米ミネソタ州ミネアポリスで5月25日に、黒人男性のジョージ・フロイド(George Floyd)氏が白人の警察官に首を押さえつけられて死亡した事件を受けて、世界中で抗議運動が起きている。大半は平和的に行われているにもかかわらず、新聞やテレビなどのメディア(米「WWD」も含め)には“略奪”の文字が踊り、店のショーウインドーなどが破壊された街の様子が繰り返し報じられた。
しかし事件から数週間ほど経った今、ある変化が起きている。抗議運動の規模は拡大しているものの、メディアは(そもそもデモの参加者によるものとは限らない)略奪や破壊行為にフォーカスするのではなく、抗議運動をあるがままに伝え始めている。すなわち、人種差別に反対する人々が平和的にそれを訴える様子と、デモの参加者によって撮影された警察の不当な暴力行為に関する問題を報じているのだ。時間が経つにつれて、メディアは本当に報道するべきことが何であるかにようやく気づいたのかもしれない。
ニューヨーク大学(New York University)のポーラ・チャクラヴァルティ(Paula Chakravartty)=メディア・カルチャー・コミュニケーション学部准教授は、「メディアは事件の本質を伝えるより、人々の注目を集めることを優先する傾向がある。それは今に始まったことではなく、こうした抗議運動を報道する際のパターンとなっている。例えば1991年に黒人男性の故ロドニー・キング(Rodney King)氏が4人の警察官(白人3人、ヒスパニック系1人)に激しく暴行され、それを発端にロサンゼルスで大規模な暴動が起きたときも、メディアは略奪や破壊行為を重点的に報じた。結果として、それが話題の中心となってしまった」と語った。
略奪行為は、抗議運動が起きる根本的な要因の一つである人種差別やそれに伴う経済格差に対する強い不満や怒りから行われることが多い。今回も被害に遭ったのは主にラグジュアリーブランドの店だったが、それは高級なバッグや靴が格差や不平等を象徴する品々だからだ。しかし、略奪を行ったのは本当にデモの参加者だったのだろうか。
ミネソタ州セントポール市のメルヴィン・カーター(Melvin Carter)市長によれば、抗議デモに関連して逮捕された40人のほとんどが州外から来た人たちだったという。同氏は、「フロイド氏の死を悲しみ追悼する人々がいる一方で、それに乗じて破壊行為をしようとする別のグループがいる」と述べた。
ジョン・ハリングトン(John Harrington)=ミネソタ州公安局コミッショナーは、「抗議運動に便乗して混乱を巻き起こせと白人至上主義団体がインターネット上に投稿し、メンバーを扇動していることについて調査している。逮捕された40人の中にも、そうした団体や組織犯罪グループとつながっている者が何人かいた」と話した。
またネバダ州ラスベガスでは、3人の男が抗議運動に紛れて火炎瓶を店舗などに投げ込んだとして送検されたが、同州の連邦地方裁判所によれば、彼らは内戦や社会崩壊を望む極右過激派運動「ブーガルー(Boogaloo)」に関わっている疑いがあるという。同州のニコラス・トルタニッチ(Nicholas Trutanich)連邦検事は、「暴力的な扇動グループが平和的に行われている真摯な抗議運動を乗っ取り、全米で過激な活動を繰り広げている」とコメントした。
外出禁止令と警察の横暴
こうした暴動が起きているという過剰な報道によって、社会にマイナスの影響がある公共政策が定められてしまうことがあると専門家らは指摘する。
ニューヨーク市は破壊行為や略奪などを防ぐため、6月1日に夜間外出禁止令を発動した。当初その時刻は23時だったが、暴動が収まらないとして翌2日にはこれを20時に繰り上げた。ニューヨーク市警は通常よりも多くの警察官を配備して警戒に当たったが、デモの参加者に対して警棒を振るったり、マンハッタン橋を渡っているデモ隊を制止して橋から動けなくなるようにしたり、医療従事者などのエッセンシャルワーカーをも引き留めたりするなど、“外出禁止令”という権限をかさに着て不当行為をする警察官らの様子を映した動画がソーシャルメディアで拡散されるにつれて、外出禁止令は害のほうが大きいのではないかという声が上がり、一週間もしないうちに解除されることとなった。
