韓国の人気モデル・テリ(Taeri)プロデュースのコスメブランド「シリー(CILY)」や超人気セクシー女優の三上悠亜のファッションブランド「ミーユアーズ(MIYOUR’S)」、ヨンギ(Yongee)プロデュースのコスメ「ミルクタッチ(MILKTOUCH)」、韓国ファッションの「アンドロッティー(&LOTTIE))」など多種多彩なD2Cブランドを運営するクージー(COOGEE)の鈴木ヒロユキ代表取締役は、いま最も注目すべきファッションプロデューサーの一人だろう。表には出ていないものの、黒子として開発した、あるいは開発中のブランドはさらに多い。そんな鈴木代表の原点は、ギャルファッションブームの最後期を彩った異色のギャルブランド企画開発会社SBY(エスビーワイ)にある。ギャルから韓国ファッションへ。最先端のトレンドをどうビジネスに落とし込んできたのか。
鈴木代表は、大学を卒業後ワーキングホリデーを活用してオーストラリアのバイロンベイに1年間滞在し、帰国。芸能プロダクションや制作会社などさまざまな職を転々としていた。どの会社も長く続かず、1〜2年ほど働いては転職を繰り返していた。「いま思えば自分探しですかね。いつか自分で起業したいとぼんやりと思いつつも、どうしていいのか、何をしたいのかもわからず、どの仕事も飽きてしまって、長続きせずという感じでした」。
そんな鈴木氏が行き着いたのが、ファッションビルの渋谷109で、ユニークな店舗運営で注目を集めていたオゾンネットワークの「SBY」(2011年に分社後、コネクトホールディングスに売却)だった。「SBY」は、音楽専門の広告代理店であるオゾンネットワークが2007年12月にスタートした異色のファッション雑貨店で、鈴木氏の入社した2010年ごろの同店舗は、サンプル配布やランキング形式のコスメやファッション雑貨の紹介、メイクルームの設置など、ユニークな店舗運営でたびたびテレビや雑誌で取り上げられていた。「ルーツが広告代理店だったこともあり、SBY事業部(のちに分社化)は単に店舗の運営だけでなく、取り扱いブランドのコンサルティングや、さらにその運営会社と一体になって新規ブランドの開発・運営なども手掛けていました。そんなこともあって、とにかく忙しい。あるクライアントのため、毎日のように人気の読モやインフルエンサーを起用した新商品のプロモーションプランを実施していましたし、同時並行でいくつものブランドの立ち上げを水面下で準備していました。とにかく時間がなくて、ほぼ毎日早朝に帰宅して、また定時の10時ごろに出社する、そんな生活でした」。
当時を象徴するエピソードの一つが“メシ打ち”と称した深夜の食事兼打ち合わせだ。「当時の上司による突然の、深夜12時とか2時とかに西麻布に社員を集めての企画100本ノックみたいな感じで、みんなで新しい企画やブランド、プロモーションなんかを考えて、早朝になったら『じゃあ鈴木、今日出たアイデアを全部お昼までに企画書にまとめておいて』と上司から。なので常に数十以上の企画書がストックされていました(笑)」。当時、上司からは「とにかく(アパレル)メーカーよりも考えろ」と常に言われていたという。「毎日、メディアにどれだけ露出したか、どうやったら露出できるか、それだけをひたすら考えていました」という当時の鈴木氏は、最大で7つのブランドの運営と開発に関わっていたこともあった。
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