作家・黒木亮の新刊「アパレル興亡」(岩波書店刊)は、80年以上にわたるファッション業界の栄枯盛衰のドラマである。
主人公のモデルは名門婦人服メーカーとして知られた東京スタイルの中興の祖・高野義雄氏。約30年間も社長を務めた高野氏は2009年に死去しているが、02年に村上ファンドとの委任状争いで日本中の注目を集めたのを覚えている人もいるだろう。当時、黒木氏は東京スタイルの株主総会や村上ファンドの取材を通じて高野氏に関心を持ったという。百貨店を主戦場としたファッション企業の発展と、その凋落と軌を一にする高野氏の歩みを通じて戦後のアパレル産業史を描いた意欲作だ。
経済小説であるため史実と創作が入り交じる。作中では、東京スタイルは「オリエント・レディ」、高野氏は「田谷毅一」。だが、村上ファンドの村上世彰氏、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)などは実名で出てくるし、レナウン、オンワード樫山、三陽商会、ワールド、三越、伊勢丹、東レ、帝人、ユニクロ、ZOZOなどの企業群も実名で登場して生々しいビジネスのやりとりが繰り広げられる。
田谷は高校卒業後に同郷の知り合いのツテを頼って東京・神田の小さな婦人服メーカー、オリエント・レディに入社する。まだ終戦から10年足らずで既製服メーカーが“つぶし屋”と呼ばれてさげすまれていた時代。田谷は自転車の荷台にたくさんの商品を積み、東京中の小売店に営業をかける。持ち前の才覚と負けん気が認められ、北千住の洋品店、羊華堂(現イトーヨーカドー)の伊藤雅敏氏ら小売店幹部の寵愛を受ける。会社も高度経済成長と既製服の普及の波に乗り、日本を代表するアパレル企業へと駆け上がった。40代でトップに立った田谷はワンマン社長として君臨する。田谷が黒を白といえば白。田谷の顔色をうかがう社員ばかりになり、社内は物言えぬ空気に支配される。
私は田谷のモデルになった高野氏を直接取材したことはない。だが、社員が高野氏を前に直立不動で受け答えする光景を何度か目撃した。恐怖政治だけで人心掌握はできない。こわもてだけど、人情家で面倒見がいいという評判もよく聞いた。ただファッション企業でありながら、上に絶対服従の軍隊のような社風はかなり異質だった。
作中にもそんなエピソードがたくさん出てくる。たとえば昭和61(1986)年、田谷の経営ミスによって稼ぎ頭である「ラルフローレン」(婦人服)の国内製造・販売権を競合企業に奪われてしまう場面だ。
高級スーツ姿の田谷が、整列した三十人ほどの営業マンたちに呼びかけた。
次の瞬間、田谷の両目から涙がこぼれ落ちたので、営業マンたちは驚いた。
「誠に申し訳ない!ラルフローレンを、オンワード(樫山)に持っていかれた!」
そういってオールバックの頭を深々と下げた。
「えっ!?」
「うえーっ……!」
営業マンたちから悲鳴や呻(うめ)き声が上がった。
(中略)
田谷は、涙の筋も乾かぬ顔で、きっと歯を食いしばる。
「我々のライバルはオンワードだ。この借りはきっと返す。諸君らには一丸となって努力してもらいたい」
「はいっ!」
営業マンたちから一斉に声が上がった。
上司から命じられたときは、たとえわけが分からなくても、元気よく返事するのがオリエント・レディ流だ。
モデルになった東京スタイルは村上ファンドとの委任状争いには勝利したものの、主販路である百貨店の客離れもあってその後の業績は低迷する。そして高野氏の死後の2011年に同じく大手アパレル企業のサンエー・インターナショナル(作中ではKANSAIクリエーション)と経営統合する。現在のTSIホールディングスである。
ワールド、オンワードホールディングスに次ぐ規模のアパレルグループとして華々しくスタートを切ったTSIだったが、アパレル市場の構造不況の波に洗われて不採算ブランドの整理を繰り返す。TSIの事業会社となった東京スタイルのブランドも次々に廃止され、19年3月には展開するブランドは事実上ゼロとなり、東京スタイルは休眠会社になる。戦後のアパレル産業をリードした名門はあっけなく消えてしまった。
この物語と現実を重ねると、ファッション業界の「諸行無常」を感じずにはいられない。一時代を築いた名門企業であっても組織が硬直して変化に対応できなければ、新しい企業にその座を明け渡すしかない。ファッション業界版「平家物語」の趣がある。