58歳の木村保行氏は今年3月で、約37年間勤めたアバハウスインターナショナルを退職した。同社は「アバハウス(ABAHOUSE)」「アルフレッドバニスター(ALFREDOBANNISTER)」「5351プール・オム(5351POUR LES HOMMES)」などで知られ、1980年代のDCブランドブームを牽引した企業の一つ。1982年に新卒で入社した木村は創業メンバーを除けば最古参の社員の1人で、取締役とレディス事業部のトップも務めた。
だが木村は、ただの老舗アパレル出身の古兵ではない。知る人ぞ知るアパレルECの実力者なのだ。2009年に社内ベンチャーのような形で独力で自社ECサイト「アットシェルタ」を立ち上げて以来、ずっとアパレルECの運営に携わってきた。木村をよく知る1人で、自らもアパレルECに精通した専門家である安住祐一BBF執行役員は「木村さんが独自に開発し、磨き上げてきたツールやデータはユニークで、かつ有効性の高い一級品で、実際に驚異的ですらある。僕らのようなアパレルEC支援の会社からすれば、まさに喉から手が出るほど欲しかったもの。独立はある種、虎を野に放つようなもの(笑)」と語る。
木村は、独立後にアパレルECの研究機関であるフィッツラボ(FITS LAB)を立ち上げ、「アットシェルタ」にも引き続き携わりながら、アパレルECのさまざまなデータ解析ツールを使ってデータ研究や、その外部提供なども行う。古兵の木村は、何を目指すのか。
WWDJAPAN:なぜ独立を?
木村保行(以下、木村):2009年にアバハウスインターナショナルの公式通販サイト「アットシェルタ」を自分で立ち上げて以来、ずっとアパレルECの運営に携わってきたが、ずっとある種の違和感を抱えてきた。この違和感を解消するため、一企業の中にとどまるのではなく外に出ようと思った。
WWDJAPAN:違和感とは?
木村:このわずか10年で「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」を筆頭に、ファッションを売るためのITシステムやツールは凄まじい勢いで進化してきた。われわれのような古いタイプのアパレル企業からすると、ネット通販は有力なチャネルであるのと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのがデータ量がケタ違いに多いこと。ネット通販モールに出店していれば、自社だけでなく他社のものも含め、売れ筋や客単価などのデータが大量に入ってくる。同じように、ツールやテクノロジーもどんどん進化していて、かつては不可能だったようなことがいとも簡単にできてしまう。
だが、確かに仕組みや技術は猛スピードで進化しているが、同じようにファッションビジネスそのものはアップデートしているだろうか?ファッションビジネスはもともと、日用品などと異なり、アイテムのバリエーション、ブランドのテイスト、ターゲット(のセグメント)、シーズン性、トレンド、競合ブランド、販路の種類の多さなど、売れ行きを左右するパラメータ(変数)がとにかく多い。だから緻密なMD(商品企画と販売計画)を立てるのが難しく、つい売れ筋に走ったり、逆に市場を読み誤って在庫過多になったりもする。
ネット通販が拡大して、さまざまなITツールが登場しても、上記は何も変わっていない。ネット通販市場が急成長していても、全体のアパレル市場が低迷しているのは元々の課題の部分が何も解決していないからだ。
WWDJAPAN:では、どうする?
木村:これまでののセンスドリブンから、膨大なデータを生かしたデータドリブンの、かつファッション・ビジネスの原点であるマーチャンダイザー、あるいはマーチャンダイジング(MD)起点に立ち返るべきだ。
WWDJAPAN:パラメータ(変数)が多すぎて、データを基にMDを組み立てづらいのでは?
木村:データを生かしきれていないのは、単にマーケティングツールがファッションにフィットしていないからだ。アパレルECの現場にいて数多くのITツールに触れてきたが、どれも変数の多さに対応できていない。1〜2年前にAI(人工知能)を駆使して需要予測を謳った魔法の杖のようなソフトウエアが登場したが、実際にAIを使ったとしても変数が多すぎるアパレル製品の需要予測は不可能だ。重要なのは、膨大なデータを抽出してMD起点に再設計することだ。
WWDJAPAN:具体的には?
木村: ITのカルチャーなのだと思うが、多くのネット通販モールは出店テナントに対し売れ筋ランキングや客単価、商品単価などの詳細なデータを提供しており、裏側はある種のオープンプラットフォームになっている。課題はこのデータをどう成形するか。「アットシェルタ」時代に開発したのは、そうしたネット通販モールのデータを収集した上で、実際の製品のビジュアルと紐づけて、客単価や売れた実数、時期、年代などで見れるダッシュボードツール。数百ブランドのどの製品がいつ、どれだけ、誰に売れたのかを、ひと目で分かるようにした。長い間、データ分析を行ってきて分かったのだが、意外に大手企業ですら、特定のカテゴリーの特定の価格帯に複数のブランドが殺到してしまう。こうした簡単なSWOT分析がなされていないからだ。
WWDJAPAN:それはなぜ?
木村:データ自体はあっても、それを見やすく再配置したダッシュボードツールがないからだろう。私が独立する意味もそこにある。会社に所属しながらシステムの開発の知見を生かしたコンサルティングやデータ提供をすることも考えたが、データ自体はフラットなものだし、それを本当に生かすためにも独立しなければ信頼は得られないとも思った。
WWDJAPAN:ツールやシステムはどう開発を?
木村:アットシェルタを立ち上げた当時は、「ゾゾタウン」などのネット通販モールがようやく軌道に乗り始めたばかり。当然、潤沢な予算などあるはずもなく、ツテを辿ってシステムエンジニアを探して個人的に仕事を請け負ってもらった。お金こそかけられなかったものの、あくまでアパレルMDの立場から使いやすいツールを追求してきた。それは今も変わっておらず、アットシェルタはコロナ禍にみまわれた2020年度を除けば、設立以来ずっと黒字だった。
WWDJAPAN:アバハウスインターナショナルではEC以外にどんな仕事を?
木村:インターネットに仕事で初めて関わったのは、1997年にパリコレのショーをライブ中継したこと。当時はまだ電話回線でネットを繋ぐような時期だったのに、よくやったなと。おそらく世界でも初めてだったんじゃないかな。その後も99年にオリジナルのフロッピディスクを作ってパリの「コレット」で売ったり、片山正通さんと組んで、アバハウスオリジナルのPCを作って売り出したこともあった。そうしたつながりが「アットシェルタ」の運営や、今のツール開発にも生きている。退社はしたものの、「アットシェルタ」への関わり方はほぼ変わらないので、会社の中にはこの記事を読んで初めて僕が辞めたことを知る人もいるかも(笑)
WWDJAPAN:目指すゴールは?
木村:まだ頭の中のイメージだが、ECだけでなくSNSなどの情報も加えて、外部の研究機関と連携し、アパレル主体のビッグデータの分析ツールが開発できそうだと感じている。いずれにしろ私が開発しているのは、これを使えば大ヒットを連発できる魔法の杖ではなく、良くも悪くもアパレルMDにとって使い勝手のいい道具にすぎない。実際にはそれを生かすためには、ブランドのオリジナリティや、ある種の経験と直感、センスも必要になる。けど、それこそがファッションビジネスに本来必要なものなわけで。ファッションに限った話ではないが、テクノロジーはどんどん進化していて、このままだと巨大なシステムの形にファッションそのものが矯正されてしまいそうだ。それも悪いことではないのかもしれないが、多種多様でクリエイティブというファッション産業をアップデートするには、今このタイミングがラストチャンスだと感じている。