サイズ展開の多さから在庫管理が煩雑であり、主力商品のブラジャーは使用する資材の種類が多いためロットが大きくなるなどの理由で、新規参入が難しいとされてきた下着業界。これまで大手ブランドやアパレルブランドの寡占が顕著だったが、ここ数年、30代の女性を中心に新ブランドを始めたり、SNSで情報発信したり新たな動きが見え始めている。そんな下着業界に新風を吹き込むゲームチェンジャーらにインタビューし、業界の今、そして今後の行方を探る。
最終回となる第8回に登場するのは、2013年にニューヨークでブランドデビューした「リリピアーチェ(LILIPIACHE)」の早瀬芳子・彩子デザイナー。現地の有力店舗で取り扱われるほか、「アンソロポロジー(ANTHROPOLOGIE)」ともコラボするなどして注目され、翌年から逆輸入の形で、伊勢丹新宿本店をはじめ日本の百貨店でのポップアップストア展開がスタートした。18年8月からはその実績を踏まえ、阪急うめだ本店で商品を定期的に販売している。現在もニューヨークと日本をつなぎ、ブランドを運営している。
――ニューヨークでブランドをスタートさせた経緯は?
早瀬芳子「リリピアーチェ」デザイナー(以下、芳子): 2005年3月に妹の彩子と優子・ストークの3人で、上田安子服飾専門学校の卒業コレクションを作ったのがきっかけです。そのとき、「いつか一緒にブランドをやれたらいいね」と話していました。それぞれ就職した後も3人でたびたびニューヨークに旅し、エネルギーに溢れ、多種多様な文化や物が混在する街の雰囲気に魅了されて「ここに住みたい」と思うようになりました。どうせブランドを始めるならニューヨークでやろうと目標を決め、優子と私は09年に渡米。はじめは洋服のブランドを始めましたが、優子はランジェリーの、私には水着のパタンナーとデザイナーの経験があったのと、ニューヨークはランジェリーカルチャーも豊かで面白いショップも多かったので、13年にランジェリーブランド「リリピアーチェ」をスタートさせました。
――ブランドコンセプトは?
早瀬彩子「リリピアーチェ」デザイナー(以下、彩子):「リリピアーチェ」という名はデザイナー3人のイメージから生まれた花で、優雅なユリと、色彩も香りも豊かなイヴ・ピアジェというバラに由来しています。そんな美しい花が与える幸せを全ての女性に届けたいという思いを込めました。とくに自然の色からインスパイアされるカラー展開にこだわっていて、最初の色出しは自分たちで染めています。実は私、小さな頃は花屋さんになるのが夢で、ニューヨークでフローリストとして働いた経験もあります。未経験でもやりたいことを後押ししてくれる、ニューヨークはそんな街です。
多様性が下着市場の広がりとなり、夢のある売り場に
――いきなりニューヨークというのは思い切りましたね。
芳子:家も決めず渡米して、最初はゲストハウス暮らし。英語もあまりしゃべれませんでしたから、今思い返すと若さと勢いでしたね(笑)。コネクションも全くなく、生地の手配も工場探しも手探り。ニューヨークのガーメント地区の工場を一軒一軒回って縫ってくれるところを探しました。最初に頼んだ工場は、納期は守らないし縫製は粗いし修正も進まない。やっとできた商品を納品しても、今度は支払いが滞る店があったりと苦労もありました。その中で、中国人女性がオーナーの工場と出合い、やっと生産と品質が安定しました。母親くらいの年齢の彼女は「リリピアーチェ」を応援してくれて、お金がなかった私たちを自宅に呼んで食事を振る舞ってくれることもありました。彼女がいたから今の「リリピアーチェ」がある、ニューヨークの母ともいえる恩人です。14年に私が帰国して生産を全て日本に移行しましたが、その日本の工場でも縫い手にしかわからないことや縫製の難しさを教えてもらいながら、その知識をデザインやパターンに生かしています。
――国をまたいだ3人での運営だが、役割分担は?
彩子:デザイン、パターン、営業など役割分担は決めていず、それぞれがそのときできることをやっています。工場に出向くのは必然的に日本に住んでいる芳子の担当になりますが、コミュニケーションもオンラインで行うので問題ありません。
――ニューヨークの有力店舗との取引のきっかけは?
彩子:ニューヨークの専門店「ジョアネル(JOURNELLE)」も「アンソロポロジー」との出合いも、ランジェリーの見本市「カーブ(CURVE)」がきっかけです。「ジョアネル」のオーナーは、米国ブランドにはないフェミニンなテイストを気に入ってくれ、その場でオーダーしてくれました。たとえ無名でも良いと思ったら評価して決断する、それがニューヨークなんです。「アンソロポロジー」はブランドのテイストと「リリピアーチェ」の世界観がマッチして、コレクションのオーダー以外にコラボラインも15年にスタートしました。「アンソロポロジー」に並ぶことでわれわれの認知度も上がり、それを機に営業しなくても他店から取引依頼が来るようになったし、オーダー数も大きいので経営も安定しました。一番多いときで、米国内で20数店舗の専門店に卸していました。現在は中国のオンライン・ランジェリーセレクトショップ「オーツーブラ(O2Bra)」でも販売しています。
――2018年8月には阪急うめだ本店で常設になったが?
芳子:大手メーカーのブランドが並ぶ中に、私たちのような個人経営のブランドを常設するのは非常にリスキーだったと思います。それを決断してくださった阪急百貨店に本当に感謝しています。2年の間に新規顧客も増えて、スタッフ一丸となってまい進しています。
――これからチャレンジしたいことは?
彩子:最近はイベントもできず、目の前の業務に追われることが多かったので、国内外を問わずアーティストとのコラボレーションをしたいと思います。それを通じてお互いに刺激し合い、新しいクリエイションに挑戦したいと思っています。
――日本の下着業界はどうなってほしい?
芳子:もっと多様性が出るといいと思います。日本では、ランジェリーがなかなか日の目を見ないので、もっとオープンになってほしい。百貨店にも頑張っている日本ブランドがもっと並んでほしいし、その多様性が下着市場やランジェリーカルチャーの広がりと、そして夢のある売り場につながると思います。