アメリカで始まったBLM(Black Lives Matter=黒人の命は大切)運動は世界各地へと広がりを見せ、ファッション業界を含む社会全体に急速な変化をもたらしている。そんな中、中国では包括性をDNAの一部と考えるデザイナーズブランドの台頭や、中国とアフリカの友好関係を歓迎する社会の風潮によって黒人モデルに光が当てられている。
2010年代は中国を活動拠点とする黒人モデルも少なく、中国版「ヴォーグ(VOGUE)」や「エル(ELLE)」「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」などの有名メディアでもあまり見かけなかった。しかし「エルメス(HERMES)」などの海外ブランドが国内のショーで多様なモデルを招へいするようになったことから、黒人モデルがメディアで起用される機会が増えた。中国のファッション雑誌などで10年以上撮影を行い、アジャ・デン(Ajak Deng)とともに中国メディアで初の黒人モデルを表紙に起用したフォトグラファーのジョン・ポール・ピートラス(John-Paul Pietrus)も2012年当時に比べて、中国国内における黒人モデルの需要の高まりを肌で感じているという。
しかし当時と変わらず、中国国内で起用できる黒人モデルの数は多くはなく、モデルを探すことも難しいようだ。上海を拠点とするブランド「フィックスステュディオス(FFIXXED STUDIOS)」のフィオナ・ロー(Fiona Lau)=クリエイティブ・ディレクターは、「正直に言うと、中国でショーやルックのために起用できる黒人モデルの選択肢は、パリでのショーに比べて格段に少ない」と述べ、多様なキャスティングをするには限られた予算で時間をかけて探す必要があるという。そのため、19年からはモデルを自身の交流範囲の中からスカウトするようになり、「従来のエージェンシーを通じて紹介されるモデルが多様でない場合、私たちは自分から積極的にモデルを探していかないといけない」と語った。
ローが自身の友人の中からモデルとして起用したのは、中国語を話すアフリカ系ファッション・ブロガーのダニエル・マグニェ(Daniel Magunje)だ。14年に留学生として中国に来たマグニェは、買い物中にスカウトされて以来、中国とアフリカ市場をつなげる自身のビジネスを持つかたわら、モデルとして常に3つ以上の仕事を抱えている。彼は一度も自分から仕事を探したことはなく、全て口コミによる紹介で働いている。こうした経験を通して、アジア人や白人の顔立ちを好む代理店には見向きもされなかった黒人モデルの隠れた需要を感じたという。
上海の大学を卒業したハイチ系アメリカ人のクリスティーナ・ラトー(Christina Rateau)は、上海ファッション・ウイークの常連で参加するなど、モデルとしてのキャリアを積んできた。上海でも数少ない黒人モデルである彼女はこの気運の高まりに関して、人種の多様性を打ち出そうとするハイファッションブランドの流れをそのままくむ中国のクライアントが多いことから納得がいくと考える。しかし同時に、包括性をめぐる複雑な側面に対して「中国において私たちはこの国の美の概念に当てはまらないというだけの話でもある。何千年と続く中国の美の価値観に対して変化を求めるのもおかしな話」と言及し、「それでも、どんな形のどんな種類の美でもそれを認めることは大切だと思う」と語った。
上海でファッション企業のクライアントを持つイベントエージェンシー「ケーツー(K2)」のティナ・スチール(Tina Steele)=コミュニケーション・ディレクターは、「徐々にではあるが、ビッグブランドが中国で多様なモデルをキャスティングする傾向が見られているのは確かだ。起用率はだいたいアジア人モデルが50〜70%、白人モデルが30〜50%を占める。多様性は第一優先ではない。もちろん誰も直接は言わないけれど、中国ではいまだにクライアントが黒人モデルの起用を望むことも受け入れることも、極めてレアなケース」と話す。