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“みんなが日常を愛せればいい” シンガーソングライター折坂悠太の根底

 シンガーソングライターの折坂悠太にとって2019年は大躍進の年だったと言える。セカンドアルバム「平成」は各方面で高評価を得て、フジテレビ系月9ドラマ「監察医 朝顔」の主題歌も手掛けた。

 また話題性や規模の大小を問わず、ファッションブランドとアーティストの結びつきがより強くなっている中、折坂はある意味理想的な関係を築いている。彼が愛用する「ニゲラ(NIGELLA)」のシャツは、目立つかたちではなくとも間違いなく彼の世界観をつくる一要素となっている。業界間の垣根が曖昧になった現在、より広い範囲での活躍が期待される存在だ。そんな彼は「思ってもいなかったことも舞い込んできて、盛りだくさんだった」と振り返る19年、どんなことを考えていたのか。ドラマの主題歌となった「朝顔」や、目標として掲げていたという京都と韓国での滞在、さらには頻繁に着用する衣装に隠された思いについて聞いた。

WWD:折坂さんが創作活動を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

折坂悠太(以下、折坂):落書き程度でしたが子どものときから絵を描くのが好きで、美術系の高校に進学しました。昔から頭の中のことを出したいという欲求はずっとあって、絵を描くことは最初のアウトプットだったと思います。

WWD:そこから音楽に移っていくんですね。

折坂:結局高校は辞めてしまったのですが、その後地元のフリースクールに通って演劇やバンドを始めました。僕はもともと目立ちたがり屋で、ステージに立つ自分をずっと妄想していました。絵に対する反応は緩やかですけど、音楽は表現したらその場ですぐ返ってきますし、それで味をしめてだんだん音楽に向かっていきました。

WWD:折坂さんの曲には民謡や口上のような和の要素がありますが、どのようなルーツがあるのでしょうか?

折坂:僕が住んでいる千葉の柏市では毎年ねぶた祭りがあって、10代のときからねぶたを作るのを手伝ったり練り歩いたりしている時期がありました。ねぶたの終着地点のホテルでは祭りに合わせてジャズのコンサートが開かれていたのですが、そこで祭りの太鼓の音とコンサートの音が混ざるんですよ。その瞬間がすごく好きで。祭りの音は自分のこととして懐かしいし、ジャズのスタンダードにもどこか懐かしさを感じる、そういう懐かしさから音楽を作りたいという気持ちはありますね。

※毎夏開催される「柏まつり」の一環で、柏市が旧青森県柏村(現在はつがる市)と交流があったため、1994年から数年を除いてほぼ毎回行われている

WWD:歌詞のための言葉のストックはしていますか?

折坂:全然していないですね。本はあまり読まないし、何かを積極的に吸収するタイプではないんです。もちろん無意識に何か入ってきていると思いますが、だからこそなんで自分の中にこの言葉があったんだろうということがあります。

フジテレビ系月9ドラマ「監察医 朝顔」主題歌の「朝顔」。第10話放映前には、主人公である万木朝顔の家のセットで折坂が弾き語りを披露した

WWD:「朝顔」はより多くの人に聴かれるきっかけになったのではないでしょうか?

折坂:親戚から連絡が来たり、母親の職場の人が聴いてくれていたりと、層が広がったかなと思います。音楽を掘って聴いている人はもちろん、そうじゃない人たちにも届けたい気持ちがずっとあるのですが、それが少しずつ実現できてきた感じがします。

WWD:オファーが来たときはどう思いましたか?

折坂:ドラマの脚本家を目指していた時期があったので、自信がありました。でも実際にやってみると大変でしたね(笑)。

WWD:最初から主題歌になることを前提に作った曲だったのでしょうか?

折坂:そうですね。ドラマの監督やプロデューサーとやりとりしながら進めていきました。ドラマに最適なものにしつつ、自分にしかない個性で作ろうと最初から決めていたのですが、その両方を突き詰めたら「自分が何を考えて何のために歌を作るか」という根本的な部分に向き合うことになりましたね。サビの「願う 願う」という歌詞も何回もやりとりした中で生まれたもので、自分の音楽に対する根底の部分が出ていると思います。

WWD:「朝顔」もそうですが、折坂さんの曲には“願い”や“祈り”という要素が多いと感じます。

折坂:「朝顔」では“朝”という言い方をしていますが、僕の歌は“みんなが日常を愛せればいい”という思いから発信しているものが多いです。ですが今は価値観が細分化して、家族でさえ話が通じないこともあると思います。それに仕事や子育てで生活が手一杯みたいな人の世界には「大変だよね、分かるよ」という共感では通用しない断絶があるし、人のことを分かろうとする余裕やエネルギーも生まれにくいと感じます。

それでも歌は、いつの時代も理屈や思想の違いを超えて届けられると思うんです。でも直接歌詞にしたところで響くわけがないし、優れた表現を追求していきたいです。

WWD:以前、ライブで「今日ステージに立っているのは僕ですが、次に立つのは皆さまの番です」という旨の発言をされていましたが、どのようなことを考えていたのでしょうか?

折坂:日本って、自分にはできないことをアーティストがやっていると考えてライブに来る人が多すぎるんですよ。フリースクールにも、自分は選ばれていないと感じている子がたくさんいました。でもそれは歌や絵というかたちじゃないだけで、仕事でも介護でもそれぞれの場所で表現できることがあると思うんです。

以前、マヒトさん(バンドGEZANのボーカル、マヒトゥ・ザ・ピーポー)と話したとき、自分に才能があるからではなく、選んだ覚悟だけで音楽をやっていると言っていたのですが、それは何においても言えると思います。才能や後ろ盾ではなく、何かを選ぶということだけに価値があって、選ぶことは誰にでもできることなのではないでしょうか。大きな枠組みで言えば、社会全体が「今ステージに上がっているのはあの人だけど、次は自分かもしれない」という風になれば面白いと思うんです。そんな気持ちを込めてとっさに言った言葉ですね。

WWD:音楽性は違いますが、折坂さんもマヒトさんも人に対しての優しさを感じます。

折坂:こんなのが共通点だって言ったら怒られるかもしれないですが、根底は人が好きなんでしょうね。出会うことのない人、価値観を共有できない人に対しても、幸せになって欲しいと思っているのかもしれません。

京都と異国の地で感じたこと

WWD:ライブは弾き語りだけではなく、バンド編成もやられています。バンドは東京が拠点のメンバーによる合奏だけでなく、京都が拠点のメンバーによる重奏もありますが、どのような意図があるのでしょうか?

折坂:京都でバンドをやることは、昨年の大きな目標の一つでした。一昨年はツアーで全国23カ所を回ったのですが、それぞれの土地に特有の音楽に対する感覚やコミュニティーがあると感じました。どんな音楽もそれが生まれた場所に行かないと本質は分からないと思うのですが、1カ所にとどまってそういうものを吸収したかったんです。京都は昔から音楽的な土壌に興味があったので、2週間ほど滞在しました。重奏はその中でできた編成です。

WWD:実際に滞在してみていかがでしたか?

折坂:京都には音楽の豊かな土壌がありますが、他の地域よりも閉じた部分もあって、そこが面白くもあり難しいとも感じていました。今の重奏メンバーも知り合い同士だったけれど一緒にやる機会はなかった人たちで、その中によそ者の僕が来て一緒にやりましょうと言っても嫌がられるかもと覚悟していました。でも意外と彼らが新鮮に感じてくれたらしく、結果的に関西圏の人たちに交流が生まれたのはうれしかったですね。本当はその後に滞在した韓国でもバンドをやりたかったのですが、結局そこまではできませんでした。

WWD:韓国はどんなところに興味を持ったのでしょうか?

折坂:韓国のシンガーソングライターのイ・ラン(Lee Lang)との出会いが大きかったです。日本のアニメやテレビの影響で、韓国には日本語をしゃべれる人が多いんですよ。日本語と韓国語は文法が近いので一見滞りなく日本語で会話できるけれど、韓国人と仲良くなったと同時に違いも感じたんですよね。そこに日本人には分からない感覚が隠れている気がしていて、興味がありました。

WWD:滞在したことでその答えは見つかったのでしょうか?

折坂:それを「分かった」と言った時点で絶対に違うと思っていますが、さっきの日本人同士でも言葉が通じない感覚に似たものを感じます。韓国人は朝鮮という国が分断されたことで、特にそういう状況に直面しているんじゃないでしょうか。彼らにしてみたら、もともと一つだった国がいつの間にか二つに分かれて、立場の違いから自分たちの言葉はなんなんだろうと分からなくなってしまった。それに、日本で生まれ育った韓国人にとっては日本語が母国語ではないけれど、韓国語もまた母国語ではないという曖昧さがある。

言葉とアイデンティティーが直結しているからこそ、そこに生きることの難しさを感じる人がいることは、日本にいるだけでは分からないと思うんです。もちろん韓国の状況と一緒にしてはいけないけれど、自分が作る歌は日本の中でも大きくなっている“言葉の壁”を少しでも越えられるものでありたいとより考えるようになりました。

作品に対する考え方の変化

WWD:セカンドアルバム「平成」発売から1年以上が経ちましたが、ご自身の作品に対する考え方に変化はありますか?

折坂:あるかもしれないですね。「平成」のときは自分の人生を物語的に捉えていて、タイトルも時代を冷静に俯瞰して記号的な意味で付けたものですが、今は時代の渦中にいる自分を表現できないかと考えるようになりました。

アルバム表題曲「平成」のMV

WWD:「平成」は時代をそのまま表すタイトルではありますが、改元も決まっていた中で「平成」と名付けることにプレッシャーはなかったのでしょうか?

折坂:それは今プレッシャーを感じています。「平成」と名付けたことはそのときの最大限の表現だったし今でもそう思っていますが、それこそ韓国に行ったときに“平成”という言葉が言えなかったんですよ。そこであらためて“平成”という言葉が持つ意味の重さを実感して、それからあの歌(アルバムの表題曲「平成」)が歌えなくなってしまいました。今も答えが出ていなんです。それは令和になったからではなく、先ほど言ったように時代の中にいる自分を意識するようになったのも関係していると思います。

WWD:アルバムジャケットも印象的でした。

折坂:赤バックとバストアップの写真は最初から決めていました。ただ、表情はずっとカメラ目線で撮っていときに、ふと力を抜いた瞬間をおさえたものです。その後も同じアングルで何回か試しましたが、あの感じが全然出ませんでした。そのときにしかない感覚が、“平成”というものにマッチしたのでよかったです。

WWD:「平成」もですが、アルバムジャケットやアーティスト写真ではシャツの着用率が高いと感じます。

折坂:今はもう少しなんでもいいやという気になっているのですが(笑)、「平成」を出した頃は、受け継がれつつ進化してきた中で作られたものを身につけたいと思い、シャツを着ることを意識しましたね。服も時代に応じて変化して、何気なく着ているシャツが今の形になったことにもおそらく理由があると思うんですよ。そういう、服がなぜこの形になったのかということに興味があったんです。

WWD:ミュージシャンが着用する服は、リスナーの曲の受け取り方にも影響すると思います。

折坂:そうですよね。僕も全部を知っているわけではないですが、音楽でも積み重なる歴史に目を向けて、またそれを発展させていくことが文化の循環であって、音楽と服は特にそれが表現しやすいと思います。シャツは「ニゲラ」の永冨(佳代子)さんにお願いしていますが、2〜3年前に初めて作ってもらったときにも同じような話をしました。

WWD:オーダーで作られているんですか?

折坂:そうですね。でも彼女の作る服はとても不思議で、誰にでもフィットする感じがあります。特別しっかり測らなくても体に合ってくれますね。

WWD:最後に、今年はどんな活動を予定していますか?

折坂:今年はアルバムを出したいと思っています。昨年培ったものや気づいたことを一つの作品にアウトプットして、各地へコンサートに行ってそれを丁寧に伝えていきたいです。

■折坂悠太 単独公演 2020
日程:3月23日
時間:19:00〜/開演 20:00〜
場所:梅田クラブクアトロ
住所:大阪府大阪市北区太融寺町8-17 プラザ梅田 10階
入場料:4200円

日程:3月27日
時間:18:30〜/開演 19:30〜
場所:TSUTAYA O-EAST
住所:東京都渋谷区道玄坂2-14-8
入場料:4200円

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