「鎌倉シャツ」の創業者で会長の貞末良雄氏(79)を描いた「シャツとダンス〜『アパレルの革命児』が起こした奇跡〜」(玉置美智子著、文藝春秋刊)に、次のような場面がある。1970年代半ば、貞末氏はヴァンヂャケットに勤務していた。酒の席で部下が愚痴をこぼし、貞末氏が諭す。
「百貨店からはしょっちゅう掛け率、掛け率といわれて大変ですよ」
掛け率を下げるとは、つまり、百貨店がヴァンに支払う商品の仕入れ代金を安くすることだ。定価1万円の商品を7000円より5000円で仕入れて売ったほうが百貨店の利益が増える。利益は2000円増だ。
「百貨店の掛け率を下げればヴァンは、自分たちの利益を確保するために原価率を下げる。そうやってどんどん落ちていくプロパー消化率(編集部注:定価で売れた割合のこと)に対して、掛け率と原価率を低くしてバランスをとっていったんだ。それでプロパー消化率が50%を切る頃には、原価率は20%、ってわけだ。そのうち15%になるよ。お客さんを犠牲にした負のスパイラルだ」
半世紀近く前の話なのに、現在のアパレル業界の課題とあまり変わりないことに驚く。アイビーで一世を風靡したヴァンは、放漫経営がたたって78年にあっけなく倒産した。現在、アパレル業界ではコロナが引き金となった経営破綻や事業再編が相次いでいる。だが、コロナ前から「お客さんを犠牲にした負のスパイラル」に陥っていた。失敗の本質はいつの時代も変わらないのだ。
貞末氏のアパレル人生は50歳過ぎまで挫折と苦労の連続だった。ヴァンを含めて勤務したアパレルや小売業5社は全て倒産する。顧客目線を忘れた企業はどうなるのか、嫌というほど体験してきた。
53歳の貞末氏がこれまでの失敗を糧に立ち上げたのが、1993年創業のメーカーズシャツ鎌倉だった。どうすればお客さんは満足してくれるのかを、徹底的に考え抜いた。中間コストを削減したSPA(製造小売り)モデルを構築する。国内工場で作った高品質なシャツを4900円(当時)で提供する。商品をシャツ1本に絞って決して作りすぎない。価格への信頼性を守るためセールはせずに定価で売り切る。鎌倉市のコンビニの2階からスタートした小さなシャツ屋はじわじわと支持を集め、都心に店舗を持つ頃には鎌倉シャツの愛称で呼ばれるようになっていた。2012年には紳士服の聖地であるNYマディソンアベニューにも出店する。日本を代表するスペシャリティーストア(専門店)になった。
ここで描かれているのは、貞末氏一人のサクセスストーリーではない。もう一人の主人公としてスポットライトが当てられるのが、貞末氏の妻で鎌倉シャツ社長(現在は退任)のタミ子氏だ。ヴァンの同僚だった二人のなれそめから、夫婦それぞれの複雑な生い立ち、ヴァン倒産で経済的にも苦労する家族の姿まで詳細に書かれている。
専業主婦だったタミ子氏は、40代半ばで夫とともにシャツ屋の経営者になる。貞末氏がサプライチェーンの構築に注力する一方で、タミ子氏は毎日休まずに店頭に立ち、抜群のコミュニケーション力で鎌倉シャツのファンを増やしていく。ホスピタリティーが高く評価されている同社の販売スタイルを確立したのがタミ子氏だった。
だが、創業25周年を目前にした18年8月、タミ子氏は脳出血で倒れる。貞末氏と家族による介護の日々が始まる。
重度の後遺症を患ってしまったタミ子氏の体を支えながら、貞末氏は自問自答する。半世紀近く夫婦であり、その半分はビジネスパートナーであった。彼女をビジネスの世界に入れたために、いらぬ苦労をかけてしまったのではないか。心の中で詫びる。「タミ子さんの優しい夫になりたいんだ、なれるだろうか」――。そして、貞末氏は一つの決断を下す。
この本はファッション小売業の要諦を学ぶビジネス書であると同時に、夫婦の飾らない愛情をつづったドラマでもある。タイトルの「シャツとダンス」は夫婦の絆を象徴するあるエピソードから取られた。