2018年12月3日、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のマスターパフューマー、ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード(Jacques Cavallier Belletrud)が来日。プレス向けのパーティーで、自身のクリエイションや香りに対する思いを語った。世界3大調香師の一人と称される「香りのマエストロ」が語る、「ルイ・ヴィトン」のフレグランスの世界とは?
「今回の来日の目的は、日本のビューティシーンの最前線にいるプレスの皆さんに直接会うこと。そして、ここ日本の地においてインスピレーションを得ることだ」とキャヴァリエ調香師。
2016年にローンチした「ルイ・ヴィトン」の70年ぶりとなるフレグランス「レ・パルファン ルイ・ヴィトン(Les Parfums Louis Vuitton)」は、旅行トランクを通じて常に旅人に寄り添ってきた「ルイ・ヴィトン」にふさわしく「旅」がテーマのコレクションだ。12年にマスターパフューマーに就任して以来、キャヴァリエは香料を求め、時間をかけて五大陸を旅してきた。
「アジア地域への旅は、私にインスピレーションを授けてくれた。たとえば中国では、驚くほど素晴らしいマグノリアとジャスミンサンバックとの出合いがあった」。
もともとオスマンサス(金木犀)の品質を確認するために中国を訪問したキャヴァリエだったが、中国のある場所において、マグノリアとジャスミンサンバックの畑が広がっていることに気づく。
「この2種の花は、地元の茶葉の香りづけ用に栽培されていたものだった。しかし他の地で生育するマグノリアやジャスミンサンバックの香りとは際立った違いがあった。そこでグラースの研究施設に2種類の花を持ち帰り、分子レベルの解析などで試行錯誤した結果、理想的なマグノリアとジャスミンサンバックの香料が完成した」
中国種のマグノリアとジャスミンサンバックから生まれた香料は、「タービュランス(Turbulences)」「ローズ・デ・ヴァン(Rose des Vents)」「アポジェ(Apogee)」などに用いられている。
就任以来、オフィシャルでは今回が初来日となるキャヴァリエ。日本での訪問先は明かしていないが、日本の地でどんな素材と出合い、繊細なその感性で何を感じるのか。そしてその経験が、いつか素晴らしい香りに結実することを期待したい。
ジャック・キャヴァリエは、香料産業が盛んで「香水の聖地」と呼ばれるフランスのグラースに誕生した。3代続く調香師の家系に育ち、世界的に著名な香料メーカー、フィルメニッヒ(FIREMENICH)でキャリアを重ねる。同社に勤務した22年の間に「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」の「ロードゥ イッセイ(L'EAU D'ISSEY)」、「ブルガリ(BVLGARI)」の「ブルガリ プール オム(BVLGARI POUR HOMME)」「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」の「オピウム プール オム(OPIUM POUR HOMME)」など、香水史に残る数々の名香を生み出した。
このような経歴から、彼に対して「香水界のサラブレッド」のような印象を持つかもしれない。確かに調香師としての環境に恵まれる一方で、キャヴァリエは「努力の人」でもある。幼い頃から調香師である父に地道なトレーニングを受け、毎晩香料を浸した試験紙を渡されては、それぞれの香りの描写をノートに書き留めるのが日課だった。高校卒業後、グラースにあるフレグランス工場で植物の蒸溜法を習得し、香水に関連するビジネス手法を学んでいく。フィルメニッヒ社においては、数多くのブランド(その多くはラグジュアリーブランド)を相手に、クライアントに敬意を払いながら、独自のクリエイションを発揮するという、難しくも価値のある経験を積んだ。
「香料を調合する以上の技を習得しないと、調香師にはなれない」という父の言葉を胸に刻み、努力を重ねたキャヴァリエは、常に謙虚でオープンハートな人物だ。日本のプレスの問いに気さくに応じる言葉の端々から、彼が香りに対して非常に柔軟で自由な考えを持っていることが伝わってくる。
「香りにルールはなく、その人の持つ雰囲気や体温によっても変化していく。香りはジェンダーレスであり、全てがユニセックスと考えることもできる。ところで、あなたは『ルイ・ヴィトン』の香りの中でどれが一番好きか教えてもらえないだろうか?」。
突然の問いに、「WWDビューティ」編集長(男性)が「ローズ・デ・ヴァン(ROSE DE VENTS)」を挙げ、美容ジャーナリスト(女性)が「ダン・ラ・ポー(DANE LA PEAU)」と答えると、深くうなずいたキャヴァリエ。
