「逃げるは恥だが役に立つ」「アンナチュラル」などで知られる脚本家の野木亜紀子さんが、5月10日放送の「あたらしいテレビ 徹底トーク2020」(NHK総合)で次のような主旨のコメントをしていた。今ドラマでキスシーンを描けば、見る人は「あっ、感染しちゃう」という反応になるのではないか、視聴者を物語に没頭させることが難しくなるかもしれない——。(この記事はWWDジャパン2020年5月18日号からの抜粋です)
現代を舞台にしたドラマで新型コロナウイルスの存在がなければパラレルワールドになってしまい、作品からリアリティや共感が失われる。フィクションといえども影響は避けられないと危惧するのだ。
当たり前だったことが当たり前でなくなる。エンタメの世界だけでなくファッションビジネスもいきなりニューノーマル(新常態)に放り込まれた。
5月14日現在、特別警戒都道府県以外の地方の百貨店やショッピングセンター(SC)が少しずつ営業を再開し始めている。特別警戒区都道府県でもユニクロ銀座店(東京)のほか、玉川高島屋ショッピングセンター(同)、立川高島屋ショッピングセンター(同)、柏高島屋ステーションモール(千葉)もファッションフロアを含めた営業を再開した。14日夜の39県の緊急事態宣言解除を受けて、この動きはさらに加速する。
営業再開は明るいニュースに違いない。しかし消費者の心理は、まだコロナにおびえている。マンツーマンによる丁寧な接客には感染リスクが潜むのではないか、陳列された服に袖を通すことは安全なのだろうか、客もスタッフもそんな心配が頭をよぎってしまう。特に手厚い接客サービスを価値としてきた百貨店には戸惑いが広がる。
11日から高知大丸などの営業を再開したJ.フロント リテイリング(JFR)は、取引先のアパレルなどに接客サービスの新しい方針を伝えた。「当面の間、スタッフから積極的にお客さまに声をかけることはしない。ご要望があれば最小限のお手伝いをするにとどめる。適切な距離をとる。ご不便をかけるかもしれないが、まずはお客さまとスタッフの安全を第一に考えるべき状況だと考えている」(JFR広報担当)。
政府の専門家会議が今月上旬にまとめた感染拡大防止のための「新しい生活様式」は、コロナとの戦いは否応なく長期戦になることを印象づけた。家庭や職場、食事などの場面で「密」を避けるための具体例として「外出時はマスク着用」「人との間隔は2メートル以上空ける」「食事は横並びに座って大皿を避ける」「買い物は電子決算や通販を利用」などを挙げる。専門家会議の提言がそのまま社会に受け入れられるかはともかく、第二波を警戒して疑心暗鬼にならざるを得ない。
そもそも賑わい自体がよくないという考えは、小売業の常識を根底から覆す。大勢の人を店舗内に集客して、買い回りを促すことは誰も疑わない常識だった。今はこの当たり前の見直しを迫られている。店舗休業や制約によってファッション小売業の尻に火がつき、ECやライブコマースなど遅れていたデジタル化が進むことは必然だろう。
三越伊勢丹ホールディングスはデジタル施策を前倒しで進めることを表明した。店舗とECをシームレスに自由に行き来してもらう基本方針は変わりないが、来店を伴わないEC単体の強化に乗り出す。客が自宅で販売員とチャットなどでコミュニケーションできる体制を作る。事前決済などによって一人の客に接する販売員の人数を減らしたり、店内の混雑状況をアプリで知らせたりする(P.7に詳細)。
メディアではアフターコロナ、ウィズコロナなどの言葉が飛び交っているが、今後のファッション市場の予想は難しい。ただ、コロナへの不安が残る限り、もともと苦戦していたファッション市場はさらなる低迷を避けられないのは確実だろう。テレワークの浸透や外出の自粛などによる消費マインドの変化に加え、コロナ禍で多くの世帯は収入が減る。不要不急の支出は抑えられるし、消費にメリハリをつけることになる。
コロナ危機を通じて多くの人が社会や暮らしの在り方を見つめ直した。従来から言われてきたデジタル化やサステナビリティへの動きは加速度的に進むことになる。歴史を振り返れば、社会の変革期に新しい消費者心理を捉えて、いち早く新しい枠組みを構築した企業がマーケットの覇権を握ってきた。バブル崩壊後のデフレ時代に現れたユニクロ、デジタルの浸透を先取りしたアマゾンやゾゾタウン。一方、対応できない企業は消費者から見放されてきた。
今回のコロナはそれ以上の激しい変化を私たちの社会にもたらすかもしれない。ファッション小売業には変えるべきことと変えてはいけないことを見極め、新しい社会に向けたシナリオを描く構想力が求められる。そしてその戦いはすでに始まっている。
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