三越伊勢丹は、伊勢丹新宿本店から目と鼻の先にあるパークシティ伊勢丹1の1、2階を改装し、4月から“ささげ”(商品をECサイトに掲載するための撮影、採寸、原稿書き作業のこと)用の施設「イセタン スタジオ」として稼働している。ささげ施設というと、通常は家賃の安い郊外のEC用物流倉庫などに併設されている場合が多い。それらと比べると、同スタジオは驚きの好立地だ。三越伊勢丹に限らず、百貨店は長らくECを中心としたデジタル対応の遅れを弱点として指摘されてきたが、新宿のど真ん中のスタジオを起点に、同社はどのように巻き返しを図るのか。
6月下旬に「WWDジャパン」のインタビューに答えた杉江俊彦・三越伊勢丹ホールディングス社長は、「われわれの未来への答えは、恐らくここ(デジタル改革)にしかない」とデジタルへの注力を強調した。三越伊勢丹は“デジタルトランスフォーメーション”と呼ぶ改革をこの間急ピッチで進めている。2018年10月に改装オープンした三越日本橋本店では、コンシェルジュを大幅増員。従来は販売員が主に属人的に把握していた顧客情報を社内システムで共有することで、売り場やフロアを超えて、きめ細かな接客ができるようにした。このように、デジタルの力を使って売り方そのものを変えていくのが同社の目指すデジタル改革だ。
20年3月期中に社員150人がスタジオに勤務する体制に
デジタルを活用し、実店舗とオンラインでシームレスに顧客満足を高めるという点では、もちろんECの充実も欠かせない。杉江社長は5月に行われた19年3月期決算会見や、その半年前の19年3月期中間決算会見などで、「店頭にある全商品をECサイトに載せていく」ことを目標として繰り返し語ってきた。「イセタン スタジオ」はまさにそれを実現するための施設だ。
新宿5丁目東交差点横のスタジオは、2フロア構成で作業面積は約750平方メートル。撮影する商品はまず2階に搬入され、検品、採寸、撮影と順次レーンをまわっていく。撮影のみが必要な商品(採寸や原稿作成はメーカー側が自社EC用に既に行っており、それを三越伊勢丹にも共有する場合など)は翌日には商品を返却。撮影、採寸、原稿作成のささげフルセットが必要な場合は5日間で返却するという。スタジオに搬入するタイミングは商品に合わせて細かく調整し、販売の機会ロスが起こらないよう努めている。
一般的に、ささげ作業は専門業者に外注する小売り企業やメーカーが多い。実際、イセタン スタジオでも外部業者が働いているが、三越伊勢丹社員も約50人がささげ作業に携わっており、施設が本格稼働する20年3月期中にはさらに社員を100人増員する。19年秋以降に閉鎖する伊勢丹相模原店、府中店などの社員がその一部を占める予定だ。その頃には、作業面積も400平方メートル拡大する。
「作業に慣れない社員がささげを行うことは非効率ではないか」「この立地をささげスタジオに充てることも、社員がささげを行うことも、高コスト体質を象徴している」といった厳しい意見もあるが、一方で「これまで店頭で接客をしてきた社員がささげを行うことで、接客のノウハウが写真やテキストで商品をどう伝えるかという意識として生かされている」と、スタジオを管轄する近藤詔太・三越伊勢丹MD統括部シームレス推進部部門長は強みを話す。増員後はスタジオをシフト制にして年中稼働させ、年間20万型の商品情報をウェブにアップしていくという。
「ECで売ることにはこだわらない」に軌道修正した理由は?
ただし、決算会見で杉江社長が繰り返し語ってきた「店頭の全商品をECサイトに載せる」という目標は、現状は一旦保留状態のようだ。というのも、杉江社長は6月末のインタビューで、「今まではとにかくECで商品を売ろうと思っていたが、それでは労力ばかりがかかってきりがない。ECで売るということにはあまりこだわっていない」「今のお客さまは買い物の前にネットで情報検索する。現状は店頭の商品をウェブで見ることができず、検索しても出てこない。だからまずは、店頭と同等の商品情報をウェブに載せていく」との方針を話した。
即座の全EC化は難しいと判断し、まずは商品情報のウェブ掲出へと軌道修正をした理由として考えられるのは、取引交渉の難航だ。三越伊勢丹の実店舗と取引があるアパレルメーカーの担当者いわく、「三越伊勢丹がメーカーに要求する売り上げ歩合が高く、交渉がまとまらないのでは。大手ECモールなどとは違ってECとしてどこまで集客が見込めるか分からない段階なのに、取引先にとっては納得できない歩合を提案している」。歩合の交渉は百貨店と取引先メーカーとの永遠の戦いとでも呼べるもの。そもそも、百貨店のEC化が遅れた要因の1つは在庫を自らが持たない消化仕入れの取引モデルゆえだが、デジタル強化に踏み切ろうとするとやはりそこがネックとなる。
EC化には一旦はこだわらず、「店頭の全商品をカタログのようにウェブに載せ、まずは伊勢丹新宿本店の品ぞろえから“見える化”していく」(近藤部門長)という考えではあるものの、最終的に全てEC化できるならばそれに越したことはないはず。「ウェブに商品情報を掲載すれば、その中で商品検索が比較が行われるようになる。そうしたデータを取引先にも共有していく」(杉江社長)というメリットを提示することで、取引先の呼び込みを目指すようだ。
三越伊勢丹の19年3月期のEC売上高は約160億円。その半分が食品中心の中元・歳暮が占める。「直近半年間のEC売上高は前年同期比20%増。ただし、店頭とECの両方を使っているお客さまはとても少ない。そこが課題」(近藤部門長)という。全商品の即座のEC化は難しくとも、まずはイセタン スタジオをフル稼働させてウェブ上の商品情報を増やすことで、徐々にEC対応の商品を増やしていく。