「WWD NEXT LEADERS 2021」に選ばれた「フォトコピュー(PHOTOCOPIEU)」の竹内美彩は、異質な雰囲気を持つデザイナーだ。日本のアパレル企業で婦人服のデザイナーとして勤めた後、パリへ留学し「イザベル マラン(ISABEL MARANT)」などで経験を積んだ。パリ仕込みの立体裁断を得意とし、天然素材を使いながら、ソフトに肩を誇張したシルエットとワークウエアの機能性を備えたデザインを持ち味とする。2019-20年秋冬のデビュー以来、業界関係者にファンが多く、バイヤーたちも唸らせている。デビューシーズンから、伊勢丹新宿本店や阪急うめだ本店、インターナショナルギャラリー ビームス、エディションなどの有力店が買い付けを続けているのがその証だ。また日本の社会構造に疑問を抱く竹内デザイナーは将来、「フォトコピュー財団」を立ち上げて、母子家庭の子どもたちを支援するという夢を持つ。
WWD JAPAN(以下、WWD):ファッションに目覚めたきっかけは?
竹内美彩「フォトコピュー」デザイナー(以下、竹内):田舎に生まれ育ち、雑誌「キューティ(CUTiE)」「フルーツ(FRUiTS)」、漫画「ご近所物語」の世界に憧れ、小学1年生のときにはすでに将来の夢をデザイナーと書いていた。高校は美術科に進学し、デッサンや彫刻などを学ぶ上で立体造形と向き合い、そこでものを見る力がついたと思う。バンタンデザイン研究所に通ってからは、積極的にコンテストに応募して、入選できるようになった。
WWD:コンテストでは独創的な服をデザインしてきたが、その後リアルクローズをデザインしたいと思った理由は?
竹内:学生時代にクマの着ぐるみのような作品を作ったときに、モデルの女の子が「これを着るの?」と悲しそうな顔をしていた。それが衝撃で私は“着る人が喜ぶ服を作りたい”と思うようになった。
“媚びることなく自由を感じられ、
着る人が見下されず、格が上がるかっこいい服”
WWD:渡仏前は日本のアパレル企業に就職していたが、どのような経験をした?
竹内:4年間勤務したアパレル企業では、婦人服のデザイン企画担当として、ニットや布帛、刺しゅうなど一通り学んだ。自分のブランドも持たせてもらえて良い経験だったが、実力のある女性社員は平社員のままで、昇進するのは男性社員ばかり。その頃から日本の社会構造に疑問を持つようになった。
WWD:就職後にパリへ留学した理由は?
竹内:会社員時代も「海外に行きたい」という思いはずっとあり、入賞特典が海外留学である、神戸ファッションコンテストに応募した。2013年に入賞し、サンディカ・パリクチュール校の3年生に編入できることになった。
WWD:フランスと日本のモノ作りの違いは?
竹内:パリで驚いたのは、肩のシルエットを作り込むこと。今まで「服装はジーパンとTシャツでこと足りる」と思ったこともあったが、フランスではシルエット作りが重視されていた。日本にあまりない肩パッドを使った服作りをフランスで学び、表現が広がったと思う。立体的なシルエットとデイリーな洋服が共存することを知った。
WWD:パリで勤めた「イザベル マラン」と「ヴェロニク ルロワ」では何を学んだ?
竹内:「イザベル マラン」では、まずは半年間アトリエでモデリストアシスタントとしてパターン作りを経験し、その後イザベルさん本人が働くデザインスタジオに移った。イザベルさんは全部の服を試着して確認する勤勉なデザイナー。スタッフの多い大規模な会社だったが、女性社員が多く、男性社員とはジョークを言い合うような雰囲気があり、男女が対等だと感じた。一方、「ヴェロニク ルロワ」はスタッフが5人ほどの小規模ブランド。ボタンなどの付属品の細かいディテールにこだわり、ヴェロニクさん本人の真摯なモノ作りを近くで学ぶことができた。
WWD:いつから独立してブランドを始めようと考えたのか?
竹内:「イザベル マラン」にいるときから自作した服を着ていた。アジア人は容姿が幼く見られがちなので、強さを感じさせるような黒いシルクにワークウエアから着想を得たタフなディテールの動きやすい日常向けのドレスを作った。ブランド名も「ヴェロニク ルロワ」にいたときに思いついたもの。アトリエに手書きで“photocopieuse”(フランス語で印刷機械の意)と書かれたラベルがあり、その歪んだ字面がなんとも愛おしく見えて、語尾のseをとってブランド名にした。そうして、パリでブランドのベースとなる“0コレクション”を作り、帰国直前に「イザベル マラン」で同僚だった友人をモデルにビジュアルを撮影した。
WWD:ブランドコンセプトはどのように考えたか?
竹内:世の中にたくさんブランドがある中で、唯一無二でなければいけないと強く思った。媚びることなく自由を感じられる服であり、着る人が見下されず、格が上がるようなかっこいい服を届けたかった。また「イザベル マラン」のショーのバックステージでモデルのジュリア・ノビス(Julia Nobis)に会い、彼女が着るような服を作りたいと刺激をもらった。
“世の中をけん引できる女性リーダーが少しでも増えてほしい”
WWD:クリエイションとMD(商品構成)のバランスもいい。
竹内:デビューの19-20年秋冬は全体のバランスを見ながら、万全に準備ができた。バイヤーには「日本のウィメンズの市場にありそうでない」と言ってもらえ、11アカウント、15店舗での販売が決まった。プレス関係者からの個人オーダーも多く受け、手応えを感じた。
WWD:天然素材にこだわっているが、サステナビリティについてどう考えている?
竹内:個人的にポリエステルが好きではなく、シルクやコットンを選ぶことが多い。膨大な数の素材に目を通すが、ピンとくるものだけを使用し、違和感を感じるものは使わない。扱いづらいイメージもあるが本来シルクはあらゆるシーンを想像できるし、トレンド性を抑えた自然と生活の中に存在する服は長く愛用してもらえる。ユーズドデニムなどを使ったリメイクアイテムも出しているが、“サステナブルだから”という理由ではなく、デザイン前提で素材を選んでいる。
WWD:今後の目標や挑戦したいことは?
竹内:遠い目標だが、「フォトコピュー財団」を立ち上げて母子家庭で育った子ども、恵まれない環境にいる女の子たちを支援したいと考えている。ファッションの成功者には、大学を卒業してから専門学校などに通った人が多いと感じていたし、私自身母子家庭で育ったことで(経済的な理由から)学びの環境の選択肢が限られていたと感じることもあった。世の中をけん引できる女性リーダーが少しでも増えてほしいという願いもある。現実的な目標は、ブランドを続けていくこと。ファッションショーやお店を持つことも魅力的だが、できるだけ身軽でいたい気持ちもある。生活と両立できる道があれば考えたい。
【推薦理由】
半年に100件以上の展示会を訪れる中で「フォトコピュー」はファーストシーズンから異彩を放っていた。華やかな装飾はなく、肩をソフトに誇張したシルエットで存在感のある日常着は、“日本にありそうでなかった服”だ。ロゴやステートメントを立ててフェミニズムを示すブランドではないが、着る女性に自信を与える強さがある。また竹内デザイナーに共感して集まったセールスやPRのチームからも強いブランド愛を感じる。今後も竹内デザイナーとブランドの魅力を知り、憧れを抱く人が増えていくだろう。