いきなりニューヨークに留学した印象の強い私だが、実はこれまで留学は3回もしている。
初留学は14歳のとき。オーストラリアで最も住みやすい街といわれるメルボルンから車で約2時間のアバロンで、3カ月間の寮生活を送る短いものだった。
式展や特別な日以外は基本私服の学校で、初めて制服という“しがらみ”から解放された。親にも先生にも「服装が派手」などと干渉されず、大好きな一張羅を着て自分らしく過ごせる毎日は幸せそのものだった。英語は喋れなかったけれど、世界中から集まった生徒たちとの異文化交流も含めて充実していた。
ある日、メルボルンへフィールドトリップに行くと、そこで私は衝撃的な出会いをする。
到着後、みんなはショッピングモールに向かったが、私が迷い込んだのは食やビンテージショップが連なるマーケット。後に、当時世界最大規模のクイーン・ビクトリア・マーケットだったことを知った。
どうやってたどり着いたのかは覚えていないが、気づいたら夢中でビンテージの帽子やアクセサリー、Tシャツを見つけてはうっとりしていた。日本にはないデザインや形、素材の洋服から民族的なアクセサリーまで全てが新鮮で、集合時間ギリギリまで離れられなかった。
以来、帰国しても古着への抵抗は皆無で、掘り出し物を「デプト(DEPT)」や「ハンジロー(HANJIRO)」、「シカゴ(CHICAGO)」、特に知る人ぞ知る「ブル」に入り浸っては探し続けた。
母はそんな私を理解できないようだったが、今ではメルカリで売買するようになり、古着への概念は変わってきたようだ。
古着もサステナブルの一部だ。自分はもう着なくなった服が、誰かの“ダイアモンド”になるかもしれない。最近はさまざまな歴史あるブランドがアーカイブを残さなかったことを後悔して世界中の古着屋やコレクターから買い戻し、新たな価値を見出そうとする動きが注目されている。そのような行動が今後、どういった形で私たちに示されるのか楽しみだ。
※写真は道に吊るしてあるナゾのワッフルロンTを、「いい感じのエイジング」と欲しがる私
つづく……