「シモーネ ロシャ(SIMONE ROCHA)」がロンドン・ファッション・ウイークで9月15日に発表した2020年春夏シーズンのショー会場は、ロンドンの中心地から車で50分も離れたアレクサンドラ・パレスだ。同劇場は19世紀のヴィクトリア朝時代の雰囲気を存分に残し、同ブランドのイメージにぴったりの場所だった。
20年春夏コレクションは、ロシャの生まれ故郷であるアイルランドの伝統行事、聖ステファノの日に少年が扮する“レンボーイ”から着想を得た。これは少年らがミソサザイ(英語でレン)という小さな野鳥を捕まえに行き、その後にわらの衣装に身を包んで街中の家にお小遣いをねだって回る年に1度の行事である。デザイナーのシモーネ・ロシャは「ハロウィンに子ども達が仮装して『Trick or Treat』とお菓子をねだるのと同じ感じ」と、ショー後の取材で説明する。イギリス人ジャーナリストも“レンボーイ”についての質問を繰り返していたことから、アイルランド以外ではなじみのない行事のようだ。“レンボーイ”の少年らしさはテーラードやキャスティング、ヘアメイクで取り入れられた。さらに“レンボーイ”たちが訪問する家にも着目し、デルフト焼きの陶器やテーブルクロス、カーテン、壁紙など英国調インテリアの要素をコレクションに織り交ぜた。モデルにはこれまで通り幅広い世代の女性を選び、アイルランドで活躍する舞台女優なども起用した。円形に配した客席については「“レンボーイ”が家々をノックして回るうちに、徐々に輪になっていくパレードのように見せたかった」と、会場全体で世界観の表現にこだわった。
強いこだわりゆえのハプニングが
1 / 18
だが「シモーネ ロシャ」がつくり出したメルヘンでロマンチックな世界も、時間は現実社会と同様に過ぎているようだ。同ブランドの贅を尽くしたバロック調ドレスに身を包んだスタッフが行き来する空間はメルヘンの世界そのものだったが、メイクアップとヘアスタイリングのスペースは人手が足りずに終始あわただしく、その様子を見て現実世界に引き戻された。スタッフやモデルの集合時刻は一般的にショー開始の約5時間前だが、今回は7時間前。早めに設定したスケジュールにもかかわらず、他ブランドのショーが終わって駆け付けたモデルの到着が予定より遅れたり、世界観づくりのためのメイクやヘアセットのこだわりが強すぎるがゆえに想定以上の時間を費やしたりし、ドタバタだった。ロシャ本人も、モデルが着替えるドレッシングルームで常に裁縫やルックの確認に追われていた。服は繊細な手仕事が多く、レイヤードやアクセサリーの使い方も複雑なため、時間がいくらあっても最終チェックには足りないように見えた。彼女は笑顔を見せず、時に眉間にシワを寄せながら厳しい表情を崩すことはなかった。
ヘアのセットに時間がかかったことや、早い集合時刻のわりに、一人一人にかける時間が長すぎて待ち時間が長かったためか、モデルの何人かは少しいら立っているように見えた。普段は笑顔で接してくれる顔見知りのモデルも近寄り難い空気をまとっていたため、今回は話しかけるのを控えることにした。わらを編み込んだ複雑なへアのモデルは、何度も何度も三つ編みをやり直され、髪をきつく引っ張られていたために涙ぐむ一幕もあった。リハーサルではモデルの一人が「靴が痛い」と言い出し、ランウエイに出る直前で靴を脱いでウオーキングするというハプニングがあった。急きょ同じ色の厚手のソックスに変更することをスタッフが提案するとモデルの女性は承諾し、本番をなんとか無事に終えることができた。
ピンチを乗り越えて本人にも笑顔が
今季はファッションショーならではのドタバタに見舞われる形となったが、ショーを無事に終えたバックステージでは、スタッフと親しい人たちにシャンパンが振る舞われてアットホームなパーティーが開かれた。ロシャは初対面の筆者にも「あなたもぜひ参加してね」と、ショー前には見られなかった笑顔とともに親しく声を掛けてくれた。
イギリスは長引くブレグジット(イギリスのEU離脱問題)交渉の最大の難題であるアイルランドとの国境問題で、不協和音が生じている。しかし異文化交流ともいえるランウエイショーとパーティーは、そんなことを少しの間忘れさせてくれるほど平和的に行われた。「シモーネ ロシャ」が築いたドラマチックで平和的な世界は、まるで“インクルーシブ”の魔法をかけた理想郷のようであった。
ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける