ファッション

“アラウンド3万円の機械式時計”は次なるブームになるか?

 3万円前後の手頃な機械式時計を目にする機会が増えた。新進ブランドから、国産のセイコーウオッチやシチズン時計まで続々と発売している。“機械式時計=30万円以上”という常識が覆されている。

 輸入代理店のウエニ貿易は2019年10月1日からイタリアブランド「スピニカー(SPINNAKER)」の日本での取り扱いを開始した。2シリーズ全8型を3万~3万2000円で販売する。中田俊介プレス担当は、「ひと月足らずの間に、自社ECのみで約200本を売った。手ごたえを感じている」と話す。ほかにもビームスなどのセレクトショップや、大丸など百貨店にも卸す。また輸入代理店ユーロパッションのオリジナルブランド「アルカフトゥーラ(ARCA FUTURA)」は中国製ムーブメントながら、2万円台前半の機械式時計を発売している。

 ステータスシンボルとして時計を着用する場合、機械式時計は高価だから意味がある。富裕層の間では、1本数千万円もするモデルが人気だ。しかし日常使いのアイテムなら、30万円以上の時計は安くはない。だから、「時計の心臓部であるムーブメントはクオーツ(電池式)で十分」「わざわざ高額な機械式を選ぶ理由はない」という意見が当然だった。

 しかし機械式にはクオーツにはない特別な魅力、面白さがある。例えば、流れるような秒針の動き、時を刻むかすかな音、りゅうずを回して時刻を合わせる操作感などだ。裏蓋がシースルーなら、“小宇宙”とも例えられる複雑な構造を楽しめる。さらにクオーツ式はパワーが弱いため太くて厚い針は動かせないが、機械式なら可能だ。これによりデザインの幅も広がる。

 価格は10分の1になったが、ムーブメントのクオリティーはむしろ向上している。前述の「スピニカー」は盛岡セイコー工業の日本製自動巻きムーブメント“NH35”を搭載し、セイコーウオッチの「プレザージュ(PRESAGE)」や、シチズン時計の「シチズンコレクション(CITIZEN COLLECTION)」も自社製の新世代ムーブメント内蔵モデルを発売している。この背景には、1990年代から続いてきた機械式時計ブームが曲がり角に来たという事情がある。

 職人技の塊のような機械式時計の可能性を80年代の終わりにいち早く再発見したのは、ラグジュアリーグループや投資家たちだ。100年以上の歴史を持つ名門ブランドを買収して投資することで、次々に機械式時計を発売した。これによって現在まで続く世界的な時計ブームが生まれ、スイス時計の輸出額はこの25年間で約4倍に拡大した。その結果、1本1億円を超えるモデルも珍しくない超高級時計市場が成立した。

 市場の拡大で機械式ムーブメントは枯渇し、時計業界ではグループ間の対立や開発競争が起きた。このあたりは11月11日号の紙面で細かく解説するが、この10年間で機械式ムーブメントは世代交代を果たし、生産量も増えた。

 今秋の“アラウンド3万円の機械式時計”は、20年近く続いた“ムーブメント戦争”の恩恵とも言える。自社でムーブメントを開発・製造するブランドが増え、世界最大の時計企業であるスウォッチ グループ(SWATCH GROUP)傘下の専門企業がほぼ独占していた機械式ムーブメントに別の選択肢が現れるなど、高品質で低価格な新世代ムーブメントが豊富に生産・供給されるようになった。価格で断念したり、別世界のものだと考えていた人たちにも機械式時計は気軽に体験できるようになった。


「スピニカー」の“ブラッドナー”

渋谷ヤスヒト/オフィス・ノマド代表:1962年、埼玉県生まれ。大学卒業後、徳間書店に入社。文芸編集部を経て、「グッズプレス」編集部に配属。表紙撮影で出合った「ブライトリング」の“コスモノート”を購入したことをきっかけに時計にはまり、95年からスイス2大時計フェアや時計ファクトリーの取材を開始。2002年に同社を退社し、「エスクァイア日本版」の編集者などを経てオフィス・ノマドを設立。時計ジャーナリスト、モノジャーナリスト、編集者としての顔を持つ。趣味は料理

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