アメリカ在住30年の鈴木敏仁氏が、現地のファッション&ビューティの最新ニュースを詳しく解説する。今回は小売業の巨人・ウォルマートのEC戦略を解説。新興EC企業を相次いで買収するウォルマートの狙いとは?
ウォルマート(WALMART)が中古ファッションECのスレッドアップ(THRED UP)と提携した。ウォルマートのサイト内にスレッドアップのページが追加され、およそ約7万5000アイテムがすでに出品されている。35ドル以上の買い物で送料は無料、返品はウォルマート店内で可能という条件はウォルマートに準じている。
ざっと見る限り、婦人服、バッグ、アクセサリー、子供服、プラスサイズ、シューズといった一般的なカテゴリー分類なのだが、取り扱われているブランドをみると興味が湧いてくる。「コーチ(COACH)」「グッチ(GUCCI)」「マイケル・コース(MICHAEL KORS)」「ザラ(ZARA)」「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」など、ウォルマートに存在し得ないブランドがずらりと並んでいるからだ。試しに「ルイ・ヴィトン」で検索したところ最高価格は2099.99ドルだった。低価格をうたって競合をなぎ倒してきたディスカウントストアの雄・ウォルマートとしてはありえない商品である。
ウォルマートにとってこのスレッドアップはマーケットプレイスのセラーの1社という位置づけとなる。
アマゾン(AMAZON)で商品検索するとプロパーと中古が混在して表示されることは、皆さんご存知だろう。アマゾンのマーケットプレイスはそもそも中古本からスタートしており、マーケットプレイスと中古販売は相性がよく、珍しいものではない。ただアマゾンの中古は家電や雑貨が中心で、衣料は少ない。有名ファッションブランドも当然ない。
そういう意味でウォルマートとスレッドアップのパートナーシップは画期的といえる。
転機はジェット・ドット・コムの買収
おそらく10年以上前であったならば両社が組むなどということはありえなかっただろう。
ウォルマートのビジネスモデルの骨格は効率化による低価格戦略にあり、マーケティングやブランディングにリソースを集中させるような戦略を取ることはなかった。このオペレーションに主軸をおく小売企業と、若年層や都市生活者をターゲットとするファッション企業が組むのは難しい。
この戦略が大きく転換したのがジェット・ドット・コム(JET.COM)の買収である。
ジェット・ドット・コムはマーク・ロリー(Marc Lore)という業界では有名なアントレプレナーが2014年に創業した企業で、ウォルマートが買収したのは翌々年の16年、買収総額は33億ドルだった。わずか2年間でこの額は今考えても目が覚めるような買収案件だ。
ロリーはこのジェット・ドット・コムの前におむつのネット販売を大成功させて、そのビジネスを10年にアマゾンに5億4500万ドルで売却している。あまり報じられていないのだが、売りたくないロリーに対してアマゾン創業者兼CEOのジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)が脅すように買収攻勢をかけて、投資家にロリーが説得されて嫌々売ったらしい。そのためロリーはアマゾンを嫌っており、対アマゾンを旗印として改めて創業したのがジェット・ドット・コムなのである。
ジェット・ドット・コムによる最初の資金調達ラウンドは14年末で8000万ドルを獲得した。その後数回のラウンドを経て最終的に2億2500万ドルを調達しているのだが、サイトがオープンしておらず、売り上げゼロの構想段階でこの調達額は過去に例がないと言われていた。投資企業によるロリーの手腕に対する評価額と言い換えてよい。ジェット・ドット・コムのサイトオープンは15年7月。ウォルマートによる買収はその翌年、ウォルマートCEOのダグ・マクミロン(Doug McMillon)とロリーが偶然出会い、意気投合して買収へと進んだと言われているのだが、おそらく打倒アマゾンが共通テーマだったのだろう。
買収された後にロリーはEC事業の総責任者となった。ウォルマートのEC戦略はこのとき以降すべてロリーが統括してきたのだが、最初に明言した戦略は店舗とサイトは異なる道を行くということだった。店舗は今まで通り低価格を主軸としながら、ネットは全方向に拡大してゆくと掲げていた。
ここでロリーが打った手がD2Cブランドの買収だ。モドクロス(MODCLOTH)、ボノボス(BONOBOS)、ムースジョー(MOOSEJAW)など10社弱を手に入れているのだが、すべてウォルマートのイメージとは相容れない若年層、高所得層、大都市生活者を対象とした企業である。ところがどれもいまだに黒字化していない。赤字を補填している黒字の店舗営業サイドとの確執があったりして売却プレッシャーがかかり、昨年10月にモドクロスを売却し、その後も売却のうわさはずっとくすぶっている。
そのためD2Cの買収は単独で見ると失敗したようにみえるのだが、注目すべきはシナジー効果である。新興ネットブランドを傘下に抱えることによってウォルマート・ドット・コムのイメージが変わってきているのだ。スレッドアップがウォルマート・ドット・コムの中に入って売ることを決めたのも、実はこういった背景がある。
ウォルマートの実店舗の規模を利用する
ウォルマートはこのジェット・ドット・コムを5月末に閉鎖している。33億ドルで買収した企業が4年後には消えてなくなった。その理由はロリーも含めたジェットの人材がウォルマートに吸収されたことと、既述のようにウォルマート・ドット・コムが進化してジェットが持っていた顧客層やブランド層を取り込めるようになったからだ。
要するにジェットはウォルマートの“血肉”になったのである。
私はロリーがジェットをテコにしてウォルマートのEC事業を手中に収めたのだと理解している。アマゾンに対抗するにはウォルマートの規模を利用する方が手っ取り早い。
ちなみにウォルマートはこのコロナ渦で急増したEC需要をほぼ順調にこなしきっている。ロリーは店舗網を持っていることが強みだとしてストア・ピックアップに力を入れてきた。コロナ禍で人の接触が少なくなるという意味でストア・ピックアップ(とくに店員が車のトランクまで商品を運んでくれる「カーブサイド・ピックアップ」)にスポットライトが当たっており、この数年強化してきたことが全て成果となって表れているのだ。ロリーがいなかったらウォルマートはここまでうまく運べているかどうかは分からない。
彼は買収したD2Cブランドは全てロングテールだと説明している。スレッドアップもロリーの構想上はウォルマート・ドット・コムのロングテールということだろう。見えないところでウォルマートのEC戦略は着々と進化を続けているのだ。
鈴木敏仁(すずき・としひと):東京都北区生まれ、早大法学部卒、西武百貨店を経て渡米、在米年数は30年以上。業界メディアへの執筆、流通企業やメーカーによる米国視察の企画、セミナー講演が主要業務。年間のべ店舗訪問数は600店舗超、製配販にわたる幅広い業界知識と現場の事実に基づいた分析による情報提供がモットー