サンモトヤマ創業者の故・茂登山長市郎氏は、「フェラガモもワンダさんが亡くなったらどうなるかわからないな」と私に漏らしたことがある。1990年代後半のことだった。創業者サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)の長男でファミリーの総領であるフェルッチョ・フェラガモ(Ferruccio Ferragamo)は来日すれば必ず日本に「サルヴァトーレ フェラガモ(SALVATORE FERRAGAMO以下、フェラガモ)」を紹介した長市郎氏を表敬訪問するのを欠かさなかった。それぐらいだからフェラガモ社の内情には通じていた長市郎氏の言葉には説得力があった。創業者の妻のワンダ・フェラガモ(Wanda Ferragamo)は96歳で2018年に亡くなったが、言うまでもなくフェラガモ社にとって、その死による大きな影響はなかった。
自分が逝ったら、この企業はどうなるか分からないと思っていたから、ワンダ・フェラガモも茂登山長市郎氏も驚くほどの長生きをしたのであろう。長市郎氏は17年12月15日に96歳で死去した。誰もが「長さんがいなくなって、サンモトヤマは大丈夫だろうか?」と危惧したはずだ。経営基盤を確立していたフェラガモ社と違って、サンモトヤマのその後はまさにイバラの道であった。
2018年6月には、卜部正壽氏を社長に迎え、長市郎氏の長男である茂登山貴一郎氏は代表取締役会長に就いた。卜部社長は長野のバス会社社長の小林道明氏に、サンモトヤマファミリーが持つ株式を売却させ、資本業務契約を結んだが、その契約は今年5月に破棄された。そして卜部氏の社長退任、さらに今回10月1日の自己破産と事態は恐るべき速さで結末まで突き進んだ。
負債総額が9億7150万円というのが哀れだった。10億円にも満たない金が都合つかないところまで追い込まれていたのである。
長市郎氏がいたら、こんなことが起きていただろうか。絶対にサンモトヤマの名前をきちんと継続したいというファッション企業が名乗りを上げたはずだ。それほど長市郎氏とサンモトヤマは、日本のファッション業界で尊敬を集めた存在だった。卜部社長を選び、長野のバス会社社長に頼らざるを得なかった二代目の不甲斐なさということなのだろうか。朝日新聞グループが保有する銀座の並木通りの土地の再開発で、高層階にホテルが入居するビルに、今まで通り本店を構えたのが17年11月。家賃は従来に比べて大きくハネ上がった。サンモトヤマの聖地とも言えるこの場所にこだわったのが、今回の自己破産の遠因と言われるが、確かに倒産してしまっては、元も子もない話である。面子にこだわりすぎたのかもしれない。しかし、冷静に考えれば、今回をしのぎきっても、破たんは時間の問題だったのかもしれない。小売業は時代に嫌われて一度落ち目になったら、もう一度這い上がるのは本当に難しいのだ。
あの世の長市郎氏も、「やっぱりそうなったか」と溜め息混じりに納得しているのではないだろうか。結局「グッチ(GUCCI)」「エルメス(HERMES)」「フェラガモ」「エトロ(ETRO)」「ロロ・ピアーナ(LOLO PIANA)」を日本に紹介した茂登山長市郎とサンモトヤマの伝説だけが残った。そして、それはいつまでも語り継がれるだろうか。