脳性まひという先天性の障がいで幼いころから車いすを使用している私が、ファッションに興味を持ち始めたのは20歳のころ。地元の大学に通い、自由に使えるお金を持ち始めて、トレンドをまねしながらファッションを楽しんでいた。大学で車いすに乗っていたのは私だけ。珍しいものを見るような視線も感じていた。(この記事はWWDジャパン2021年5月24日号からの抜粋です)
ある日、繁華街を歩いていると、原宿ではやり始めたブランドを扱うセレクトショップに出合った。地元にはなじみがない、とがった洋服が並ぶ刺激的な空間だった。そこで初めてストリートスナップ誌「チューン」「フルーツ」を読み、トレンドやルールに縛られない自由な着こなしを見た。「自分が好きな服を自由に着る」――これが新たなファッションの基準となった。
アダプティブ・アイテムと出合ったのもちょうどそのころだった。当時はまだアダプティブ・ファッションという言葉はなかったが、父親から“車いすに乗っていてもはきやすいジーンズ”を紹介された。機能的ではきやすそうだったが、ファッションで大事にしている「かっこいい!はきたい」という衝動には駆られなかったのをよく覚えている。
ファッションと衣服の違い
振り返るとこのときから、「ファッション」と「衣服」を分けて考え始めた。私にとっての衣服はただ機能的に着るもの。一方でファッションは、進んで着たいもの、感情が動くもの、そして自由な表現だ。私にとって、「着やすくする」「はきやすくする」といううたい文句は響かない。身体的マイノリティーに、マジョリティーの服を合わせようという一方通行な感覚もある。それは果たしてファッションなのか?マイノリティーの私たちは、常にマジョリティーのトレンドを着るように“アダプト”しなければいけないのか?いやこれは、私が憧れる自由ですてきなファッションじゃない。そう思い、アダプティブファッションからは距離を置いていた。
そんな思いを心のすみに置きながら、今回の取材を進めていった。最も驚いたのは、「トミー ヒルフィガー」のアダプティブ・アイテム。「誰でも着やすい」というよりは「自分で着られる」工夫が多い上、この分野だけで毎シーズン約120種類を用意していた。またシーズンごとにビジュアル撮影を行うなど、メインコレクションと同等に販促しているという。身体的マイノリティーに対して、平等性と尊厳を担保する姿勢をひしひしと感じた。
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