ファッションという「今」にのみフォーカスする産業を歴史の文脈で捉え直す新連載。27回目はヘルムート・ニュートンのドキュメンタリーを軸にファッション写真の性的表現を考察する。編集協力:片山マテウス(この記事はWWDジャパン2020年11月30日号・12月7日号からの抜粋です)
#MeToo運動が最も変えたものの一つにファッション写真があるだろう。セクハラの告発を中心とするこの潮流が、テリー・リチャードソンやマリオ・テスティーノといった大御所ファッション写真家を表舞台から退場させるだけにとどまらず、たとえ撮影中に性的な言動がなくても、そのような関係をほのめかす写真の掲載がアウトになってしまった。最近の米英仏伊の「ヴォーグ」の写真を見ても、以前と比べると驚くほど“健全”だ。
もちろん撮影におけるセクハラ行為はもってのほかだが、かといってセクシーな表現自体が禁じられている今の風潮は、ファッション写真の表現の幅を著しく制約しているのではと危惧してしまう。そう言うと「それは男性目線の考えで、もはやその考え自体がアウトだ」と批判されそうで悶々と思っているところに、女性セレブや有名モデルが「私をこんなにセクシーに撮ってくれてありがとう」と写真家への敬意を熱く語るドキュメンタリーが登場した。
それは亡き巨匠、ヘルムート・ニュートンを巡るドキュメンタリー映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」(日本公開は2020年12月11日予定)だ。1960年代後半から00年代まで各国の「ヴォーグ」で大活躍し、12年に交通事故で亡くなったニュートンは、生涯「ポルノまがい」「女性嫌悪主義」との批判にさらされ続けた。
ところが、この作品は彼のダークでスキャンダラスな作風とは全く異なる彼のチャーミングな素顔と、セクシーで緊張感溢れるイメージの撮影現場とは思えない陽気で和気あいあいとした撮影風景を次々と映し出していく。さらに米「ヴォーグ」編集長のアナ・ウィンターに加え、女優のシャーロット・ランプリングやイザベラ・ロッセリーニ、モデルで歌手のグレイス・ジョーンズら12人の女性関係者の貴重な証言映像を収録しているのだが、その証言がまた予想を裏切る。批評家のスーザン・ソンタグ以外は、皆が口をそろえてニュートンがいかに被写体思いで、女性への敬意に満ちた写真家であるかを語っているのだ。その被写体のほとんどが撮影でヌードになっているにもかかわらずだ。
米「ヴォーグ」のアナ・ウィンター(さすがにウィンターはヌードになっていないが)がニュートンの魅力についてこう語る。「彼に仕事を依頼する理由は、読者の目をくぎ付けにする写真。ずっと記憶に残る、象徴的でぶしつけな写真。でも確実に示唆に富んだ写真。そんな勇気ある写真が私は必要だと思うからだ」。そう、ヌードを含むエロスは表現において取扱注意の劇薬だ。そしてニュートンは世界トップの女優やモデルたちの扱いに、そしてエロスという劇薬の扱いに格段にたけていた。
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