「男性が甘みのあるローズの香り(ローズ・デ・ヴァン)をまとうと、女性とはまた違った香りになり、女性がレザーの香り(ダン・ラ・ポー)をまとうとシックな雰囲気になる。香りはこんな風にジェンダーを越えて自由に楽しむべきだ」。
調香師の中には、作り出した香りを「完成された1つの世界」と捉え、他の香りと重ねることを好まない人もいる。しかしキャヴァリエは、自身が調香した「ルイ・ヴィトン」のフレグランスに対してもとても柔軟な考えを持つ。
「たとえば、カカオの甘みが際立つ『アトラップ・レーヴ(ATTRAPE-REVES)』に、アガーウッドがダークに香る『マティエール・ノワール(MATIERE NOIRE)』を合わせるのも1つの方法だ。深みと奥行きのある香り同士だが、絶妙に響き合うだろう。複数のローズが繊細に重なる『ローズ・デ・ヴァン』と、ナチュラルレザーが香る辛口な『ダン・ラ・ポー』は、一見正反対のようだが、香り同士が驚くほどに調和する。『ローズ・デ・ヴァン』には、柑橘が明るく香り立つ『ルジュール・スレーヴ(LE JOUR SE LEVE)』を重ねると輝きに満ちた新しい世界が広がるはずだ」。
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「ルイ・ヴィトン」のフレグランス製作にあたり、「あらゆる女性に合う1つの香水ではなく、異なる7つのストーリーを語ることを重視した」というキャヴァリエ。異なる香り同士が重なることで、思いがけないストーリーが幾重にも広がっていく。そして、香り同士が重なっても濁ることなく、調和する理由は、キャヴァリエの繊細な感覚による調香に加え、「ルイ・ヴィトン」が香水業界で初めて取り入れた「特別な抽出法」抜きには語れない。
「私が特に追求したのは、原料が持つ“美”を生かして、混乱ではなくサプライズを生み出すこと。素の感情に訴えかけることだ」。天然香料の特性を熟知する一方で先端技術に関心を寄せるキャヴァリエは、花々や植物の力を最大限に生かすために「超臨界二酸化炭素抽出法」に着目した。
一般的に香料は、植物に熱を加えて蒸溜したり、アルコールに浸して抽出するものだが、超臨界二酸化炭素抽出法は、低温の炭酸ガスに植物をさらし、高圧をかけて抽出を行う。過去に木材やバニラの抽出に用いられていたこの手法を、キャヴァリエは香水業界で初めてデリケートな花々――グラース産のセンティフォリアローズとジャスミンに用いた。
「二酸化炭素の臨界温度は低いため、抽出物の熱による変性が起こりにくい。素材が持つ香りのニュアンスをあますところなく抽出できるのが特徴だ。この手法で抽出したジャスミンとセンティフォリアローズの香りは、私の予想をはるかに上回るものだった。まるで“本物の花がそこに咲いているような”エッセンスを抽出できた」。
繊細で熱に弱い香りも抽出できる超臨界二酸化炭素抽出法によって抽出されたセンティフォリアローズとジャスミン、そして近年加わったジンジャーは、「ルイ・ヴィトン」のフレグランスのみに用いられる特別な香料だ。同社の香りがエクスクルーシブである理由のひとつと言える。
「ルイ・ヴィトン」のマスターパフューマーに就任して以来、キャヴァリエはブランドの歴史を深く理解することに力を注いできた。各地にある工房を訪れて、職人やデザイナーやプロダクトに関する知識を深めるなかで、彼の心に強く印象を残したのが「レザーの香り」だ。
「あらゆるレザーのアロマを探求した結果、出会ったのが、トランクやバッグのハンドルに使う『ライトベージュのナチュラルレザー』だった。このレザーは一般的なアニマル系の香りというよりも、フローラル系の繊細な香りを宿していた」
ナチュラルレザーの香りを抽出するためにキャヴァリエは、「アルコールに直接レザーを浸す」という、かつてない方法を試みる。
「最初の抽出物は暗い色の樹脂状だが、丹念に精製のプロセスを繰り返すことで、透明感のある香りを得ることができる。この特別なレザーの香りは、刺激性も濁った感じもなく、実にソフトで官能的だ」
既存のレザーの香りは合成されたものも多いが、「花の香りと同じ方法で、本物のレザーを抽出する」というキャヴァリエの挑戦は、香りの世界に新たな扉を開いたと言っていい。レザーを主役とした「ダン・ラ・ポー」が他の香りと組み合わせても自然に溶け合い、花々の香りとも調和する背景には、このような秘密が隠されている。
伝統的なクラフツマンシップに敬意を払い、世界各地の優れた香料を探求し、イノベーティブな試みに果敢に挑戦し続けるジャック・キャヴァリエ。「ルイ・ヴィトン」のマスターパフューマーとして、今後私たちをどんな香りの世界へと誘ってくれるのか期待したい。
宇野ナミコ:美容ライター。1972年静岡生まれ。日本大学芸術学部卒業後、女性誌の美容班アシスタントを経て独立。雑誌、広告、ウェブなどで美容の記事を執筆。スキンケアを中心に、メイクアップ、ヘアケア、フレグランス、美容医療まで担当分野は幅広く、美容のトレンドを発信する一方で丹念な取材をもとにしたインタビュー記事も手掛ける。