柔和でニュートラル。鋭利なトゲの先が丸みを帯び、着る者・見る者を温かく包み込む——「ウェールズ ボナー(WALES BONNER)」2020-21年秋冬コレクションのショーを見た直後に抱いた感想を、思わずメモ帳に記した。同ブランドからこのような優しい感情をかき立てられると想定していなかった分、忘れまいとメモ帳に、心に刻みたくなったのだ。
2年ぶりの開催となるショーはロンドン・メンズ・コレクション2日目の1月5日、リンドリーホール(Lindley Hall)を会場に催された。デザイナーのグレース・ウェールズ・ボナー(Grace Wales Bonner)はショー前、リラックスした雰囲気で会場のライティング、音楽、モデルのウォーキングの最終確認を繰り返し行っていた。まるでキャリア20年以上のベテランデザイナーのような手際の良さと落ち着いたムードだが、実際はブランド創設5年目の弱冠29歳だ。150cm程の小柄で華奢な彼女は、堂々とした態度で存在感を放っている。過去の取材では淡々と質問に答える真面目な職人気質という印象を受けていたが、目の前にいる彼女は笑顔が多く、友好的で穏やかな一面が見え隠れする。それが気の知れたチームに囲まれているからなのか、彼女自身に変化があったのか、この時には分からなかった。
スタイルは柔らかく、
アイデンティティーは強く
彼女が「最もパーソナルなコレクション」と表現する今季はイギリス人アーティスト、ジョン・ゴトー(John Goto)の写真集「Lover’s Rock」から着想を得た。同写真集は、70年代にロンドン西部ルイシャムに暮らすアフリカ系移民2世の若者のポートレートを集めた作品だ。「私の祖父は50年代にイギリスへ渡り、移民2世の父はルイシャル通りに仕事場を構えていた。ジョン・ゴトーによるポートレート写真は、ルイシャムにあるユース・クラブで最初に見かけた」とシンパシーを感じる不思議な巡り合わせについて語った。彼女は写真に写る若者のアフリカンなヒッピーさと英国のスマートさや粋を、楽しく混ぜ合わせるスタイルに魅了されたという。
彼女はショー直前、モデルに一人ひとりに声を掛けていた。「ウオーキングは、胸を張ってアイデンティティーを表現するようなイメージで。肩の力を抜いてリラックスしながらも、勇ましい姿で歩いてほしい」。レゲエやソール、R&Bの音楽が流れる中、メンズとウィメンズのルックがランウエイを飾る。美しいテーラリングのスーツはインナーにミスマッチな鮮やかな色彩のタートルネック、デニムで仕立てられたオフィサーコート、クルタ(民族衣装)の上にオフホワイトのブレザーを着用するなど、予想外の組み合わせで国籍を問わないスタイルが目立つ。「アディダス(ADIDAS)」とコラボレーションしたシューズや「スティーブン ジョーンズ(STEPHEN JONES)」のハットといった小物も良いスパイスを加えていた。ショー後には会場でアフリカ料理のフィンガーフードとドリンクが振る舞われ、カジュアルなアフターパーティーが開かれた。
「今の私は“帆を広げる”ように
心を開くことができる」
「これは完全なる帰郷のようなもの。数年間世界中を周っていたけれど、帰るべき居場所へ戻ってきた」と、彼女はリラックスした表情でショー後の取材に応じる。欧米を周ってアフリカの歴史を学ぶ旅に没頭し、家族や古い友人といった自身のコミュニティーに戻った。そこで自己認識をさらに深めることができ、アイデンティティーを表現するコレクションに臨めたというのだ。「過去5年間を振り返り、統合し、『ウェールズ ボナー』というブランドが何を意味するのか表現したかった。今季は私のコミュニティーや、私自身を反映させたコレクションだ。多くの人が、その中から自分自身を見つけ出せるようにしたかった」。そう語る様子は気難しささえ感じた過去の取材対応とは明らかに違い、緊張を解いて笑顔を交えながら朗らかだった。肩肘を張り、背伸びをしていた20代の経験は、彼女に穏やかさや優しさ、帰るべき居場所を与え、自分自身を解放したような印象である。その過程には、コミュニティーを離れて一人の時間も必要だったとという。「コレクションを制作するために、泡の中で一人になければならない時がある。それは結果的に、世代や国籍を超えて多くの人と繋がる瞬間をもたらしてくれた。今の私は、まるで“帆を広げる”ように心を開くことができる」。アイデンティティーを探る旅は一旦終着を迎え、次は帆を広げて海原へと繰り出していく。彼女の精神面での変化と呼応した今季のコレクションは、先行き明るい未来を表しているようである。