アシックスは、日本・米国・欧州でランニングシューズ市場のシェア1位奪還を目指す。市場ではナイキが“厚底シューズ”で主要レースの表彰台を独占し、市民ランナー向けでも販売足数を伸ばしており、形勢逆転は容易ではない。それでもアシックスにとってランニングは売上高の半分を占める屋台骨であり、後退は許されない。反撃に向けて研究開発、生産、マーケティングなどが一体となった社長直轄プロジェクトを発足。トップランナーに的を定めた「頂上作戦」を展開する。
箱根駅伝とオリンピックでの敗北
「今年の箱根駅伝で残念ながら当社のシューズシェアは0%でした」
6月2日に投資家らを対象にオンライン開催した事業説明会で廣田康人社長がそう説明した。アシックスは正月の箱根駅伝でシェア1位が長年の定位置だった。だが18年にナイキに逆転を許して以降、差は広がるばかり。今年は参加した選手210人のうち201人がナイキを履く独壇場になった。同社にとっては屈辱的な結果だった。
五輪の華であるマラソンでも近年は精彩を欠く。女子マラソンが正式競技に加わった1984年のロサンゼルス大会以降、五輪でのアシックス着用選手はずっとメダルを獲得してきた。ロサンゼルス女子1人、88年ソウル男女3人、92年バルセロナ男女4人、96年アトランタ男女4人、2000年シドニー男女2人、04年アテネ男女2人、08年北京女子1人。だが12年のロンドン以降はナイキの台頭でメダルから遠ざかっている。
数年前までは「厚底vs薄底」といった議論もあったが、圧倒的な実績によって結論は出てしまった。マラソンは厚底による高速化へのパラダイムシフトが起こり、この流れは不可逆だ。トップランナーに選ばれるか否かは、それに続くサブスリー(フルマラソン3時間以内)、サブフォー(同4時間以内)といった中上級のランナー、さらにはその下のマス市場のランナーのシェアに直結する。
廣田社長もトップランナー向けでは負けを認めざるをえない。「非常に悔しい思いをしたが、学んだこともある」と語り、気づきとして以下の3つを挙げた。
第一に「既成概念にとらわれるな」。靴の軽量化すなわち薄底と思い込み、発想が凝り固まっていた。
第二に「速く走ることを徹底的に追求できているか」。アスリートの声にとことん向かい合わねば革新は生まれない。
第三に「コミュニケーションの迅速化」。組織の縦割りによって意思決定に遅れを生じさせてはいけない。
これらを踏まえて反転攻勢を誓った。
トップランナー向けで「打倒ナイキ」
とはいえ、ランニングシューズ市場全体でみればアシックスは各国でシェア3位以内にはつけている。主要地域のシェアは日本が3位(13.9%)、米国も3位(13.1%)につけ、欧州では1位(29.3%)を走る(NPD調べ)。ナイキ躍進の象徴である厚底シューズは必ずしも万人向けではない。アシックスは走り方やレベルに合わせたきめ細かいシューズの開発に勝機を見出す。
2日の事業説明会では、日米欧でのシェア1位奪還を宣言した。具体的には25年をめどに、日本ではトップランナー向けで30%、米国ではランニング専門店で25%、欧州では90ユーロ以上の高額品市場で34%のシェアを取る。トップランナーから若年層、女性まで幅広い層にアプローチする。自社の運動管理アプリ「ランキーパー」などを活用し、デジタルでのランナーとの結びつきも強める。廣田社長は「中長期的に目指す姿は『ランニングといえばアシックス』といわれるブランドになること」と述べた。
3月には切り札となるトップランナー向けの戦略商品を発表した。厚底の高速シューズへの参入である。同社の独自性は走り方によって2モデルに分けたことだ。歩幅の長いストライド走法向けの“メタスピード スカイ(METASPEED SKY、3月発売)”と、足の回転数を上げるピッチ走法向けの“メタスピード エッジ(METASPEED EDGE、6月発売)”を打ち出した。
開発にあたっては世界中のトップランナーとの面談をこれまで以上に重ねた。彼ら彼女らの走行データを取り寄せて分析しながら、ネガティブな情報も含めて是々非々で開発陣と意見を交わした。またケニアにアスリートキャップを設立し、東アフリカの有力ランナー30人のデータ解析にも着手した。それらの取り組みの中から生まれたのが、従来の厚底シューズのようにランナーが走り方を靴に合わせるのではなく、靴がランナーの走り方に合わせるというコンセプトだった。
発売前に2モデルを提供したトップランナーからは3つのナショナルレコードを含めた好記録が続出した。それがきっかけになって欧米での契約オファーが増加した。日本では2月末のびわ湖毎日マラソンで川内優輝選手がメタスピード スカイを履き、自己ベストを8年ぶりに更新して話題になった。
マス市場でも勢いを取り戻している。21年1〜3月期連結決算において、主力のパフォーマンスランニング部門は売上高が前年同期比43.5%増の544億円だった。同社の最大市場である欧州は同55.6%増。苦戦していた米国も復調しつつある。看板商品である“ゲル カヤノ(GEL-KAYANO)”や“ゲル ニンバス(GEL-NIMBUS)”がけん引した。コロナ下で業績は急回復している。
鬼塚喜八郎のベンチャー精神を引き継ぐ
戦略商品のメタスピードは研究開発、選手サポート、法務・知財、生産、マーケティングなどの若手スタッフを集めた社長直轄チームによって作り上げられた。19年11月に発足したチームの名称は「C-Project」。Cは「頂上」の頭文字からとった。
アシックス創業者である鬼塚喜八郎(1918-2007年)が、まだベンチャー企業のオニツカだった時代に推進した「頂上作戦」にならっている。トップ層のニーズを徹底的に調査し、そのニーズを汲み取って商品開発する。トップ層の支持が得られれば、イノベーター層が追随し、やがて裾野のマス層に広がる。今ではスポーツ用品に限らない常識的なマーケティング手法だが、鬼塚はそれを消費市場で確立させた先駆者だった。鬼塚はこの頂上作戦と、狙いを定めた競技に経営資源を一点集中させてトップシェアを取る「キリモミ(錐揉み)商法」でアシックスを世界的なブランドに育て上げた。それをけん引したのが、一般の人に最も身近なスポーツであるランニングだった。
だが、頂上作戦を戦略的かつ大規模に発展させたのはナイキだった。1960年代に「オニツカタイガー」の米国代理店ブルーリボンスポーツとして創業したナイキは、80年代に入るとマイケル・ジョーダンをはじめとしたスーパースターと全面的に組み、スポーツ市場を席巻していったのは周知の通りだ。ナイキ創業者のフィル・ナイト氏が鬼塚の影響を強く受けていたことを考えると因縁深い。
アシックスにとってランニングは基幹事業であると同時に聖域である。これ以上の後退が許されない同社は、「C-Project」によって再び挑戦者としてファイティングポーズをとる。鬼塚喜八郎の貪欲なベンチャー精神に立ち返ることで、ランニングシューズ市場で1強といわれるナイキを猛追する。