弁護士や法律家からなる人権団体、全米法律家ギルド(National Lawyers Guild)のエレナ・コーエン(Elena Cohen)=プレジデントは、「夜間外出禁止令は役に立たなかった上に、抗議運動をシャットダウンし、デモの参加者やエッセンシャルワーカーを非人道的に扱う口実に使われた」と説明する。同ギルドに所属する弁護士らが法律関係のオブザーバーとしてデモに参加した際は、役割を明らかにするための緑色の帽子をかぶっていたにもかかわらず、警察に身柄を拘束されたという。ニューヨーク市法務部は、抗議運動に対する警察の不正行為を調査の上で適切に対応すると声明を発表しているが、ニューヨーク市警の広報部はコメントを差し控えるとした。
“略奪”にフォーカスすることの問題点とは
店の破壊や略奪にばかり注目してしまうと、大半の抗議運動は平和的に行われているという事実が見えなくなってしまうことも問題だ。
政治団体アメリカ民主社会主義者(Democratic Socialists of America)のメンバー、ジュリア・コールドウェル(Julia Caldwell)が参加した抗議運動は、100〜200人程度がスローガンを唱えつつプラカードを掲げて歩く平和なものだったという。警察官の姿がほぼ見当たらなかったことが特徴的で、それも平和的にデモをすることができた理由ではないかとコールドウェルは話した。「武装した警察官に監視されると、それだけで緊張するものだ。通常は目にすることのない軍レベルの武器を身に着けた警察官がその場にいると、逆に公共の場の安全が脅かされる感じがする」。
全米法律家ギルドのコーエン=プレジデントは、デモにおける略奪行為ばかりを強調すると、大半は平和的に行われている抗議運動について誤解を招いてしまうと同時に、民主主義の歴史において市民的不服従(市民としての反抗)が果たしてきた役割への理解を損なうことになると説く。同氏は、「アメリカ社会は路上で人々が抗議することで変化してきた。抗議運動はときに無秩序に見えるかもしれないが、真の変化はいつもそうして起きてきたのだ。また今回のムーブメントによって、これまで行ってきた黒人に対する不当な暴力行為について、警察が今度こそ責任を取らざるを得ない可能性があることを、権力者らは分かっているのだと思う。そうしたこともあり、抗議運動は『(暴力を使ってでも)止めなければならない略奪者』という文脈で報道されたのではないか」と分析した。
実際に略奪や破壊行為をしているのが抗議運動の参加者なのか、それとも無関係の武装市民(白人至上主義者など)なのかをメディアが明確にしないまま報道したことも、“抗議運動”と“略奪”を結びつけることに一役買ってしまった。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のヨギタ・ゴヤル(Yogita Goyal)文学部英文学科およびアフリカン・アメリカン研究部門教授は、今回の抗議運動の初期における報道の多くは“警察の視点”によるものだったと話す。「取材しているジャーナリストやリポーター自身も警察から不当な行為を受けていることがカメラに写されていたのに、『警察の不当な暴力行為に抗議する』という運動の内容についてはフォーカスされず、議論もされなかった。略奪や破壊行為ばかりが話題となっていた」と述べた。
デモの参加者が完全武装した警官隊に飲み物のボトルを投げたり大声で叫んだりする動画も確かにあるが、警官隊がデモの参加者を背後から押し倒して地面に押さえつけたり、警棒で激しくたたいたりしている動画の本数のほうがはるかに多い。こうした警察による暴力行為が明らかになってきた以上、当初は破壊行為や略奪ばかりを取り上げていたメディアに対してより批判的になるべきだと同教授は言う。「“略奪”というセンセーショナルな言葉には強い力があるのに、メディアはあまりにも無造作に使ってしまっている。どの言葉を選ぶのか、またそれを繰り返し使うことは、(そうと意識していなくても)政治的な行動だ。略奪の光景ばかりを繰り返し報じることは、人種差別や抗議運動の本質から、そして警察による暴力行為という問題から目をそらさせてしまう」。