションのオブジェを展示している。
サミュエル氏はサンローランが創出した作品の数々を「想像世界から生まれた独自のアジア」と表現した。サンローランはアジアの書物や工芸品を通して、遠く離れた異国へ空想の旅をしていたようで、「私の魂と場所や風景を調和させる空想に必要なのは、美しい写真集だけ。実際にその場所へ行く必要さえない。それくらい夢を描き続けているから。空想したまさにそのままの現物を、写真の中に見つけたこともある」との言葉を残している。
収集した美術品や映画、小説から想像力を膨らませ、1970年代には何度も中国からインスパイアされたコレクションを発表した。漢服のシェイプや緻密な刺しゅうを施した生地を用いて、ジャケットやチュニックといったモダンなアイテムを生み出した。ストレートカットで服と身体の間に空間を作る中国服のシェイプを、西洋の服作りの基本となる立体裁断を用いて作っている。工芸品にも魅せられていたようで、花瓶に描かれたボタニカル柄や龍をドレスの刺しゅうとして引用することもあった。当時はまだ一般的には知られておらず、特に西洋では馴染みのない架空の生き物である龍の刺しゅうをするよう命じられたクチュリエは苦悩したのではないかと想像しながら、美しい作品を鑑賞した。
2階の展示会場には、アジアの中でも特に影響を受けたというインドに触発された作品が並ぶ。62年春夏コレクションは、インドの皇帝が着用する伝統的な上着を、西洋的な解釈でよりフェミニンさを強調した作品を生み出した。金のシルクブロケード、金属性の刺しゅう、ボタンに宝石を用いるなどのディテールは、16〜19世紀に北インドを支配したイスラムのムガル帝国の衣装から着想を得た。また、2002年の彼の最後のコレクションでは、南インドの伝統衣装であるサリーのような、ドレープの美しいドレスを制作した。きらびやかなドレスに合う、宝石を惜しげもなく用いたジュエリーも多く展示されている。
インドには足を踏み入れたことがなく、中国には北京に1度訪れただけだったが、日本には幾度となく足を運んだサンローラン。特に京都の祇園に魅了され、江戸文化や歌舞伎を深く研究したという。舞妓と談笑する写真や神社を訪れたときの写真が展示されている。初来日後にサンローランは、本来武家の上流婦人が着物の上に掛けて着る小袖が、江戸時代に遊女にも用いられるようになったという歌舞伎衣装の打ち掛けから着想を得て、ロングドレスを制作した。さらに、葛飾北斎の色鮮やかなアイリスの花を描いた作品を、刺しゅうとスパンコールを用いて600時間かけてジャケットに再現した。自然からインスピレーションを受ける日本の美意識が、サンローランの作品を通して伝わってくる。
また、香水業界で最も売れた商品のひとつといわれる、1977年10月に発表された「オピウム(Opium)」の現物やスケッチ画も展示されている。容器のデザインは、江戸時代に薬を携帯するための容器として使われていた印籠そのものだ。63年4月に初来日したサンローランは「日本は“過去と現在の同盟”という最高の奇跡に成功した国。古代と現代のどちらにも魅了される」と話し、その後何度も来日したという。
サンローランの作品には東洋と西洋、伝統とモダンなエレガンスの融合が見事に表現されている。それらは単なる異国趣味を超え、芸術作品としての価値を示している。
ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける