渋カジ、コギャル、シティボーイなどさまざまなトレンドを生み出してきた、渋谷。1980年からこの街のファッションを追ってきた高野公三子「アクロス」編集長に40年にわたる渋谷ファッションを振り返ってもらった。そして、“渋谷発”といわれるトレンドが不在となって久しい昨今についても聞いた。
WWD:振り返るとさまざまなファッションが渋谷から生まれていますね。
高野公三子「アクロス」編集長(以下、高野):ファッションは時代と社会、若者文化を映す鏡です。1980年から渋谷や原宿などで若者のストリートファッションを観察して取材する「定点観測」を実施していますが、2020年現在までに大きく4世代から5世代の若者たちがいろいろなスタイルを生み出しており、そこからインサイトの変化を読み解くことができます。
1980年代前半の渋谷ファッションを一言でまとめると“タコツボ化”。ジャパニーズプレッピーや女子大生ファッションなど、小さなトレンドが同時に存在していました。消費社会が本格化したのもこのころで、ファッションは自己表現の重要な手段のひとつになりました。
82年にはDC ブランドが台頭。84年にはモノからコトへと、ファッションが服だけでなくアートや建築、食などライフスタイルにも派生してファッション化社会が進んでいきました。80年代後半はアメカジをベースに、「ラルフ ローレン(RALPH LAUREN)」と「リーバイス(LEVI'S)」501のデニムを上品にアレンジした “渋カジ”の誕生につながっていきます。始まりは比較的裕福な家庭に育った私立大学付属の高校生たち──団塊ジュニア世代による和製WASPの登場と考察しています。“何を着るか”から“どう着るか”という価値に変化していきました。
WWD:大きなブームが起こると細分化していくのが世の流れですが、渋カジも同じ流れをたどっていきますね。
高野:はい。90年代のファッションはカルチャーとのクロスオーバーが特徴で、91年はイタリアンエレガンスやアウトドアテイストが混じった渋カジワイルダーなどへと細分化していきます。さらにヒップホップとアメリカンカルチャーが結び付き、女子には雑誌「JJ」が提唱した“毎日がパラダイス!今が楽しい!”というパラギャルが登場します。ポスト団塊ジュニア世代で、コギャルの始まりです。ブームの背景はLAカルチャーです。
カジュアルウエアの分脈でいうと、93年のJリーグ開幕でスポーツカジュアルが流行する一方、同年、フレンチカジュアルも台頭しました。チープシックなフランス人の日常着がテーマで、代表的なブランドは「アニエスベー(AGNES B.)」「ナイスクラップ(NICE CLAUP)」「クーカイ(KOOKAI)」「シップス(SHIPS)」。モノトーンがベースで、ボーダーにベレー帽、革ひもを首に巻くスタイルなどが流行しました。雑誌でいうと「キューティ」ですね。
次に台頭したのは、グランジファッション。マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)が発表したのが1993年で、変化して日本に入ってきました。90年代半ばからDJカルチャーが大流行します。DJがアンダーグラウンドで海外とつながっていったのもこの時期。オランダやドイツなどで開催されていたテクノ系イベントが日本に上陸し、第1次フェスブームに。あと若手写真家やアーティストが多数登場し、レコードショップやクラブ、ミニシアターなどもオープン。インディペンデントなメディアも多数創刊されるなど、インディーズブームだったといえるでしょう。クラブを会場に学生がファッションショーを開催したり、美容師ナイトなども大人気でした。
WWD:そして、90年代半ばにはガールパワーがどんどん強大に。
高野:ガールカルチャーと女子高生ブームの2大巨頭。実はインサイトは似ているんですが、ファッションの表現が体を強調するベクトルと隠すベクトルで違っていた。雑誌における“青文字”と“赤文字”の始まりです。ガールカルチャーでいうと、「エックスガール」「ミルクフェド」「アクアガール」「ビバユー」などが代表的なブランド。アップリンクやシネクイントなど単館映画館はこのトライブの子たちに人気でした。
WWD:ここから渋谷の全盛期が始まるわけですね。
高野:95年に渋谷109がコギャルをターゲットに大リニューアル。どんどんギャル度が過激になっていきます。森本容子さんを筆頭にカリスマ店員が次々登場。店長からディレクター、ブランドプロデューサーとサクセスストーリーを歩んでいく。その裏にはプロデューサーのギャル男あり(笑)。
WWD:その後、ギャル文化は渋谷から地方へ広がっていくわけですが。
高野:99年ごろの渋谷、特にセンター街は過激なメディア空間と化していきました。毎日TVで報道されたギャルカルチャーがガングロへと進化。全国各地に伝わり、地方のヤンキーカルチャーと結び付いて拡散していきました。一方、ギャルじゃない子やギャルから降りた子たちは裏原系女子、雑誌「ミニ」へとつながっていきました。
WWD:ギャルブーム後は、渋谷の街は落ち着きを見せていく?
高野:そうですね。2000年前後は神南エリアにセレクトショップが次々とオープン。「ユニクロ(UNIQLO)」が原宿にショップを設けるなど、渋谷〜原宿の街が大きく変化しました。古着の概念も大きく変わり、質屋やリサイクルショップ、フリーマーケットが一般化、セレクトショップへと進化していったのもこのころからです。00年前半は代官山が大人気。ギャルカルチャーの震源地となった渋谷センター街から神南〜原宿、代官山〜中目黒へと“渋谷カルチャー”が拡張されていったと「SHIBUYA2000調査」で考察しています。
WWD:ただ00年ごろからセレクトショップが誕生する一方、07年にはまたギャルブームが戻ってきますが、これはどういった流れで?
高野:00年代に入ると、1980年代生まれの“ウチら”世代が、2000年代半ば以降は1990年代生まれが“若者”として街に台頭していきます。“アーカイブ消費”と呼んでいるのですが、過去のいろいろな時代のスタイルをメディアで見てフラットに取り入れるのが特徴です。
インターネットの浸透で、情報量が急激に増えたことは大きいでしょう。ファッション、音楽、アートなど、各分野の情報量がタテに多過ぎて、ヨコ連動がなくなったのかもしれません。一方で30代になった団塊ジュニア世代が大人になって独特のスタイルを見せてくれたり、新人類世代の母が80年代生まれの娘と一緒に買い物をするなど、ファッショントレンドの受容者がエイジレス、ジェンダーレスになっていったのも2000年代の特徴です。渋谷の街は年齢層が広がり、若者だけの街ではなくなっていきました。百貨店離れが進んだのもこのあたりからです。
WWD:10年代前半からシティボーイが台頭してきますね。
高野:初期のシティボーイは現行の商品、今店頭で販売されている服が面白くないから、古着屋で掘り出し物を見つけ、例えば、トレンドのルーツである昔のロンドンメードの「バーバリー(BURBERRY)」を着る。町の中華料理店や昔ながらの喫茶店を再評価したり、ホンモノのカルチャーや価値を見直すという考え方をする、“情報偏差値”の高いトライブが台頭。12年にリニューアルした雑誌「ポパイ」の大ヒットはその流れです。それを底上げしたのが、大学卒業後就職したセレクトショップから数年して独立し、古着屋を始めた1980年代生まれの人たちでした。
WWD:シティボーイ以降、主だった渋谷発のファッションがないように感じられますが、それについては?
高野:2010年代最大の革命はSNSの浸透。アフターインターネットの時代になり、情報の発信者と受け手、つながり方が大きく変わり、場所性にあまり意味がなくなりました。オンライン上でのコミュニケーションが主になり、いつでもつながりっぱなし。ファストファッションをはじめとするグローバリゼーションの浸透もあって、わざわざ渋谷や原宿で会ったり消費する必要がなくなってしまった。
しかし「定点観測」では、数年前から感度の高い人を中心に、サイバー上から路上に戻ってきていると実感しています。また、過去のファッションを自由に新しい解釈でミックスしちゃうトライブが台頭していて、例えば「ジャパノロジスト」と呼んでいるのですが、日本のファッションやカルチャーに関心がある高学歴な外国籍の人たちもそのひとつ。彼・彼女らは、時代や青文字、赤文字などの日本的なカルチャーやファッションを自由にミックスしていて、新しい価値観が表徴されました。そういうルールチェンジや変化を見ることができる場所はやっぱり渋谷。オモテが大きく変わりつつある渋谷の街ですが、そもそも街は使う人たちのもの。渋谷は今路上に新しい人の流れが生まれているので、これから新しい何かが生まれる分岐点にあるのではないでしょうか。